SUPER PHOENIX, FLY INTO THE FLASHING WORLD!

 中島みゆきの2枚組ベスト『ここにいるよ』、ユーミンの新譜と発売が丸被りなんですね。ユーミンオリコン週間1位の芽は消えたかなぁ(1970・80・90・00・10年代というアルバム週間1位獲得の年代記録を全アーティスト単独首位の「6」に伸ばすチャンスだったんですが、お預けになりそう)。
 でもって、みゆきさんの2枚組、それぞれが「エール盤/寄り添い盤」と名付けられています。これは、『紅白』出演の匂わせなんでしょうか。以前「麦の唄」での出演時は歌詞に「嵐吹く大地も 嵐吹く時代も」とのフレーズがあって匂わせ気味でしたけれども(って、穿ち過ぎですかね)。

 さて、高2は今日明日が外部模試で授業無し。そこで、本日午後及び明日、計1.5日の年休を取って宮崎までの平日小旅行を決行することにしました(1泊2日です)。

 3時起床、昨日の特講の答案を添削、入浴・母君のお供え。出勤時の格好はYシャツでなく黒のTシャツの上にジャケット、仕事舐めてんのかという話ですが授業無しで外部模試監督だけなんで許して。
 12時55分・模試監督終了、56分・答案3枚回収終了、57分・進路指導室に答案を届けてタクシー会社に電話(旅行鞄は進路指導室に置いておきました)、13時・タクシー乗車、15分・JRのK駅着、31分・新幹線発車、完璧。

 K駅から新幹線30分で新八代東横イン以外な〜んにも無い東口で高速バスに乗り換えたら2時間強で宮崎駅、九州中から「陸の孤島」呼ばわりされている目的地にしてはスムーズな移動なのではないかと。
 高速バス2時間というのは、小倉出身のF校寮生が昔を思い出す契機になります。私の学生時代(ざっくり四半世紀前)はまだ九州新幹線が走っていなかったので、K市〜小倉の往復は高速バスで片道2時間でした(小倉・下関が通勤通学圏内になっている今からしたら隔世の感ですね)。CD1枚には長く単行本1冊には短い「帯襷」の時間で、お菓子を食べたり外を眺めたり本を読んだり音楽を聴いたりゲームギア(←持ち込み禁止)で「ぷよぷよ」やったり、ちょこまかと色々遊ぶのが(特にK市から小倉への車内では)楽しかった記憶です(一応書いておくと、九州新幹線だけでなく、携帯やスマホやラップトップも無かった時代です)。
 夕方着の宮崎では、67回生から宮医に行ったKくん・Fくん(祝・20才!)と宮崎牛の焼き肉を。CDウォークマンゲームギアも知らない若い世代の、コロナ禍の大学生活についてお話を伺います。

 宮崎駅に降りたって先ず驚いたのは駅前に大型ビルが建って風景が様変わりしていたこと。「アミュプラザ」が11月にオープンだそうで、もう立派な都会なんじゃないでしょうか(いずれ、全国の地方都市が「都会」になるのかも知れませんね)。
 その宮崎駅から徒歩15分で西橘の宿に行く途中、「猫の足跡通り」とか「四季通り」とか呼ばれる大きな百貨店の裏通りを覗いたら、ちょっと惹かれる雑貨屋さんがあったのでふらり。東橘「櫟屋」は、小店ながら東京の作家さんたち手づからの食器がずらり並ぶ魅力的なスペースでした。9月に行った京都「今宵堂」と比べたら50%くらい高値だったかな、素敵なガラスの小皿と陶器の小鉢とがあったので衝動買い(中に入りそうな料理なんて作れないのに!)。この「櫟屋」には原宿「かまわぬ」から手拭い他が仕入れてあったので、手ぬぐい柄のシールセットを同窓数学・若手体育ご夫妻のご長女(2歳のベテラン、来月3歳)へのお土産に購入しました。数学に渡したら「お前は俺の家の壁をどうしたいんだ!」と怒られるかも知れませんが。

 ホテルにチェックインの後は常宿の「スーパーホテル」にイン。ここは経営がブラックだというニュースを聞いて以降使わないようにしていたのですが、つい間違えて予約をしてしまいました。大浴場は名付けて「たまゆらの湯」、川端康成ですね。風呂から出たら直ぐに着替えてホテルを出ます。県庁前の待ち合わせだったのですが、観光客の私は県庁の正門前に行き、宮崎住みの卒業生2人は「県庁前」の交差点信号に集まるというベタなすれ違いを経て「お久しぶり~」

 10/28から5日間は「自粛御膳」をお休み、今夜は宮崎内外で知られた焼肉「みょうが屋」へ67回生Kくん・Fくん(宮大医学部)と。
 5500円のコース。牛すじ大根〜タン・ハラミ〜赤身4種〜焼き野菜〜カルビ3種〜ホルモン4種〜ニンニク炒飯〜果物。宮崎牛は肉質確か、1人15枚でしたが、1枚ずつゆっくり焼いて食べたらお腹いっぱいになります。肉のお運びがとても早くて店側の客を回転させたい圧が凄かったですが(ど平日でしたが、40席弱のキャパは満席御礼)、無視して120分居座りました(我々の左右のテーブルはそれぞれ60分・90分でお会計をしていました)。
 飲み物はビール・ハイボール・焼酎(山ねこ)。バレー部ウェイ勢(←死語)飲み倒し(←レッテル貼り)のFくんとは3度目の席でしたが、陸上部ストイック組のKくんとは初めて。Kくん、アルコールは初めてではないものの普段は日本酒オンリーで、何とビールを飲むのが生まれて初めてだったそう。凄い瞬間に居合わせたような気がします。
 というか、Fくんは現役合格で2年生、Kくんは一浪合格の1年生。今年の1年生はコロナの影響で大学生活の満喫が未だ難しい状況、感染者数が0ベースになった宮崎でも医学部の配慮は念入りらしく、対面講義・部活サークルが解禁された今も飲み会の規制はあるそうです。要は、飲んで遊んでの機会そのものが未だ殆ど無いから、そういう席そのものに馴染まないってことですね。Kくん、初々しかったです。

 宮崎の夜の2軒目は日本酒バー「燗番ベース」。
 お酒担当・お料理担当の女性お二人がお店を運営、チャーム1000円(お通し4種・一口にごり酒)を見た時点で質の程は伺えます、ワクワク。店名通りの熱燗推し、私は熱燗半合、冷酒半合を注文でどちらも「日本酒チャレンジ」未踏破。日本酒派(?)のKくんには飲み比べ3種(各2尺ずつで2000円!)「十四代」「花邑」「而今」……ってわしゃ20歳に何を飲ませとんねん(お母様に自慢して下さいね)。Fくんの方は日本酒にはあんまり良い思い出がないらしくて焼酎を選択(日本酒を飲まない人にも優しいお店でした)。
 神奈川「丹澤山」(麗峰 純米酒 山田錦60 火入)、山形「俵雪」(純米吟醸生原酒 しぼりたて)。

 宮崎は昨年9月の初訪問が好印象で気づけば約1年の間にもう3度目(Fくんとは夜を皆勤です)。今回の訪問は、少し前に何故か私のスマホにこの「燗番ベース」がオープンしたという「ひなた宮崎経済新聞」のニュースが流れてきたのを読んだのが契機でした。果たして「思い立ったが」の諺は正鵠で、若者2人はともかくオッサンはとても楽しい夜を過ごせました。多謝。

 個人的に一番面白かったのは、長距離帰宅のKくんに代金を渡してタクシーに乗せた後、Fくんと2人で西橘の繁華街を散歩したこと。平日でしたが、K市の文化街が閑散としているのと比べたら随分盛り上がっていた印象です(コロナじゃなかったらもっと人が多いのかな)。でもって、医学部バレー部の飲み会の話なんか聞いたんですけれども、その中でFくんが「カラオケはコールが無いと歌えない」と発言したのがツボ。そういうの、パリピって呼ぶんでしたっけ。