生き抜いてきた 椎の木めざし 登ってくる

 早朝起床、入浴後の7時半から昨日の理系東大特講の添削。11時半には全て終了して、午前中指定の宅急便(諄いですけど、酒です)を受け取ったので、本日ノルマの仕事はおしまい。

 昼からの行動に迷って……嘘ですね、迷ってません……暇だから職場に行くことにして、徒歩でとぼとぼと20分、校門を潜ってさあ校舎に入ろうとした時に駐車場に佇んでいた青年……が誰なのか、「今回は」直ぐに分かりました。
 私「久しぶり~、5年ぶりくらい?」
 某「はい、まさか先生に会えるとは思っていませんでした」

 職員室で90分ほどお話。63回生我ら文系A組の某くん、5年前(卒業して2年後くらい)もアポ無し休日学校訪問で偶然元担任だった私だけが学校に居り、お話出来たことは出来たんですけれども、前回のその時は私、最初30分間それが某くんだということに(面前で話をしながら)気が付かなかったんです。
 私「あの時は、何というか、凄惨な姿だったから」
 某「あの時は病んでたんです、人生でいちばん」
 私「今は、『うつヌ~ケ』た! って感じ?」
 某「です」
 担任としては非常に申し訳ないことではあるんですけれども、私が在学中から「遅刻八部衆」にカテゴライズしていた某くん、8人には「高校の内に改善しなかったら、大学入学か社会人生活かにも遅刻するからね!」と常々言ってて、それがまぁ8人が8人ともドンズバで予言的中しちゃうわけでして。
 某くんの卒業後2年間の履歴は省略。ですが彼の「社会への遅刻」の取り返し方が凄かったので、思わず90分も聴き入ってしまいました。曰く、社会復帰の最初は山梨の工場で住み込みで1年半働いて(ここが本当に充実していて某くん救ったそう)、その後は貯金を使ってカジノのディーラーを養成する学校に通い、そのままカンボジアのカジノに住み込みを開始。ディーラーとして割合長く働いた後、先日カンボジアがコロナでロックダウンしたその前日に国外脱出・日本帰国に成功した、という流れで、母校なう。
 「数十年前の虐殺のせいで老人世代が居ないから国中が若さに溢れている」「救急病院が機能していないからちょっと前に喋ってた同僚が突然倒れたのをそのままにするしかなかった」「日本からの派遣は現地出身の上司よりも給料が高いから命を守るためにも給料だけは口にしたらいけなかった」「カンボジアの野犬は日本の数十倍恐ろしくて夜道で6頭に囲まれた時は唯一死を覚悟した」等々の香ばしいお話を聞きながら、高校在学中と全く変わらないそのほっそい身体のどこにそれを生き抜く強靭さがあったんでしょうねぇ、としみじみ。
 私「もう、絶対大丈夫だよねぇ」
 某「どこがですか?」
 私「こころ」
 某「あぁ、そういう意味なら、もう病んだりはないと思います。でも、こんなに長く人と話したのは本当に初めてで」
 私「なんでよ、卒業以来切れ目が全くないサバイバルエピソード持ってんのに」
 某「そんなに面白いです? これ」
 私「いやいやいやいや、大概よ? 多分、元A組でもトップレベルよ?」
 某「そう言えば、ついこの前、新聞勧誘に来た若い子(←某くんも若いですよ)とちょっと脱線してこの話になったら、『なんか元気が出てきました!』って言って帰っていきました」
 私「他人の心のケアができるくらいになってんじゃんよ」
 今は帰国後の一時帰省、緊急事態宣言が明けたら、また行きたいところへ行ってお仕事を探すとのこと。連絡先は交換、これはいつか絶対にまた会って話を聞かせて欲しいなぁ(ちょっとファンになっちゃったかも)。

 15時までデスクワーク。帰宅、入浴、御前の準備。

 6/13の自粛御膳。
 小鉢16種。
 376蔵目・京都「香田」(特別純米酒)。
 2つのお盆に少量ずつのお料理をちょこちょこ。昨日美味しかった「雲丹帆立オンザ煮卵」は2日連続で。帆立刺しがあったのをコチュジャンで和えてみたら美味しくできましたが、材料は被ってますね。
 飲んでる途中の18時には我が家の「三河屋」さんから瓶ビールが1ケース届きました。