そんなめにあわないように、さ、練習しよう。

 私は暑さに弱く寒さに強いタイプなんです(今も、私の授業中だけは教室の暖房を消します)が、それでもここ数日の寒さは特別だなぁと思っていたら、それもそのはずで朝の徒歩通勤路には雪(北大路公子風に言えば「にゅき」)が舞っています。K市では本当に珍しいこと、記憶にある限りでは67回生高1のF高入試受験の当日(交通網・入試業務とも大混乱)以来約5年ぶりのことです。
 今日は第4回定期テストの3日目で私は高2現代文の出題があり、午後はその採点をガシガシと行います(返却は明後日金曜日なので時間には余裕があります)。16時には歯医者の予約も。

 そう言えば今年は休みと仕事との境が融解していたような一年でしたからつい忘れていましたが、私は例年夏の休み期間に長期連載完結の漫画を全巻一気読みするという遊びをやっています。過去に読んだ作品の年も、初めて読む作品の年もあって、例えばここ数年だと或る年には『SLUM DUNK』(全31巻)、或る年には『あさりちゃん』(全100巻)、等々。この先、『ONE PIECE』や『進撃の巨人』が完結することがあればチャレンジするかも知れません。
 で、8年だったか前の夏に『ドラえもん』(全45巻)をやったんですが、その時に読んだ「どくさいスイッチ」の中に出てくるジャイアンこと剛田武を見た時にふと「あれ、これ、『不快の源』じゃね?」と思いつきまして。
 藤田省三「『安楽』への全体主義」の中では、人が目の前の「不快」を経験の対象とする(克服する・我慢する・回避する、等自らの工夫で克服する)ことを避けて「不快」を生み出す「不快の源」を根こそぎ一掃殲滅しようとする態度を「安楽」と呼び批判するのですが、「どくさいスイッチ」の展開は正にこの「安楽」批判の構造になっているんですね。野球が下手なのび太に八つ当たりするジャイアンが「不快の源」、「ジャイアンさえいなかったらこんなめに……。どっかへひっこしていかないかなあ」と欲望を吐き出すのび太は「安楽」への全体主義に傾いた人物で、嫌いな人物の存在を歴史から消してしまう「どくさいスイッチ」は「不快の源」を根こそぎ一掃殲滅する道具です。
 でもって「あれ、これ、『不快の源』じゃね? 源っつったらしずかちゃんのはずなのに、ジャイアンが『不快の源』じゃね?」とか見つけて独り悦に入った私、次に高2現代文で「『安楽』への全体主義」を扱った時、早速2つ(藤田省三の本文、藤子・F・不二雄の漫画)の関係性を問う設問を作りました(複数文章の関係性を問うなんてことは、別に共通テストに言われなくたってどこの学校でもずっとやってると思うんですけど)。

 その時の問題を、今日の70回生高2の定期テストでも(実力問題として)出題しました。勿論、全く同じ問題を作る訳はなく、問い方は変えていますが、過去の生徒と今の生徒との違いが色々と見えて採点していて面白いです。
 因みに、ふと思い立って、試験で出題した『ドラえもん』の7コマ(ドラえもんが道具を取り出す前)だけを見て生徒は「どくさいスイッチ」を答えられるのかと思い、「このエピソードの中心となるひみつ道具は何?」とボーナス1点を入れてみたら、200人中40人が正解で約2割、誤答の多くは「もしもボックス」という答えでこれも発想としては理解出来ます。
 要は何が言いたいかと言うと、今回の採点はいつもより楽しいということだけなんですけれども。ガシガシ。

 12/16も「自粛御膳」はお休み、「停酒チャレンジ」が開けたリハビリ2日目はついに日本酒へ、居酒屋「もりき」で独酌です……と思ったらこれぞリハビリのペース配分失敗、小鉢と刺し盛りとを食べた時点で日本酒を飲み過ぎてギブアップ退店、帰ってからスープ春雨を食べました。
 301蔵目・長野「大信州」(純米吟醸 番外品 槽場当日詰め)。