どこから夢どこまで夢ねじれた糸が切れる

 昨日準備した白出汁ベースの浅漬けが良い感じに漬かったんですけれども、昨夜も今夜も外食で食べる人が居ない……と思いかけてから私には単親ながら肉親が居るということに思い至り、一年経て親不孝治せず、どうしょうもありませんね。京都は「今宵堂」で購入した酒器肴器は、お供えにも使えて最高です。いつもの御飯・湯茶に添えて。

 「今夜も外食」というのは一昨日の日記にも書いた64回生Iさん・Tくんという2人の実習生の歓迎会。っつっても、私は彼彼女の指導教官ではなく教育実習には携わっていない一教員(敢えて言うならば、彼らの実習に合わせて時間割変更を担当する立場ではありますね)。実習中に、担当でもない教員が、実習生を飲みに連れて行く、というのが全国的に考えて珍しいことなのかどうかは知りませんが、少なくともF校では「あるある」ですね。20年前に実習生だった私も、当時寮監長だった超ベテラン数学先生(47回生だった私の担任団で、高1の時は担任だった先生)と高校寮で飲んだりしてました。
 店は、Tくんが中華をリクエストしたので、ちょっと斜に受け取って餃子「T」を選択。鉄鍋餃子と中華(風)料理、お酒は種々豊富で大変使い勝手が良く。実習生を連れて行くと、授業の失敗についての泣き言だったり、職員室や担当教員・学年に対する愚痴だったり、もうちょっと広い意味の学校批判だったり、若さと酔いとで色々出てくるんですけれども(当方、引き出すのは得意なので)、今日の2人はまだ動き出したばかりだというのもあって暗めの話題は一切無く。というか、2人とも今日が初授業だったそうですが、ど緊張で全く記憶が無いという感想が共通。若くて眩しいですね(こちらは自分も実習の時にそうだったかどうかの記憶が無い、という老いっぷりです。

 私の実習は20年くらい前、確か53回生の高2現代文に入ったんですよねぇ。就職して以降は一切無視していますけれども、授業では教師用指導書を参考に(というかそれに丸々従って)準備を進めてたりしました。だから全然面白くない。ただ、あの実習が就職試験な(教員免許を取れるかじゃなくて、F校に就職させて貰えるかという3週間の試験だった)のですから、当時は被れるものは何でも被って振る舞ってたんじゃないかと思います(あんまり記憶が無いですが)。
 実習に関して覚えていることは少なくて、研究授業で「『HUNTER×HUNTER』と『ボボボーボ・ボーボボ』が入ってないジャンプはジャンプじゃない」と発言して爆笑をさらったこととか、配属クラス(当時は男子校)からの最終日の寄せ書きに誰かが「2万でどう?」と書いていたのに「一桁違うわヴォケっ!」と返したこととくらいでしょうか。あ、何故だか見てくれが似てると思われたのか当時生徒から「俊輔」と呼ばれていました(サッカー選手ですよね)。

 あ、今日もみっちり働いてるんですよ。でも、3~7限の授業(喋りっぱなし書きっぱなし)をマスクつけて走り抜けたんで、脳の酸素が足りなくなったのか途中から記憶が無くなってしまって。
 でもって、餃子「T」での64回生2人との飲み会は、そのままそこから徒歩2分の居酒屋「K」に場所を移して少しだけ。何せ「T」には未踏破の日本酒がありませんもので、日本酒で有名な「K」で今日の分のノルマを押さえておかなくてはなりませんので。秋田「山本」(純米吟醸)。

 回想にそこそこの字数を使ってる日記っつーのは、要するに当日の記憶が薄いのを補完弥縫してるっつーことですよね……二次会からの帰り辺りから記憶がねぇ。
 老いと酔いとには気をつけないと、ですねぇ。