胸の奥のもどかしさ どうすればいいの?

 母君の命日(丸3年)は3日後の17日。時間が経つのが(特にコロナ禍以降)早いですね。お墓の面倒を見て戴いている黄檗宗「S」寺のご住職と相談して、今年は10/30(日)の午前中にお経をあげていただくことになっています。ご住職のご予定もそうなんですけれども、私の方が(1週間後の上京とは別件の出来事で)私生活がバタバタしておりまして、暫く時間が取れないのです(これについては、明後日辺りのの日記で改めて……はぁ、気が重い。何せガッツリと「悪い」出来事ですから)。

 定期テスト最終日、本日も保健室の監督はなく、午前中の集中で中3(国語Ⅰ・現代文)の採点・集計は全て終了。
 中3の平均点はほぼ80点。恐らく、返却された答案を見て(手応えよりも)点数が高いと思う生徒が多いでしょう。手心を加えたなどということはしておらず、純粋に客観的な評価です。彼らは自己評価以上に理解・記述力が高い。加えて、それまでの授業の総まとめという性質上どうしても「覚えて吐き出す」に傾きがちになる定期テストにおいて、現代文の(少なくとも一部の)問題では「分からない中で藻掻く」力が試されているという事実に自覚的な生徒は流石にまだ少ないので、予想よりも点数が高くなる生徒が多いのは当然のことなんですね。ボーナス問題込みで満点が100点を超える今回のテストで100点を取った生徒が試験後の「心の整理」という感想プリントに「現代文が分からない」と。担任団には「立派な向上心!」とお伝えして実際それは間違いないのですが、私の中には「分からない? ですよね~っ!」という共感(?)の念も。設問・解答欄を見たときに「分からなさに意気阻喪しなかったか否か」で点差がつく、即ち試験時間の50分における集中力・持続力が全てなんですね。
 そうそう、中3の平均80点は立派です。「やや良い」の評価ですね。

 昼休みは学校から徒歩(ちょっと急ぎ足)で血痰ネーミングショッピングモール「You meタウン」の書店へ。書店滞在10分強、往復と合わせて60分ギリギリでした。午後は月曜以降の授業準備(明日は授業無し)他、机仕事をずっと。

 定時帰宅、入浴後にタクシーで出発。道が混んでいて店に到着するのが5分以上遅れたのは忸怩、ですが一皿目(厳密にはその前の生ビール)が運ばれた瞬間にマイナスの感情は雲散。月イチ恒例の懐石「G」は、超ベテラン数学先生、急遽乱入英語パイセン、国語私、レギュラー数学後輩先生、の4人。

 10/14も「自粛御膳」をお休み、懐石「G」で職場飲み。
 茶碗蒸し~八寸~土瓶蒸し~お造り~魚料理~肉料理~釜炊きご飯~デザート。
 二次会は少しだけイタリアン「S」へ。ここ数年は少人数で気持ち声も控えめになる飲み会ばっかり続いてますんで、それに合わせてなのか話の内容もあまり尖ったものにはならないことが多いんですけれども、今夜は一日1組の完全個室にキャラの立ったメンバーばかりが集まったから、久しぶりに会話の内容の7割くらいは職員室の中でですら出来ないんじゃないか、みたいな激しいやつになりました。

あなたはあたしの趣味 いいえ ライフ ワーク

 (昨日のエントリに続いて)教員生活の原体験と言えば、小学5年生の時の塾。
 習っていた算数の先生は、酷薄な雰囲気と躊躇無しの打擲で教室を支配するタイプで、私は殴られたことはなかったものの授業は端的に嫌いでした(怖いんだもの)。で、その人のことが、塾内報みたいな小冊子のインタビューコーナーに掲載されたのを読んだ時の話。内容は忘れましたけれども、問題なのは写真で、よりにもよって赤ん坊を抱いた写真を選んで載せていたのを目にした時の生理的嫌悪感は、今でもはっきり覚えています。まさか、「たかが」良きパパ「程度」で塾生打擲が1mmでも相殺できると思ってるの? ちょっとだけだとしても本気で? って。
 「ワークライフバランス」という言葉がうっすら嫌いなのは、全然意味が違うのにこの時の嫌悪感を思い出すから。公と私とで絶対に人格は変えない、小5の自分との約束です。

 さて、第3回定期テスト3日目。本日も保健室受験はおらず監督業務無し……って、コロナ禍以来熱発その他の体調不良は「不敢登校」が原則になっているんで、保健室受験が居ないのがデフォルトになっています。それ以前は、どんな体調不良だろうが「敢不登校」こそ真面目という生徒(保護者?)が多かったんですけれども、さてこの「ニューノーマル」は、コロナ禍が過ぎたらどうなるでしょうねぇ。
 採点ガシガシ、会議が1件。

 午後は早めに退勤、一旦自宅に戻って入浴、着替えて出発。今夜は卒業生(63回生我らA組Iくん)とさし飲みのお約束。場所が福岡市なので西鉄電車で移動なのですが、その前に駅近くの美容院「G」で久しぶりに髪の毛をバッサリ。予約オンリーのワンオペ営業、ドチャイケ店長のKさんは今は育ち盛りのご兄弟のパパ、私は彼の独身時代からもう15年ほどお世話になっています。初期は趣味嗜好の話ばっかりだったのが、いつの間にかパパは子育て、先生(←恥)は学校教育のお話が中心になっていますね。「もりき」他の飲み屋の常連さんたちとは仕事の話なんて全然しませんから、考えたら職場関係以外でこんなに仕事の話をするのはここだけかも知れませんね(勿論、守秘義務は弁えていますよ)。
 私「そう言えば、最初の頃は縮毛矯正までお願いしてましたねぇ」
 K「懐かしい、池ノ都さん、相当髪の毛伸ばしてましたもんね」
 私「癖っ毛だからほっとくとヒラタケみたいな感じで横に広がってね」
 K「言ってましたねぇ」
 私「でもね、最近、癖が直ったのか、矯正無しの状態で髪が伸びてもあんまり広がらなくなってません?」
 K「……池ノ都さん、言い難いんですけど、それ、髪が細って弱って、広がる体力が無くなって来てるってことで」
 私「わぁ」
 K「付け加えれば量も減ってます」
 私「わぁ」

 西鉄電車で天神、地下鉄に乗り換えて赤坂。駅前の待ち合わせには10分前に到着、ピッタリ着のIくんと店まで徒歩10分弱の間に近況交換。某外資コンサルに勤務のIくんは本当は在東京なのですが、現在は福岡支社新規開設担当派遣で生まれ故郷に戻ってきているのです(……と、Facebookに書いたら彼の同窓の企業人某くんが「それって××社?」とピンポイントで当ててきたのに「社会人凄ぇ!」となりました)。メールで何となく「いつメシ」的なことを言ってたので、今回私が一度行ってみたいと思っていたお店にお誘い。2軒目以降があるなら泊まりかなぁ、と思っていたら、道すがらのIくんから「済みません、実は21時から緊急のオンライン会議が入ってしまって」と超イケメンな謝罪があり、私も健康に帰宅できることになり有難く(Iくんは飲めるクチなのですが、今夜は舐める程度になってしまってそれだけは残念でした)。

 というわけで、10/13は「自粛御膳」をお休み、福岡は赤坂の寿司「いでの上料理店」にて、63回生Iくんとさし飲み。
 地下アイドル経由(ということはオツカル様経由)で知った某ミュージシャンが絶賛していたのが気になっており、今回満を持して。カウンターオンリーの鮨懐石なのですが、店名から敢えて「鮨」の字を外して食材にもジャンル(和洋)にも拘らない創造性を追求するというスタイルなのだそう。入店早々、案内されたカウンター席から真正面の位置に見える日本酒の冷蔵ケースに、私「すいません、目が悪くて、あの瓶って『産土』ですか?」  店「はい、そうです」と最近のドストライクが入っていたので良いお店だというのが確定しました。
 ●河豚コンフィ・馬糞海胆・湯葉
 ●茶碗蒸し(茸・帆立)
 ●刺身(穴子タタキ)
 ●土瓶蒸し(松茸・銀鮭・蓮根真丈・ルッコラマコモダケ)
 ●西海豚【以上、お摘み】
 ●ガリ
 ●マダイ【以下、稲荷まで握り】
 ●ヤリイカ
 ●子持ち昆布
 ●シマアジ
 ●本マグロ
 ●車海老
 ●海老塩辛
 ●カマス
 ●雲丹
 ●鰻
 ●稲荷(細巻)
 ●卵サンド
 ●島原素麺
 カウンター横並びで飲みながら、Iくんとお話。高校時代には演劇舞台『女子高生』で日本一、現在もお忙しい仕事の傍ら大学時代以来の演劇活動現役継続中という行動力、公私反復横跳びの若者によるお話はオッサンには眩しい。高校時代に私の授業で解いた問題で忘れられないものがあるというIくん、「確か、自分の子どもが死んだ報せを聞いた時に自分の顔を鏡台の鏡で見て確かめた、っていう女優の」 さすが演劇部、それは北林谷榮のエッセイ「仕事について」で、11年前に校内模試の文系用に作った問題です。本は絶版かも知れませんが問題のデータがあるので、プリントアウトして直ぐに送ることに……と、翌日(貰った名刺を見て会社宛に)郵送手続きをした後、データをメールで送ればよかったことに気づきました。

 電車帰還、健康睡眠。

 追記。今日の日記のタイトルは広瀬香美の楽曲から。「超」がつくホラーソングです。

さえずりのみつ

 年若い卒業生(大学生)某くんから「高校時代の先生の授業が楽しかった」と言われ、色々と思い出したり考えたりする。

 私は、所謂「国語の授業」のスキルについてはほぼ皆無であると自認しています。というかそもそも、「段階を踏みつつ教材を理解させるために、生徒の反応を伺いつつ細かい発問を繰り返して……」という応答型の授業は、大学時代の教育実習での研究授業を最後に一度もやったことがありません。こういうのについては、たまに教育実習に来る卒業生の研究授業の方が何百倍も巧い。私は、そのようなタイプとは全く違う授業(内容は後述)を行っています。
 そうなった理由は極めて外発的なものなのですが、就職以来丸8年間、生徒からまともに授業を聞いてもらえなかったからです。具体的には、高校56回生(中3~高3)・62回生(中1)・63回生(中3~高1)という、まだ男子だけのクラスだった時期(63回生高1A組だけは男女混合ですが)。寝るだとか聞かないだとかならまだマシだったのですが、そうではなくてとにかく生徒が騒いで五月蠅い。発問だとか範読だとか言ってる場合じゃない、そもそも物理的に私の声が届かないんです。当時の生徒は教員の「強・弱」を瞬時に見分け「弱」と認識した教員は徹底的に無視しましたから、授業中の彼らの放縦は手が付けられない(というか、手を付けようとすら思わせない)レベルでした。私に(なだいなだ風に言えば)「権威」か「権力」かがあれば良かったのでしょうが、「権力」即ち暴力は正直似合いませんし、「権威」は経験の中で身につけるものなのにその経験即ち授業をさせてもらえないんですからもうどうしようもない。
 ですが、仕事ですから、そんな彼らにも教材となる文章を理解してもらわなければなりません(もう少し具体的に言えば、テストで点を取ってもらう必要があります)。ですから、その時の私(教室で喋る権利を剥奪された教員)の義務は「声が全く届かない授業の内容を生徒に一通り理解させること」に尽きました。となると、鍵は板書になります。その日の授業の範囲を、黒板1枚にどう収めるか。後で板書(写してもいいし誰かにコピーをもらってもいい)と本文とを交互に見返しさえすれば、授業を全く聞いていなくてもその内容が理解できるものでなくてはなりません。欠席・欠課も無問題。自分なりに工夫を重ねて、そういう板書の「編集」能力は少しだけ向上しました。勿論、進学校の生徒自身の「賢さ」にも依存して初めて成立するやり方ですから、私の方も生徒に「借り」があるというのは百も承知。生徒に教科書とノートを持ってくるなんていう「面倒」なことを要求するのは「不遜」でしたので、授業ではB4の上質紙1枚にその日の本文・ノートスペースをまとめたプリントを必ず毎回配付します(これの「編集」能力にもちょっと自信があります)。授業では10分五月蠅かったら帰ると決めていて実際何度も帰りましたけど、その時も板書だけはきちんと最後まで仕上げてから教室を出て行きました(その際、授業中は口から言葉を全く発していません)。
 自らの下手と不向き(と、子どもの残酷さと)に向き合う惨めに8年間耐えられたのは、勿論職員室に国語科恩師先生がいらっしゃったからです。職場でご一緒できるというだけで、他の一切は相殺されました。恩師先生や当時の学年団の先生方には様々なフォローで御迷惑をおかけしました。

 現在も、基本的にはその時と全く同じ授業をしています。上記の「教科書・ノート一体型」のプリントは毎回必ず配付しますし、板書も行数をきちっと決めてその日の本文を「編集」しています。近年は、共学化という制度的転換及び時代の変化の中で、生徒はどんどん優しく真面目になってきています。私の授業も就職当初(っつっても8年間続きましたが)とは違う環境(喋る権利を付与された状態)で行えています。ですが、「授業というものは聞いてもらえないものだ」、或いは「放縦が許されるなら授業など誰も聞きたくないのだ」という刷り込みは、恐らく退職するまで消えることがないでしょう。何かで上書きするには8年は長過ぎました。
 初めて担当する学年の生徒には、最初期に必ず「恣意性の権利」という概念を説明します。私の授業中には何をやってもいい、授業を聴いても本を読んでも内職をしてもぼーっとしてても寝てもいい、何をしてもいいという権利をあなたは持っている。ただし、騒いだり立ち歩いたり、隣の席に座っている人の同じ権利を侵害するようなことはしてはならない。自由は忍耐を内に含む概念であること、或いは自由と不自由は両義的一体性をもつこと、そこを理解できない者の自由は自由でなく放縦に過ぎないこと、さえ理解してもらえるならそれ以外の何も求めません。
 今担当している中3にも、最初の授業(初対面)で上述の権利について話しました。生徒の真面目さ優しさ、そして過去2年間の担任団の先生方のご指導があるからでしょう、多少の(時によっては結構な)寝落ちはあるけれども、私は授業中に一度も自分が喋る権利を剥奪されたことがありません。
 基本的には「板書と本文とを交互に見返せば理解十全となるだけの準備」ですしそれに応えるだけの生徒の「賢さ」ですから、今でも本当は私が授業で何かを喋る必要はないのですが、権利を与えられたならば別に喋るのが嫌なわけではありません。ですから、本文範読以外にも、例えば本文の内容に関する(生徒の生活の中における)具体例を幾つか挙げたり、過去既習の文章の概念との共通性(これって、あれじゃん)について説明したり、本文に関連して大学入試過去問の中から今の内に知っておいたら便利だと思われる概念を提示したり、時には雑談やくすぐりを入れたり……ぶっちゃけ、単に定期テストで点を取るだけなら必須だとは言えない(と私は考えている)こと……をつらつらと喋って、完全講義形式の50分を終えるのです。一方的な講義形式を選択し続けているのは、例えば発問をしたら返事が返って来るなど今でもとても信じられないからです。
 ベースが「授業というものは聞いてもらえないものだ」ですので、授業準備をしている時間及び授業中に心を占める感情の多くは不安と恥ずかしさと惨めさと……だったのですが、ここ数年、ちょっと楽しいと感じることも増えてきました。不向きも下手も、続けれさえすればなんとかなるということなのでしょう。当時のことは今でも時々、「授業開始時に『静かになったら始めます』と待ってたら終わりのチャイムがなった」とか、「日直に『号令お願いします』と言ったら生徒から『授業中に私語をするな』と言われた」とか、「担任のクラスで生徒に『黒板くらい消したら?』と言ったら『お前はウンコした後で人にケツを拭かせるか?』と聞き返された」とか、色々笑い話にして話すことで供養に代えています(何の「供養」なのかというと、その当時毎日殺していた私の「感情」の「供養」です)。
 念のために書いておきますが、当時の生徒に対して別段恨みがあるわけではありません(というか、一部とは今でもよく一緒に飲みに行く間柄です)。大体、私自身が高校47回生だったのですから、固より生徒はそういうものだということを知った上で就職したんですしね。

 さて、本日(定期テスト2日目)の日記。
 6時に学校入りして、始業前に昨日の校内模試国語(文系現代文)の採点を終了。出典は堀田新五郎「撤退は知性の証である」(2022)で、内田樹編『撤退論』所収。受験者数が67人と少なく2時間で採点集計まで終えられました。現役生浪人生とも平均は17.7/40(44%)。「半分弱でサインはV」(←昭和的駄洒落)が国語科的な理想なので今回は上手く行きました。
 始業後は、1限に中3(国語Ⅰ・現代文)の出題。2限以降はひたすらに採点ガシガシ。そうそう、冒頭から「授業」についての辛気くさ~い話をダラダラ書きましたけれども、定期・模試・入試の「作問・採点」という営みは就職初年度からず~っとひたすら楽しいばかりです。根っからの「クイズっ子」なんでしょうね。これも、最初の8年間(下積み時代?)に耐えられた理由の一つ。

 夜は、「愚痴吐くからつきあって」「ワン」という阿吽の成り行きで英語パイセンと居酒屋「A」へ。阿吽とは言い条、色々あって実はさしで飲むのは多分4、5年ぶり。私もお姉様も最初の内はドギマギでした……が、飲んでる内に解れてっつか解れきって、お姉様が2日後の教員飲み(私含めて3人)に突如乱入宣言をなさるなどお元気に(予約した懐石「G」に電話して頭を下げました)。

 という訳で、10/12は「自粛御膳」をお休み、居酒屋「A」で2人テーブル。
 小鉢~シーザーサラダ~カンパチ刺~串3本~梨甘酢漬け。

 三木那由他『言葉の展望台』読了、★★★★。

最後の幕が下りる時

 俳優のアンジェラ・ランズベリーの訃報。小学生の頃、母君とご一緒にNHKで『ジェシカおばさんの事件簿』を観る日だけは夜更かしがOKでした。「書くよりそっちの方に夢中になってしまうんです。どうしてこうなんでしょうねぇ」のオープニングは今でも諳んじることが出来ます。先日TVで放送された『メリー・ポピンズ リターンズ』は彼女が出演したラストシーンだけを録画保存しました。大好きなんです。合掌。

 恥ずかしながら無意識のうちに鼻歌を歌ってることが多いんですが、こないだ職員印刷室で事務作業をしながら「は~たらけ はたら~け~ は~たらけお~れ~♪」と「線路は続くよどこまでも」のメロディで歌ってたらしいのを後輩先生から「社畜感がヤバいしこっちにまで圧が」と窘められた私は、やはり息をするようにパワハラをする上司に当たるんでしょうか。

 7時前に職員室入り。時間割の雑務や、中3定期テストの平常点(←嫌いな制度ですけれど、仕方ないんです)を計算したりする仕事を始業まで。始業後は、定期テストの保健室受験が出たらその監督というのが今年度の仕事なのですが居なかったので職員室待機で机仕事。昨日の日記に書いた通り今日から4日間、高2以下は定期テストなのですが、高3は今日・明日で校内模試が行われます。私は本日の午後に行われる国語に文系専用の現代文を出題しているので、15時頃からはその採点業務にも取りかかれます(「取りかかり」じゃなくて「取りかかれ」、自作の問題は採点するのが楽しみなんです)。届いた答案50枚強(文系専用なので枚数は少ないです)をざっと見たら空欄が皆無、文系専用現代文は普通最後に解く大問だということを踏まえれば、文系受験生の時間経営はかなり巧みだということが判ります。

 定時で帰宅して入浴、炊事。

 10/11の「自粛御膳」。
 豆乳キムチうどん〜ホッケ焼き〜ミニトマト胡麻和え〜小鉢2種。
 614蔵目・秋田「天の戸」(純米吟醸)。
 授業もなく毎日半ドンという定期テストの4日間、嘗ては職員室のあらゆるコミュニティで飲み会の相談でしたが、コロナ以降はさっぱりです。ところが、ここに来て初めて4日の内3日が飲み会という新展開(明日から3連続で、同僚・卒業生・同僚)。勿論、全てさし飲みか3人かというコロナ仕様ではあるのですが、「新しい日常」などと僭称していた「暫定的日常」が漸く「本来の日常」に席を返上する狼煙かしらん、とホクホク。ですので、今夜は「冷蔵庫お掃除御膳」です。

 「本来の日常」と言えば、来週まで無事に過ごすことが出来れば、20日(木)から2泊3日で上京旅行(2年半ぶり!)です。
 『国宝展』のチケットは押さえた、会食は夜に2件・昼に1件で全ての店を予約した、池袋「ジュンク堂」は絶対に外せない……という段階で既にスケジュールはぎゅう詰めです。それなのに、新宿「中村屋サロン美術館」では『鴨居玲展 人間とは何か?』、渋谷「松濤美術館」では『装いの力 異性装の日本史』、原宿「太田記念美術館」では『はこぶ浮世絵 クルマ・船・鉄道』など犇めく。東京、凄ぇっすね。

よいところ こっくりこ こっくりこ

 連休、本日は土日のだらだらを返上して働く一日に。
 先ずは、自宅から徒歩15分、早朝の「星乃珈琲」で読書をしながらモーニング。その後、腹ごなしに30分程歩いて職員室入り10時半。明日から4日間、高2以下の5学年は第3回定期テストで、私は2日目(12日)に中3の出題(国語Ⅰ)があるのでその作成を。頭の中には既にアイディアがありましたが、本文を切った貼ったしたり設問を「一太郎」で打ち込んだりと物理的な作業が多く、作成・印刷・折り込みまで合わせた全作業時間は6時間弱でした。既に夕方。

 学校から徒歩25分で西鉄K駅。書店・スーパー・100均と覗き、最後に駅前の酒屋(我が家の「三河屋さん」こと「K酒店」)で2時間後に瓶ビール1ケースを届けてもらうようお願いしてバスで帰宅。入浴、炊事。だらだらと独酌(の間に、瓶ビールも届きました)。

 10/10の「自粛御膳」。
 おぼろうどん〜イカ煮付け〜味噌汁〜南蛮漬け。
 613蔵目・秋田「萌稲」(百田 純米酒)。

 ユーミン特集を2週連続で録画したらそのまま毎週録画になっていた『関ジャム』、飲みながら何となく流し観していたら楽しかった(この番組、面白いですね)。今回は「ミュージシャンあるあるトーク」みたいな緩いテーマだったのですが、SHISHAMOの宮崎朝子さんが披露した「リリース新曲の起動は1年前、最初のプレゼンでは推し曲を通すために敢えて引き立て役の捨て曲2曲も持って行く(大意)」という話が完全に模試・入試の検討会議。捨て曲が通りそうになって焦る時があるというのにも頷き過ぎて首がもげるかと思いました。

 平松洋子『焼き餃子と名画座』読了、★★★★★。今年中にまだ1~2冊は読み終わりそう。たった半年程度で、「こっくり」という言葉を一生分どころか来世の分まで見た気がします(平松エッセイのファンなら分かると思います)。

陽炎の様にゆらいでる約束の場所 はるか遠くの街

 来年1月のF中・F高入試が、数年ぶりに鹿児島の某校と別日程(両校の受験が可能)になるそう。何がどうなって決まったのかとか、塾や受験生の保護者の反応はどうなのかとか、そういうのは一切知りませんけれども、判っているのは端的に受験者が増えるということ。これ、監督・採点業務にダイレクトに響くのよ。中学入試採点……日付跨ぐのかなぁ。こちとら現場は親玉大学みたいなマークシート方式とかじゃないんだから、「受験料収入増加だ~」とか無邪気に喜んでられないんですのよ。手当を増やせ~! と言いたい。
 国語科の採点だけ深夜どこじゃない時間までかかった時に、以前コンビニおにぎりがどっさり差し入れられたことがあったんですけれども、私は食べないながらどんな味があるのか気になって手に取って見てみたら15分前に賞味期限が切れてたってことがありましたからね。あの時は「調べて買えやあっっ!」って吼えましたね、善意の差し入れに対してあれですけど。

 今日は午前中は書斎で軽めの机仕事、書き物。時間指定で秋田から日本酒が5本到着。昼前から準備をして、昼過ぎに軽くランチ酒です。
 10/9の「ランチ自粛御膳」。
 小鉢3種~秋刀魚塩焼き~一汁一菜。
 612蔵目・秋田「太平山」(澄月 純米吟醸)。

 軽めのお酒ですが2時間弱かけてゆったり。その後、お風呂に入ってから着替えて、小雨降る町を30分弱散歩して市内のカラオケボックスへ。10日後の上京ではオツカル様とカラオケデートのお約束ですから、レパートリー確認のため事前に予習をしておかなければなりません。
 何度か書いたことがありますが、オツカル様と2人でのカラオケでは、
 ①過去に一度歌った曲は二度と歌わない。
 ②同じ日に同一アーティストの曲を2曲以上歌わない。
 という鉄の掟があります。10年近くこれを続けて、お互いがお互いの前で歌えない曲は既に500曲に達しています。ですので、常に「新ネタ」(必ずしも新しい時代の曲でなくてもOK)に目を配っておかなければならないんです。本日の歌唱曲、以下。オツカル様の前で披露したことがないのは、①③④⑥⑦⑧⑬⑮の8曲だったかな。
 ①海道はじめ「スナッキーで踊ろう」(1968年)
 ②山下達郎「Bomber」(1978年)
 ③髙橋真梨子「はがゆい唇」(1992年)
 ④松任谷由実「時のないホテル」(1979年)
 ⑤山崎まさよし「名前のない鳥」(1997年)
 ⑥中島みゆき「流星」(1994年)
 ⑦フレデリック「YONA YONA DANCE」(2022年)
 ⑧研ナオコ「砂の舟」(1980年)
 ⑨おおたか静流「水の恋唄」(1995年)
 ⑩折坂悠太「朝顔」(2019年)
 ⑪中島みゆき「オリエンタル・ヴォイス」(2012年)
 ⑫中谷美紀「エアーポケット」(2001年)
 ⑬イルカ「いつか見る虹~”モルダウ”から~」(2008年)
 ⑭サザンオールスターズ「Bye Bye My Love(U are the One)」(1985年)
 ⑮松田聖子ガラスの林檎」(1983年)

 2時間歌って徒歩帰宅、入浴、書斎で書き物・仕事。その後は、一日の〆を今日も昨日と同じ席で。

 10/09の夜は自粛御膳をお休み、居酒屋「もりき」で連夜の独酌。
 小鉢2種~山芋鉄板(納豆入り)~マグロ刺。
 日本酒は、青森「華一風」~高知「桂月」~島根「王祿」。

私は愉快犯でやってると思ってた

 1限は東大文系コース、2~3限はその添削及び集計(答案は帰りのSHRで返却)、4限は時間割に関するデスクワーク。秋から埼玉で研修(弁護士の卵)という63回生Iくんが来校して旧担任団に挨拶、私も一言二言言葉を交わしました……っつっても月イチで(呼吸器内科医Mくんと3人で)飲んでますから、改まって話すこともなく「(11月に)研修に出発する前に、1回集まろっか?」という口約束程度。

 今日の午後から1日半は只管だらだらすることに決めています。昨日の内にニラポン酢(刻みニラ・大蒜・豆板醤・ポン酢)を仕込んでおいたので、それをつけダレにして湯豆腐(豆腐・えのき・白菜)を作ることに。鯛の切り身も入れて豪華。日本酒は先日一緒に飲んだ60回生Kくんから戴いた福岡「瑞穂菊」を開栓しました。〆のうどんまでを2時間以上かけてまったりと。前半は読書、後半はTV番組の録画。ベストアルバム発売のユーミンがTVに出まくっているのを消化しましたが、音楽番組はともかくバラエティに出演したものについては正直そこまでという印象(但し、清水ミチコが出ているシーンは別です。共存共栄)。
 洗い物まで終わらせて、入浴・書き物・1時間強の仮眠。起きたら「もりき」へ向かって一日の店じまい。

 10/8の夜は「自粛御膳」をお休みして「もりき」で飲み直し。
 小鉢~塩鯖焼き。
 久々のご来店だというHさんと長くお話。お犬様のご家族加入以来すっかりご無沙汰になってしまったホームパーティーも、年末年始辺りに出来ればいいねぇ、などと。

離れていても いつかきっと分かち合える

 先週末のオンラインクイズの時、出題した或る早押しクイズの問題文に「嚆矢・論駁」という2語を使ったら、JTCYさんから語彙が荒ぶっているというツッコミが入りました。自覚はありましたが、出題する相手がTQC出身のアラフォーなら無問題でしょ、と。多様な年齢層を想定してクイズを作っている方々は、語彙レベルや同音異義語やといったものにも細かく配慮なさっているのでしょうね。

 徒歩通勤が涼しいくらいの陽気に(漸く)なりましたが、本日は雨だったのでタクシー通勤。帰りはともかく、行きは濡れたくないんです。始業時にズボンの裾がぐっちょり……だったりしたら一気に仕事のやる気が下がりますので。
 授業は中3の現代文が4コマ。時間割・浪人生添削その他机仕事。

 10/7の「自粛御膳」。
 豚キムチ炒め~アラ煮~一汁一菜~ミニトマト胡麻和え。
 1日1食だから多少は量が多くても、とは言え食べ過ぎなのかなぁ(最近太り気味)。アラ煮と味噌汁とが残り物なので、豚キムチを作って飯炊き・胡麻擂りをするだけ、と作業はお手軽。土鍋を使って御飯を炊くのにはかなり慣れてきました。

その音色 思い出して欲しいと

 3時起床、書斎で昨日の漢文特講の添削の残り。入浴、6時過ぎに徒歩出勤。授業準備その他の机仕事を始業まで(早起きだったので時間にはかなり余裕がありました)。
 中3の授業は吉野弘「I was born」。1コマで終わらせても良かったのですが、余裕を持たせて2コマ。内容に関連した読み物として梶井基次郎桜の樹の下には」を配付するのですが、中3フロアのロッカーの上に何故か年度当初からずっと新潮文庫の『檸檬』が置かれていたのでそれを一寸拝借してコピーしました。担任団の先生に置かれている理由を伺ったら、或る先生が配付プリントや資料をロッカーの上に置くときに重しとして使っておられるとのこと。しゃれとんしゃあ。

 「16時オープン」、これだけでそのお店は酒飲みの味方だと知れます。1時間早いという背徳感、これがもう最高のツマミになる。
 そのお店には4~5年前に一度酔っ払った状態で誰かに連れられたことがあるのですが、そこででも飲んで深酔いした結果、名前も場所もスカッと忘れていたんですね。そのお店が明治通りの福銀近くにある居酒屋「S」だということを、そこが行きつけだという地理先生との何気ない会話を契機に知りまして。3時起床で働いた後の自炊は面倒だし、それなら今夜は「S」にリベンジ訪問だ、と勇んで16時の訪問。

 10/06は「自粛御膳」をお休み、六ツ門の居酒屋「S」で独酌。
 ちょい飲みセット(2杯3品)~アジフライサンド~湯豆腐、と1時間分の背徳感。
 コの字カウンターとテーブルで11席の小箱、16時オープンジャストに入店したので流石に私が最初の客でしたが、その後30分の間に3組4人が来店。酒飲み、多いな~。地理先生オススメのイワシフライサンド、今夜はアジフライバージョンだったのですがこれが得たりの逸品でした。日本酒は地元愛の揃え方、でしたが千葉「甲子」が置いてあるのは珍しく。店長さん(ワンオペ)のお気に入りなのだそう。

本当は行きたい逝きたいイキたい

 教科書教材の「城の崎にて」が好きじゃない(←個人の感想です)。辛気くさいだけで全然笑えなくない?(←個人の感想です)
 例えば私は高校で現代文をやるなら投げ込みで必ず中島敦「文字禍」を扱うんですが(「山月記」よりゃこっちだろ、と思う)、そういう作品みたくどっかにユーモアが入ってないと準備・授業をやっててもノれないんですね。国語科の先輩先生と。
 私「何だよ『フェータルなものか』って、と思っちゃうんですよね」
 先「そう? やったら生徒には流行るよ、フェータル」
 そういう盛り上げを起こすような授業スキル、私には無いんです。

 授業3コマは高3文系東大漢文、高3センター演習、放課後の理系東大漢文特講。コマ数は少ないけれども3つとも別々の教材で且つ東大2つについては添削が必要なので若干面倒(っつっても、センター演習は『国宝展』チケット確保のために自分で動かしたんですけれど)。こういう日は自炊をしない。
 始業前の1時間半で板書準備・時間割業務。授業2コマ以外の時間はデスクワーク(文系東大漢文添削・浪人生依頼添削・授業準備)、放課後は16~17時で理系東大特講、18時まで職員室で添削を少しだけ(残りは未明の書斎でやります)。

 10/05は「自粛御膳」をお休み、仕事着のまま退勤路の「もりき」に寄り道。
 小鉢3種~山芋短冊~掻き玉うどん。
 山梨県ワインセラーが作っている濁酒が入荷されており、これは私の未踏破蔵。今日は開けませんでしたが、開けたときは私の分を残しておいて欲しいとお願い。
 来週月曜(祭日)に「もりき」で常連の会をするそう。私も誘われたのですが、これはお断りをしました。木・金に卒業生・同僚との飲み会を控えているので大人数はご遠慮が必須……というか、まだ職場では5人以上の会食が認められていないんですよね。誘われた飲み会を(ダブルブッキング以外の理由で)断るというのは、コロナ禍前では考えられませんでした(20年間で1~2回あったかなかったかです)が。