弁証法により勝利を 導く道理を 一字一句

 割とゆっくりめに準備をして7時半に学校入り、始業までは1限の授業準備(板書計画・準備)や浪人生用のプリント準備などを。

 浪人して東大受験をすることに決めた卒業生からの添削依頼(現代文)が毎年数名。今年度は69回生からの依頼が3人(文系2人・理系1人)で、現役70回生の授業・特講のペースに歩調を合わせつつ5月半ばから始めることにしまし。浪人生はあくまで予備校・塾が生活の基本なので、そちらの指導に合わせた学習サイクルを5月(黄金週間明け)までに定めて、その上でなお時間に余裕があるならばという条件で、郵送による添削のやりとりを受けつけることにしています。今年は現役高3の現代文を担当しているので、その同じ作業に関する人数が数名増えたからといって私の仕事量は大して変わりません(逆に、別の仕事をしながら「ボラ添」をやる時の方が大変です)。

 1限は文系東大コースの二字対策授業、今日は92年の高樹のぶ子『熱い手紙』。46年生まれの筆者(戦後っ子)が、非体験の戦争を決して身体で解り得ない故に上世代に感じる負い目と疎外感とは、という内容。躊躇いのない「解った!」は許されないです(最近、こういう人多いですけど)し、上世代を「酸っぱい葡萄」扱いするのも許されないです(最近、こういう人多いですけど)し。さて、どうしたものでしょう。
 40人分の添削は2~4限の時間でガシガシ、帰りのSHRで返却してもらいます。

 半ドンの土曜日ですが、東大理系志望の生徒は16時~18時で現代文の特講。今日が2回目で、扱う教材は88年の第一問、鈴木忠志「離見の見」。この教材は本文にはっきりと「弁証法」の語を使ってくれているので(問三)、その構造を紹介するために毎年特講の早い段階で扱います(滅茶苦茶難しいんですけれども)。そして、この教材を扱うと、「●●」と「●●学」とは全く次元が違う、という極々当たり前なのにいざ入試問題で問われると(これが、例えば東大なら頻繁に問われるんです)多くの生徒が全く答えられない(どころかそれを問われていることに全く気づかない)事実について教えることもできてまさに二鳥なんですね。
 いくら総合大学を志望している集団だとはいえ、理系40人の生徒に「現代文が大好き!」「現代文は必要だと思う!」という生徒は少ないでしょうし、況してや一週間の最後(とどめ)ですから、終わる頃には困憊の様子。お疲れ様です。私の方はもう慣れたもんで、この添削は明日ゆっくりやればいいので気楽なものです。

 しかも、自炊しなくて良いと言って下さる飲み友ご近所様までいらっしゃる幸せ。

 5/15の「自粛御膳」お呼ばれ編@Hさん家。
 ざる蕎麦・炒飯・ノドグロ焼き・鰹タタキ・砂ズリ野菜炒め・南瓜煮付け・小鉢2種。
 鰹タタキ(四万十名物の藁焼き)と日本酒(これは良かった、我々の好きな味)とは私の差し入れ……というか本日、我が家の冷蔵庫の中身をほぼHさん家の冷蔵庫に移動。いつでもお呼ばれ編のお願いが出来る算段が整いました。
 359蔵目・埼玉「彩來」(純米吟醸)。