次の一歩日進月歩 必死でしょ!? って必死だよ!

 1時に目が覚めて、2時に目が覚めてここがピーク。どれだけ寝ようとしても目が冴えて、ベッドでスマホを弄っても全く楽しめず(取り敢えず、スマホのトップ画面に東大・京大の合格発表のリンクは張りました)、これはもう無理だと諦めて書斎で仕事を始めたらこれが捗ること捗ること。来年度6月に出題する第1回校内模試の問題・解答用紙・解答解説が完成してしまいました。今日合否が発表になる東大・京大組にはこの問題を受験することになる人も複数人出てきますが、後期の添削とは違い特定の誰かを念頭においた作業では無かったので、これはギリギリで「呪い」にはなってない、はず。
 模試を作り終えたらいつも通りの入浴の時間。その後で母君にお薬と食事(リクエストにより雑炊)とをお出しして、洗い物まで終えてから出勤……したんだけれどもやることがねぇ。というか何か作業をしようとしても手につかねぇ(書斎では仕事に没頭できましたが、職員室に入ると一気に緊張感が高まってきました)。どれくらい緊張していたかというと、8時の職員室に私以外誰も居ないのに気づいて理由が解らずプチパニックになり、5分経って漸く今日が日曜日だったことに気づいて「そうだよ、だって斉藤由貴だったじゃん!」という訳の分からない叫びを職員室に響かせた程です。朝のリビングで観たフジTVのトーク番組で、新婚の竹内結子斉藤由貴をぶつけるというスリリングなことをやってて、7時からあの番組をやってたならそれは日曜日だということに当然気づいて然るべきだ、という意味の叫びでした。

 さて、外は雨。63回生担任だった時は、主任化学先生が究極の雨男で3月10日に雪を降らせた(だから下馬評を覆して東大現役30人をたたき出した)んですが、今日の雨はなんでしょうね。嬉し涙の雨だったらいいんですけれど。ネクタイは67回生Tさんから贈られた縁起物、国語科恩師先生からのネクタイピンも。
 落ち着きがないのは私だけで、他の担任団の先生は11時頃までいらっしゃらないおつもりの様子(東大は12時、京大は13時の発表です)。私は、その11時頃に学校を離れて自宅に戻り母君の昼食を作成するという役割があります。
 そうそう、進路指導室事務嬢さんも8時半の日曜出勤だったわ、と進路指導室に行って駄弁につき合って戴く。この時、事務嬢さんに「率直に言って、東大、どのくらいだと考えているんですか?」と聞かれ、「学校的な目標は現役30、届いたら嬉しいのは現役25、私の予想は悪くて現役19、良くて現役27」と答えています。嬢「ホリエモンも受けてるんですよね?」 私「らしいですね。受験番号を把握してないからウチでは合否は判りませんけど、ワイドショーが教えてくれるでしょう」 私はホリエモン先輩が合格するとは全く考えていませんが、センター試験足切りにかからなかったということはご立派なことだと認識しています。

 11時に学校を出ようとして野暮用に掬われて遅れ、タクシーを呼ぼうとしたらどこも出払っており、という不運が重なって、一旦自宅に戻れたのが11時40分を過ぎていました。慌てて食事を出して(コンビニのおでんを使って手抜きをしました)、再びタクシーで学校に戻った時には12時を大分回っており、タクシーを降りたら進路指導室まで疾駆。室内に飛び込んだら、67回生・66回生の担任団を中心に大勢の先生方が集まっており、最初に目が合った英語科パイセンが「文系、14人」と仰ったのにいきなり涙腺をやられそうになり。
 ネット上に科類毎の合格者の番号がアップされるので、事前に学校に知らされている現役生・卒業生(浪人生の番号は、予備校などから集まります)と照合していきます。担当の先生が「Aくん、○」「Bさん、○」「Cくん、×」「Dさん、×」とフルネームと○×とを淡々と読み上げていくのですね。63回生の担任団は一々「うををををををっっっっっっっっっ!」と雄叫びを上げて凄まじかった思い出があります(詳しくは、2015年3月10日の日記をどうぞ)が、67回生の担任団は静かに驚き感動するタイプで、雄叫びというよりもため息に近い印象。
 私が到着した時には文系(文Ⅰ~文Ⅲ)の○×が終わっており、A組・B組文系には全て○×がついていました。10人行けば御の字だと思っていたら14人も合格しており、B組からも3人の合格者が出ています。で、B組の理系からは東大受験者が3人しか出ていないので、その3人の合否に一喜一憂する以外は、C組・D組・E組という理系クラスの生徒の合否を(割と客観的に)記録していくという作業が続くのです、が、異変はここで起こりました。
 理Ⅰの合否判定で、「Eくん、○」「Fくん、○」「Gくん、○」「Hくん、○」「Iくん、○」……と、読み上げの先生の口から「マル」という言葉しか出てこないのです。途中で全員の脳裏にクエスチョンマークが浮かんだことが部屋の雰囲気から察せられたのですが、最初にはっきり口に出したのは英語科パイセンでした。「なんかマルしか言ってなくない? おかしくない?」

 理Ⅲ受験者が居なかったので、理Ⅰ・理Ⅱの○×をつけたら作業は終わるのですが、いざつけ終わった後でさあ合計を出そうとするまでに妙な間が空いたのを覚えています。以下、会話のみ。
 数「文Ⅰが4人、文Ⅱが5人、文Ⅲが5人、理Ⅰが18人、理Ⅱが4人」
 英「……26人ですね。凄い!」
 皆「「「「「「………………」」」」」」
 数「いや、あの、違う」
 社「36人じゃない?」
 英「は? 何言ってるんですかそんなはずないでしょう。26人ですよ」
 数「いや、36人よ」
 英「36人?……あ、現役と浪人と合わせてですね? それ、凄い!」
 体「現浪で36人、って凄くないですか?」
 社「いやいやいやいやいやいや、現役だけで36人だって」
 英「いやいやいやいやいやいやそんなはずない何かの間違いですって」
 数「いや36だって。文Ⅰが4やろ、文Ⅱが……」
 えっと、これは、英語パイセンをディスってるんじゃないです。私も同じだったから。少なくとも私はこの間フリーズ絶句して一言も口をきけなかったですね。ちょっと俄には信じられないというのを、パイセンは口に出して私は口に出さなかったというだけで、パニックというか混乱というか流石にそれは信じられないだろうというやつだったのは同じで、要するに思考回路はショート寸前。
 何度も何度も数え直して、果たして結果が現役36人、浪人12人、合計48人だと全員が納得した瞬間、漸く主任地理先生が歓びを爆発させました。握手喝采拍手抱擁。因みに、後に更に浪人生の合格が2人判明し、最終的な合格者は全部で50人になっています。
 B組からは、東京は「O中学」からの転勤組Aさん、経済一直線で警備P長のSくん、女子にして数学無双のHさん、という文系3人と、ハシビロコウの寡黙ながら現代文の穎脱が印象的な理系Tくん、という4人が合格。

 B組の東大合格組に御目出度うの電話をかけ終わる頃には、そろそろ京大の合格発表の準備をしなければという時間になっていましたが、東大受験者が少ないB組を除く別の4クラスの担任の先生方はとても1時間では御目出度うコールを終えきることが出来ず、私が一足先に進路指導室に向かいながら、140字縛りを己に課しているTwitterで初めて「圧勝」とだけ呟きました。
 京大の発表は受験者が少ないので(身も蓋もない言い方をすれば東大ほどメジャーではないので)集まった教員は多くはなく、それでも「Jくん、○」「Kくん、○」のたびに小さな歓声が沸きます。B組からは、国際言語学五輪日本代表Sくん、兄妹の63回生・67回生で担任を務めたMさん、そして元高1A寮生不思議クンYくんの3人が合格しました。

 へぇ、B組って、東大が4人、京大が3人、九大医学部が5人、全部で12人も居るのか、凄いなぁ……と考えてたら、ふと気づく。あら、67回生って、前期でどんだけ合格してんのかしら?
 東大36人、京大8人、国公立医学部30人……ごごご、合計74人っ!? 後期で医学部が増えたら、この3つだけで80人とか行っちゃうのっ!? ここ、どこの高校だよ!? 勿論、私大に進学する人もいますし、国公立の非医学部に進学する人もいます。あぁ、これ、全部合わせたら100人なんて簡単に超えちゃいますね。私、F校はずっと「半分(67回生なら202人中101人)が浪人する学校」だと思ってたんですけど、それって古かったんですかね。
 全部数えたら、B組、前期終了時点で41人中23人が大学進学を確定させていました。63回生A組の担任時には、43人の卒業生に対して現役で大学に進学したのは20人を下回っています。

 歓びを爆発させながら凱旋してきた生徒に声をかけたり、発表直後からガシガシと添削を始めた後期小論文を返しながら受験生とやり取りしたり、表情を作るのが難しいですが今日はそんな日だと始めから解っています。
 16時に一旦自宅に帰り、今日は母君にもお祝い気分のお裾分けでお寿司の出前で夕食。自宅を出て17時に市内の某ホテル、今日は「F校のいちばん長い日」であるところの3月10日恒例、入試慰労会(担任団や授業担当者を慰労しつつ、来年度への決意を誓う学校の公式行事)です。今年は流石に祝勝会と言って過言ではない。40人を上回る参加者は盛り上がりに盛り上がり、二次会は私が予約して20人超で市内の居酒屋「K」にて更に飲み放題。更に更に三次会は私が予約して10人超で「K」から徒歩3分のイタリアン「C」。ただ、3月1日の夜と同じですが、私は参加者を全員お店にご案内した後、一足お先に自宅へ戻らせて貰いました。明日の母君の朝食準備がありますし(主婦か)、午前中には学校で後期小論文の添削面談があります(教師か)。

 タクシーの座席。独りになったら頭が冷えます。大変な人数を出してしまいました。これは今年だけ? それとも学校自体が変化する兆候?
 1990年、アルバム『天国のドア』で史上初のダブルミリオンセールスを達成したユーミンは、夫の正隆氏と抱き合って震えたといいます。歓びではなく、恐怖で。絶頂期に至ったら後は下るしかない。
 今年の記録は「天国のドア」なんでしょうか。少なくとも、68回生(現高2)の担任団は戦々恐々としておられるはずです。入試の場合、どんな祝勝会でも完全無欠に喜べないのは落ちた人が居るからというのが常ですが、今年の場合はそれに加えて「出過ぎた」というのがあります。私は現高2とは一度も関わったことがないので彼らがどのような力を持っているのか全く知らないのですが、今年の結果が何らかの「圧」になるのは間違いないでしょう。今年だけの結果なのか、その「圧」に耐えた68回生がそれに続く(即ち、中学男女共学と共に学校そのものが変わり始めた最初の年だった)のか。
 あぁ、となったら、新高3、授業に行きたいなぁ……と思ったら、タクシーの運転手さんに「えっ、どこへですか?」と訊かれてしまいました。声に出とるがな。