いのちが 今 はじまる

 健康起床。折角立派なホテルに泊ったので、朝食もビュッフェで確りと。その後、部屋風呂で軽く汗を流した後、腹ごなしの散歩20分(汗だく)で三十三間堂へ。前回訪問した時にはまだ改修中だった外壁・庭園が完成していました。庭園内に車椅子可の遊歩道が整備されて心地よく。
 本当は、向かいの博物館にも行きたかったのですが、特別展が明日から始まるというタイミングで入館が叶わず残念。というわけで、今回の京都観光はここまででお仕舞いです。ホテルまでバスで戻ってチェックアウト、11時オープン(コロナ仕様でやや遅い開店)の京都駅構内お土産売り場にて買い物。その後、新幹線と地下鉄とを乗り継いで、大阪は新歌舞伎座へ向かいました。何日か前の日記にも書きましたが、イソジンと雨合羽が統べる地に金銭的な貢献などしたくないので、移動(と、演劇のパンフレット購入と)以外でここにお金を落とす気は全く無く、新歌舞伎座に到着したのも開演の5分前でした。

 京都大学総合博物館も「蔓ききょう」も良かったのですが、今回の旅の主目的(これがあるからコロナ禍のイソ・雨王国に敢えて立ち入る気になったイベント)は新歌舞伎座の『フェイクスピア』観劇。人生初・野田秀樹作品です。
 以下、観劇の感想は、ネタバレにならないよう(公演は終わっていますが、後日WOWOWで放送されるそうです)、ボカしまくって。

 チケット購入のいちばんの動機は生で白石加代子が観たいというもの、その次が橋爪功、三の次が主演の高橋一生という順番。嘗て『古畑任三郎vsSMAP』について脚本の三谷幸喜が「エンディングでスポットライトを浴びながら舞台上にせり上がってくる戸田恵子を撮りたかった(大意)」と話していたのを聞いたことがありますが、そういう類の観点で言えばきっと今回の野田秀樹も最初と最後に白石加代子に「あの台詞」を言わせたかったんだろうなぁ、と。実際、白石加代子(と橋爪功と)、もう79歳ですから。
 さて、感想。私、恥ずかしながら本家は『リア王』しか読んだことがなく、しかも原著で読んだので中身が分かったかと言われたら甚だ心許ないという、そんなレベルの無教養者なのですが、それでも『フェイクスピア』は傑作だと断言します。前述の通り内容については秘しますが、一箇所だけ。白石加代子高橋一生の「to be or not to be」のくだりは、高橋一生の素の照れと白石加代子のアドリブ「涎拭いて」で万座爆笑でしたが、私はあそこで偶然脚本の「大ネタ」に気づいてしまい慄然、以降はずっと祈りながらの観劇になってしまいました(演劇慣れしている人は、或いはもっと早い段階で気づくのかも知れません)。あそこで気づかずに、最後で明かされて初めて気づいたとしたら、もしかしたら私も(他の多くの観客のように)終盤で泣いていたかも知れません。因みに、その「大ネタ」に絡めて考えたら、パンフレットインタビューの中の高橋一生のとある台詞が無意識理でしょうがちょっと不穏。あれがカットされなかったのは凄いと思いました。
 カーテンコールはみんな立ち上がって拍手。声援が送れない分、一所懸命に手を叩きました。舞台から袖に帰っていく度に、川平慈英白石加代子エスコートしていたのは紳士でした。

 地下鉄で新大阪、新幹線でK駅。そのままタクシーで「もりき」に移動して、マスターにお土産をお渡しするまでが旅行です。と、いうわけで。
 7/23も「自粛御膳」をお休み、居酒屋「もりき」で独酌。
 海鮮納豆・山芋短冊・ぶっかけおろし素麺。