遊びをせんとや生まれけむ

 5時入りで授業準備その他デスクワーク。本日は、1・2・3・5・6限がセンター授業、7・8限が文系東大現代文特講。空いている4限に卒業生から郵送の答案を添削して、昼休みは進路指導室のデータ引継業務。

 センター授業は01年本試験小説、津島佑子「水辺」。その冒頭3分で、太宰治の娘である二人の作家、異母姉妹の津島佑子太田治子とについて少しだけ話す。
 私「『斜陽』題材として日記を貸して欲しいと太田静子さんの家に訪れた太宰さん、その十月十日後に玉のような女の子。小説のタネを借りる代わりに子供/」
 生徒「それ言いたいだけやろ!」
 男クラでは上記、混クラでは「日記を借りたらなぜか子供を授かる」という表現に変わっております。

 放課後の東大特講は、初めての21世紀教材。ということは、問(五)120字要約がついている形式ということになります。解答だけで60分の時間をとりますが、初回だから間に合わないでしょう(果たして70分以上かかりました)。
 教材は、05年の三木清『哲学入門』。今回からいよいよ私の解答例の中に、真面目な(予備校やF校含めて他の高校の)先生なら絶対に作らない、上にそれが正しいという証拠なぞどこにもない物が混ざるようになり、解説も正答への近似狙いよりも東大への憧れが先に立った物になります。63回生は(渋々?)つき合った、64回生はどうでしょうね。

 その三木清『哲学入門』、05年入試当日の予備校発表で出典だけ聞いた時には「何でそんな古い教材を現代文で?」と訝ったものでしたが(まぁ、第四問小池昌代を「ズバ的」しちゃってたのに驚いてそっちは殆ど見えてなかったんですが)、後でじっくり解いてみたらこれがまた難問かつ良問だった。観念と現実、近代と現代、個人と社会……現代文における種々重要概念を次々繰り出してくる。で、56回生・58回生と高3現代文を担当して、昨年度いよいよ自分が担任を務める初めての高3(63回生)で現代文を担当、05年東大三木清の教材準備で本文を読み返して……気づいた時には「あっ!」と声が漏れました。私の問(五)解答、足りないわ。委細は省略しますが、これは東大が人文科学の果たす役割を宣言した問題だったのか、と。となると解説の次元が変わる、解説が変わるなら解答例も変わる(私は解説を決めてから、それに合わせて解答例を作ります)。
 63回生理系特講で、新しい解答・解説とを使いました。ら、生徒解答後に配布した解説資料で私の作った解答例をご覧になった最前列のTくん(激励会クラス代表)が苦笑なさったのを見て、方向性の正しさを確信しました。これは「参ったな」の笑い、生徒にこの表情をさせたら成功です。実際、この夏に配布する「合格体験記」で、Tくんは05年の問題は特に良問であると評価して下さいまして。
 たかだか教員12年目、高3担当もまだ8回目(現代文は4回目)なので確言はできかねますが、東大・京大の現代文に関して言えば、教員(要するに私)が狙うべきは正答への近似ではないと思っています。ましてや、方法論の教授でもない。出来ない故の悔し紛れだろが、って言われたらまぁそうなんですが、じゃあ何を狙うべきかって言われたらそりゃ当該の大学への畏れ/恐れ、そして憧れ、への共鳴です。「これが正解」「こうすれば解ける」の上から目線は開示得点の高い教科科目にお任せして、点をくれない教科科目については先ず仰いでみましょうよ、と。

 でもって、仰いでみましょうとか言いながら。
 講義の資料は勿論三木清『哲学入門』『人生論ノート』なのですが、その最後に1枚、山本夏彦『世は〆切』。その中で山本氏は、三木清の死から5年後の今日出海三木清における人間の研究」を取り上げ、報道班員としてマニラに徴用された三木清の醜態(手淫の話、嫉妬の話)を具に書いた。去年63回生の特講では生徒からツッコミ。
 Iくん「どうしてこれを。最後に入れたら台無しなのでは?」
 照れ隠しです。

 さて、本日の64回生特講。先ず70分の解答……で案の定生徒は疲労困憊。63回生の時もそういう風になりました。40分間で取り憑かれたように解説をして、講義は18時少し前に終了。前述センター授業で「それ言いたいだけやろ!」のツッコミをした某氏、今回記述に最も難渋しておられましたが、東大特講に関して謂ひて曰はく、「理解して書きたいことはあるけれども、言葉に出来ない」 私「本文にあるとおり、可能的徳はまだ徳じゃない、現実的に客観化された物を生み出して初めて有徳」
 本文コピペ癖のある生徒が、やがてそれでは点にならないと知り自己の文体を確立しようとした時、立ち向かう本文の難解さを前にして何も書けなくなる。特講初期には、生徒が「絶句」する答案がたくさんです。ですが、たとえ点数は同じでも、本文コピペの饒舌より絶句の方が遙かに輝いて見える。文体を煉る緊張については、過去2回の東大特講で扱った88年鈴木忠志も84年西部邁も言っている通り。それが「最も高度な遊び」だ、と知って大学に入るのと知らずに入るのとではその先が違うんですから。この言、「自戒」は込めていません。東大卒業生としての「後悔」を込めてます。