友よ、また会おう

 6時半起床、母君の朝食を作成してから入浴。上京の荷物、母君の入院の荷物、の入れ忘れがないかを確認して、8時過ぎにタクシーを呼びました。本日は、母君が月一で通う「S病院」にて主治医のY先生に診て頂いて(お薬も頂いて)、そのままタクシーで「S醫院」に向かい母君は4泊の入院(名目は検査入院、私にとってはレスパイト入院?)、その後私は「S醫院」から徒歩10分弱のバス停から福岡空港に向かう、という流れ。

 ところが、「S病院」の受付でアクシデントが発生。前回の健診の時にY先生には上京のことをお話しし、朝一で検査(採血とレントゲンと)・診察のお約束をしていたのですが、受付の事務員氏から「待った」をかけられました。もう1年以上続いている健診でそんなことを言われるのは初めてなので理由を聞いたら、事務員氏も余りよく判っていないような顔で「『S醫院』のS先生から紹介状が届く予定なので」と。
 意味が判りません。だって、母君はS先生の往診を受けた経験こそあれ「S醫院」を受診したことはなく、かかりつけはこの「S病院」のY先生なんですから。ですのでそういう事情だということを事務員氏に説明したのですが、連携室から事務に連絡があるまで待て、の一点張り。今「S醫院」にFAXを請求している、と待たされて20分、FAXがまだ来ない、と待たされて30分。母君が不安そうでいらっしゃるので私は我慢しましたが、1時間待たされていい加減キレ気味の私の様子を見兼ねて、予定していた検査(採血とレントゲンと)だけを渋々といった様子で先に受けさせて貰えることになりました。母君の検査中に、私が直接「S醫院」の方に電話して受け付けに確認を要求したのですがこちらも要領を得ません。
 で、2つの検査を終了した時点で時間切れに。これ以上「S病院」に滞在していたら私が飛行機に乗り遅れることになりそうです。そこで、Y先生の診察をスルーして「S醫院」に移動することにしてタクシーを予約。病院入口でタクシーを待っていたら、先程の事務員氏が看護師とともに血相を変えて飛んできて、「勝手に帰られたら困ります(大意)」と。私の我慢はここで限界に達して、「ここ、かかりつけ医に紹介状を書く人なんて居ないという判断が出来ない程度のスタッフしか居ないんですか?」
 殆ど半泣きで懇願されてY先生の診察を受けます。Y先生に謝られましたが、Y先生はお悪くありません。検査の結果は異常なし(脳の腫瘍以外の進行はなし)で、いつものお薬を処方して頂き、一ヶ月後に定期の健診を受けるという予約。診察室の外で待っておられた先程の事務員氏に会計の時間も薬が用意されるのを待つ時間も無いことを告げ(会計は後日、薬は「S醫院」で出して貰えそう)てタクシーへ。
 「S醫院」に入って、入院手続き色々……ですが殆ど全て早送り(書類は草書、印鑑は逆、TVカードは現金を託け、病衣の要不要はその場で適宜判断するよう指示)で、念を入れたのは母君が私からの携帯着信を誤らず受ける練習だけ(今は、これが難しい状態です)。S先生(F校の先輩)にも謝られましたが、先生もお悪くありません。今日(あくまで、今日)ポンコツだったのは2つの病院の連携です。
 そうそう、母君の入院準備をしている途中、偶然「S醫院」を訪れていたケアマネIさんとお会いしました。Iさんは母君の(要支援時代の)担当だった方。その当時はお元気に歩いておられた母君の変わりよう(車椅子)をご覧になって驚かれたご様子。私「随分でしょう?」 I「正直、驚きました」 私「S先生からは、そろそろ薬を変える時ではないかとのお言葉が」 I「それで入院ですか?」 私「いえ、今日は私が家を空ける5日間を使った検査入院のようなもので」 I「じゃあ、今のあの状態でもご自宅でご一緒に」 私「一応。出来るだけ……」 I「ご自宅で看取られる?」 私「判りません。安全第一で」 I「そうですか」 ベテランのケアマネさんの目で見て「看取り」という言葉が出てくる程なのかと、多分顔には出なかったと思いますが少し驚きました。 I「S先生とはもうお話を?」 私「はい、一度往診でお世話に」 I「個性がお強いでしょう?」 私「典型的なF校生ですね。後輩なので、判ります」 I「私、今からS先生と打ち合わせで」 私「患者と家族に優しくて同業者に厳しい、とか?」 I「慧眼!」 二人で大笑いです。

 さて、S病院からは全力疾走で高速バス乗り場へ。疾駆5分で汗だるま、「S醫院」に入るまでは私と母君との4泊分の荷物を抱えて車椅子を押してた訳ですが、今だって自分の旅行鞄は抱えてますからね。バス停横の自販機でペットボトルのお茶を買ったタイミングで、これを逃したら飛行機に乗れないというバスが到着しました。バスにさえ乗れれば、冷房一発で機嫌は完全回復、さぁ、遊ぶぞ!(親不孝が服着てます)
 空港では国語科先輩先生とすれ違い、放送で60回生某氏の名前が呼ばれました(同姓同名かも知れませんが)。手荷物検査を潜った先にある、日本一入りづらい「一蘭」にてサクッとランチビール(久しぶりにえったんこ飯、写メをオツカル様に送信)。上京旅行恒例の人生初イベントは「かた麺」チャレンジで、感想は「やっぱりラーメンは普通がいちばん!」
 離陸10分前に店を出て5分前に搭乗口に着いたら最終搭乗者でした。皆、そんなに急いでどうすんの? と思ったのですが、飛行機素人なので自分の方に常識が足りないのかも知れないという自意識はあります。飛行機は羽田に予定通りの時刻に着陸し、滑走路でもたついてました。その間に、オツカル様(今夜)・63回生Eくん(明朝)との待ち合わせ連絡。今夜は下北沢で高橋徹也のライブ、明朝は原宿の太田美術館に行きます。

 池袋の定宿にチェックインしてから大浴場で軽く汗を流し、初日夜にしてハイライトと言っても良いオツカル様とのライブデートへ。待ち合わせは下北沢の駅前、会場はそこから徒歩10分弱のライブハウス「下北沢440」です。初だというトリオ編成ワンマン『Long Hot Summer』、高橋徹也(vo,g)、鹿島達也(b)、脇山広介(dr)。
 ①スタイル ②Summer Soft Soul ③サマーパレードの思い出 ④憧れモンスター ⑤in the mood ⑥Night Slider ⑦La Fiesta ⑧夜明け前のブルース ⑨かっこいい車 ⑩チャイナカフェ ⑪ハロウィンベイビー ⑫グッドバイ グッドバイ グッドバイ ⑬醒めない夢 ⑭新しい世界 ⑮大統領夫人と棺 ⑯真っ赤な車 ⑰怪物
 座席には座らずに最後尾で立って鑑賞、アンコールは見ずに店を出る贅沢にも最近は慣れました。多分「友よ、また会おう」を歌ったんだろうなぁ、と予想していたんですが、後で本人のblogを確認したらそれに加えて「My Favourite Girl」というまさかのデビュー曲も披露していたそうでこっちはちょっと観たかったかも。オツカル様は高橋徹也を一度も聴いたことが無い状態での鑑賞、ですので私、物販で『夜に生きるもの/ベッドタウン』を購入してプレゼントする配布芸。これを買うのは5枚目で、内訳は自分用、保存用、昨年ライブ同行の63回生Eくん・Mくん用、そして今日です。因みに、オツカル様から「どんな人なの?」という質問を受けた時には「20年選手のシンガーソングライターで、ポップスターを目指すはずが最初期のライブの観客アンケートに『なんちゃって小沢健二』と書かれたのに激昂してから闇落ちした人」と答えました。3年で「ウツぬけ」した後の作風も嫌いじゃないんですが、やっぱり闇堕ち期の作品が最高です。今夜は⑩⑫⑭⑯あたりが嬉しく(⑭でちょっと喉が逝っちゃったのが残念)。オツカル様の感想は、「もっと変なのを予想してたら普通に良い曲があった」というのと「MCがなんか20年選手っぽかった」というのと。どちらも(特に後者)、分かる。

 下北沢から新宿に移動して、西口の「ニッポンマグロ漁船団」へ。ここは67回生東大応援出張の下見慰労会でも好評だった、「和民」系列の隠し球。生の大と中とを最初に注文したら当然のように大がオツカル様の前に置かれました(体型比較による判断でしょうが、実際は逆です)。えったんこ飯(絵恋ちゃんのアクキーと料理とを一緒に写メるオタクの行為)と馬鹿話とを2時間たっぷり楽しみました。オツカル様は流石の嗅覚で、2つ隣に座っているスーツの一団がアイドルオタク同士であることを見抜いた様子。漏れ聞こえてきた幾つかの単語で「出来る!」と判ったそう。

 考えたら私、、同僚と飲むときには仕事の話しかせず、同僚以外と飲むのは殆どが卒業生だからF校や彼らの大学生活の話しかせず、後はどっかのお店で読書独酌をしてるだけ、って感じです。Hさん始め「もりき」の方々と飲む時には聞き役の若輩で、私が仕事以外の話を積極的に披露する相手って、もしかしたらオツカル様(を始めとするTQC勢)くらいしか居ないんじゃないでしょうか。命の洗濯たる所以。
 ホテルで健康睡眠。