そりゃないぜ だけど懲りないぜ 明日の夜も

 昨日は3時前に起床だったのが効いたのか、猛烈な腹痛をより猛烈な眠気が上回ったらしく、最後にトイレに行った2時半以降の記憶が無く、ふと気がついたら7時半でした。察するに、私は5時間程眠っていたようですね。熱は下がっている様子(掌は少しだけ熱いですが)、吐き気はなし、腹痛は昨日ほどではないけれども少し。
 ベッドの中で検索したら、ホテルから徒歩10分のところに土曜日も受診可能なクリニックがあるということで、部屋のバスルームでシャワーを浴びた後、着替えてそこへ一番乗りしました。

 東京で通院するのは初めてです。大学の5年間でもついぞ無かったことです、歳を取りましたねぇ。Hさんはコロナだとかインフルエンザだとかそういうことをご心配の様子でしたが、まさか「胃腸炎」だとは思いませんでした。熱は36.0℃の平熱、ここ数日で食べたものを細かく訊ねられた後、優しそうな女医さんから整腸剤と吐き気止めとを処方して頂きました。生徒引率の出張である旨を告げて念のために確認したのですが、人に伝染す病気ではないから対人は無問題と言われて安堵。日曜日に「エコノミクス甲子園」が感染できなかったら大変な話ですし、というか飛行機に乗れないなんてことになったら大変ですから。
 代々木「オリンピックセンター」に宿泊缶詰で「エコノミクス甲子園」全国大会に参加している生徒2人と連絡。元気そうで何より、っつかこっちが体調不良というのが情けない。

 そうと判れば俄然元気が出てきました(お腹は、ちょっと痛いけど)。早速薬局で薬を出してもらいます。母君も活用なさっていた「お薬手帳」というのを生まれて初めて作って頂き、出されたお薬の朝の分はその場でお水を貰って飲みました。これで万全でしょう。
 池袋から山手線で原宿駅。まだ色々な施設が開く前の時間だったので、時間潰しは「星乃珈琲店」にて。カフェラテを注文したら、週末朝だけのサービスということでミニパンケーキがついてきました。ここのパンケーキは一度は食べたいと思っていたのですが、完食できそうになくてこれまでずっと躊躇っていたのです。ラッキー(腹痛の日じゃなかったら最高だったんですが)。読書は恩田陸『ドミノin上海』、プロローグだけで20年前(前作)の興奮の記憶が身体に蘇ります。

 本日の目当ては、「太田記念美術館」の開館40周年を記念した「肉筆浮世絵名品展 -歌麿北斎・応為-」なんですが、流石は「名品展」というだけあって、10分前に到着したら既に行列、到着後の10分で人が膨れ上がって、開館時に100人規模の人が集まっていました。この美術館でこの人出は初めてです。
 版画ではなく一点物の肉筆画、北斎「雨中の虎」と応為「吉原格子先之図」とが揃っているのが一番の売りなんですかね。没年90歳にして虎と龍(←こちらは海外の美術館所蔵だそう)とが対面する一対を描き上げた北斎と、その北斎をして「美人画では自分より上(大意)」と言わしめた娘の応為……書きながら思考が「クイズ問題の成文化」寄りになりそうなのが昔の傷です。
 視聴覚コーナーでは江戸~開化期の浮世絵の歴史を概観しつつ「太田美術館」の作品を紹介する長いビデオが流れていて、休憩(繰り返しますが、ポンポンは痛いんです)がてら観たその映像が期待以上に密度が濃くて良かったです。肝心の展示は、ごった返す人の後方から作品を遠目で眺める高身長の義務みたいな見方で。

 2時間弱で美術館を出た時点(の体感)で今日の体力の半分ほどを消費していたので、昼食は宮崎うどん「禅」で鍋焼きを。ここのお水で昼の分のお薬も飲んだら、次に向かったのは神保町。体力が無い時は遊びではなくて実用、買い物に限る……と古本街を散策している内に、身体が段々回復してきたのが(正に身を以て)解り始めました。大病ではなく単なる胃腸炎なんですから長々と煩っても無意味ですし、そろそろ身体が(たまの)不調に飽き始めたんでしょうね。

 そうと解れば弱気も逃げ腰も不要、ホテルに帰って大浴場で入浴、念のために1時間だけ仮眠、の後は元気に飲み会に出掛けます。今日のお相手は61回生4人、店は池袋の居酒屋「和酒酔処 わく」です。「わっしょいどころ」という名前は……ですが、日本酒は拘り、料理は旨い。
 本日全員社会人。私より稼ぐ人ばっかりですから「偶然手足が生えてる財布」みたいな扱いをされずに済みます。本日の卒業生4人は、①会社員(大阪から東京に戻って池袋のベンチャーに出向中)、②研修医(今朝まで当直で、偶然にも私と同じ症状でやって来た胃腸炎の患者を診たとか)、③内閣府(桜問題とコロナとの波状攻撃で、現在は9時~5時の20時間勤務もザラ)、④私学共済(昨秋の宮崎旅行では運転手サンクス。今日は、数学科某先生から途中退職した場合の退職金額の調査依頼を持ってきました)。

 内閣府からは「×××は歩くのがやっとのヨイヨイ」とか、研修医からは「泥酔した×××が運び込まれたことがある」とか、割と伏せ字感の強い逸話を肴に、しかし61回生4人、あんたら吞み過ぎ。私が胃腸炎上がりで抑えてたのもあるけれど、全員が私(生2杯、酒3合)より量を飲んだ宴会は卒業生史上二十日も知れません。「わく」の店員さん、途中からちょっとウンザリしてましたからね。

 で、飲んでる間に右肩上がりに元気になってきた私が、2軒目に4人を連れて行ったのは、入ってすぐに目が合った店員さんに笑われました、24時間ぶりの「知音食堂」(私じゃなくて私学共済のリクエスト)。前夜と全く同じテーブルの全く同じ席に座って、前夜と同様に人数分の青島麦酒を注文し、「えっと、麻婆/」と言い終わる前に店員さんに「麻婆豆腐、辛いのやつね!」と再び笑われ、届いた麻婆豆腐の山椒地獄に全員の舌が焼き殺されるという定例の儀式を滞りなく遂行しました。
 後で、嘗ての「知音」仲間だった55回生Tくん(今は海外出張中)に「この美味しいものを辛さで洗い流す儀式いつまでやるんすか」と窘められました。というかね、昨日の「知音」も私の提案じゃないのよ。「知音食堂」人気が私の手を離れて独り歩きしてるのよ。止められないのよ。と言い訳。必ず「麻婆豆腐、いちばん辛いの!」と注文してるのは私なんですけども。

 終電の1、2本前に解散(働きづめの内閣府が寝落ちしてましたし)。
 ホテルに戻って、うん、健康睡眠!