疑うブームが過ぎて 楯突くブームが過ぎて

 数年前まで、4月1日には必ず、Twitterで有名企業アカウントの「中の人」が微妙に面白くないエイプリルフールネタをどや顔でツイートするというブームがあったのですが、いつの間にか下火になってるみたいです(若い方はご存じないかも知れませんが、「炎上」という言葉が平成末に比喩的に使われるようになるずっとずっと昔から、「下火(したび)」という言葉は火勢のみならず勢い盛んだった様々な物事の衰えの比喩として使われていたのです)。

 本日、令和4年度の初日。
 私は今年度も、特定の学年に所属せず、「教務部主任」の肩書き(手当なしの名ばかり主任)を続けることになりました。基本となる時間割は完成し、3月末までの(学校行事その他に伴う)時間割変更も全て作り終えているので、後は突発的な行事、天候(っつか荒天)、先生方の出張・年休に応じてそれをちょこちょこ動かしていくだけです(事実上、時間割の仕事は「終わって」います)。
 授業は、高校3年生(71回生)の漢文(週7コマ・特講1コマ)、及び中学3年生(52回生)の国語Ⅰ(週12コマ)とを持ちます。週19コマと特講1コマ、多いですね(国語科、あと一人常勤が居てくれたら良いんですけど)。

 高3漢文は(59・60・61・63・65・66・68・69回生に続いて)9回目なので、正直そんなに気負っていません。高3だから責任は重いですが、やるべきことは見えていますので。

 問題は、中3の現代文(「国語Ⅰ」とは現代文を指します)。中3の現代文を担当するのは、18年前の高校56回生・11年前の高校63回生以来で(11年ぶり)3回目なんですが。
 18年前も11年前も授業は完全に崩壊状態でした。23歳の時はともかく30歳の時の私が若かったのかどうかは知りませんが、とにかくどちらの授業でも生徒からは完全に舐められてて、授業中もかなりの生徒がず~っと騒いだりゲームしたり少しは疲れろよってくらい五月蠅かった……詳細は略しますけど、その当時の授業の話をしたら大抵の後輩先生(ここ7~8年の、もうちょっと言えば中高共学化以降のF校しか知らない先生)に「そんな扱いを受けて良く耐えられましたね」と驚かれます。惨めさと哀しさとでやめたいと思ったことも何度かはありました(辞表は常に準備していました)が、まぁ確かに辞めも倒れもしていません。耐えられた理由……1回目の時は国語科恩師先生が隣に居て下さったからですね。2回目の時は、3年後には自分が頼られる存在になっていると知っていたからかな。あ、あと、1回目も2回目も、とにかく職場での話をしたら「語っている本人以外誰も傷つけない笑い話」として飲み会で絶賛されたからってのもあります(毎日のようにネタが振ってくる状態でした)。
 とまぁ、そんな具合だったもんで、私、多分きちんと授業を聴いてもらえるだろう中3現代文の授業というものに関してイメージが全くわかない、どころか間違いなく教壇に立ったら違和感だらけなのだろうという確信があります。どうしましょう。ぶっつけ本番で行くしかないですが、せめて最初は大好きな文章を扱うことにして、初回の授業は教科書完全無視で好みの評論を持って行くことに決めていますが……。

 8時通常出勤。新年度の時間割の職員への配布等、雑務色々。今年度から着任の先生方は4人(非常勤も含めると7人)で、職員室が昨日までとは少しだけ違って見えます。「少しだけ」を積み重ねて、私も19年目になりました。古参たぁ言わないけど中堅ではありますかね。新任の先生の中には何と新卒の方もお出でで、22、3歳の女性から見たら厄年の中年って所謂「キモいオッサン」なんだろうなぁ、としみじみ(アラサーから見ても同じっすよ、って声がどこかから聞こえた気がしますが……)。
 退勤後は、西鉄K駅まで散歩がてら歩いて、スーパーで買い物をしてバスで帰宅。

 4/1の「自粛御膳」。
 小鉢3種~鰤刺し~野菜海鮮炒め~一汁一菜。
 541蔵目・青森「桃川」(しぼりたて 純米生原酒)。
 水雲・野菜を酢の物にして、別にゴーヤとツナと茗荷とを和えて、更に「もりき」お土産の燻製とを合わせたら小鉢3種。続いてスーパーの鰤刺し、コンビニ惣菜の炒めもの(唐辛子千切りを乗せると化けました)。卒業生(69回生Yくん)から貰った味海苔と卵とで一汁一菜。本来の意味で「一菜」に当たる漬物が無かったので、それだけで飲める作り置きの「ニラポン酢」を「一菜」扱いにしました(本当は、卵ご飯の味変に使う目的で出したものです)。

 明日まで自炊をしたら明後日からは宮崎旅行……なのですが、旅行先で飲む約束をしていた67回生Fくん(宮医4年)が「ある理由」でキャンセルになる(お店は、予約について2人→1人の変更を快く承けて下さいました)など、ご時世柄ならではのハプニングも色々とありそうです。