いつもいつも ひとりきり 声がみえるから

 コロナで東京から2年超遠ざかっています。あちらの認識は解りませんが少なくともこちらとしては優先順位が人差し指か中指かだと思っているオツカル様とも離ればなれです。オンラインのやりとりは時々していますし、1月には里帰り(熊本)の途中でK市に寄っていただき念願のご対面も果たしているのですが、全然全然足りない。
 何が足りないというと、カラオケです。年に5度程度の上京のたびに、時間を見つけて必ず2人でカラオケをすることになっていたのに、それが全然出来ていないんです。2人のカラオケ(@カラオケの鉄人)には厳しい厳しい「縛り」がありまして。
 ①2人でのカラオケで一度でも歌った歌は二度と歌わない。
 ②同じ日に、同一アーティストの曲を2曲歌わない。
 この二つ、②はともかく①がなかなかに厳しい制約、ここ10年ほど貫いた結果、オツカル様の前では二度と歌えない曲が既に500曲を超えています(読む方はいないと思いますが、数年前の「カメラを止めるな!」というタイトルのエントリで全曲リストを公開しています←自分で確認するために)。だから、コロナでなかったら常に新しい持ち歌を探して生きていないといけない身体なんです、本当は。

 何を言いたいのかというと、一人でカラオケに行きましたという話。2年間の疫病禍はカラオケ的には「ぬるま湯」、新しい曲目レパートリーに関して完全無防備で生きて行くことが出来たんですね。でも、考えたら、コロナ禍があけたら私が真っ先にすることは恐らく全てを擲って上京して、オツカル様とカラオケに行くこと(あと、ジュンク堂に行って、古書街を巡って、美術館をはしごして、卒業生と飲み屋をハイパーはしごすること)。その時に歌える歌をそろそろ準備しておかないといけない。多分、いや絶対2人で3時間、どうかしたら4時間とかになるかも知れない。としたら、新曲は30~40曲は必要になるでしょう。
 コロナの夜明けは近いぜよ。先ずは手始めに90分、「withオツカル様」用の新曲の練習、曲目は以下。2人のカラオケではそんなにメジャーな曲は多くならないんですけれども、今日は「リハビリ」ですから世に知られた歌が多い(というか殆ど?)ですね。
 ①松任谷由実「Bueno Adios」(2009年)
 ②米津玄師「パプリカ」(2020年)
 ③折坂悠太「星屑」(2021年)
 ④レキシ「GET A NOTE」(2018年)
 ⑤島倉千代子「人生いろいろ」(1987年)
 ⑥上野博樹「ベスト・フレンド」(1984年)
 ⑦日吉ミミ「世迷い言」(1978年)
 ⑧いしだあゆみ「太陽は泣いている」(1968年)
 ⑨和田アキ子「YONA YONA DANCE」(2021年)
 ⑩かまやつひろし「我が良き友よ」(1975年)
 ⑪中島みゆき「流星」(1994年)
 ⑫井上陽水「テレビジョン」(2002年)
 ⑬布施明「積木の部屋」(1974年)
 ⑭赤い鳥「竹田の子守唄」(1969年)
 ⑮桑田佳祐「東京ジプシー・ローズ」(2002年)
 ⑯研ナオコ「ワルツ」(1995年)
 ⑰紙ふうせん「冬が来る前に」(1977年)
 ⑱エカテリーナ「古いお城のものがたり」(2005年)
 ⑲さだまさし風に立つライオン」(1987年)
 ⑳新沼謙治津軽恋女」(1987年)

 午前中は自宅書斎で書き物と仕事と。昼に「梅の花」で本を読みながら軽い独酌、の後にカラオケ2時間でがっつり歌って(これはノンアルコール)、ウォーキングがてらの買い物を2時間弱。帰宅後のお風呂で汗を流したら、既に夕食の時刻になっています。充実。

 4/7の「自粛御膳」。
 冷製トマト素麺~大根ポン酢漬け~温豆腐。
 昼飲みをしたので夜は軽めに。トマト微塵切りと調味料(オリーブオイル・白出汁・醤油・黒胡椒・レモン汁)とでパスタ風の素麺、ビールに合いました。そのビールのグラス(白さつま)と大根の銘々皿(黒天目)とは宮崎で購入して配送してもらった綾町「陶房 八十一」の食器で、本日は旅行の「後拾遺」。
 朝の内にパスタソースと大根とを仕込んでから「梅の花」に出かけたので、思う様飲んで遊んで仮眠して、夜は素麺を茹でるだけ(洗い物はありますが)で楽チン……はい、明日(入学式・始業式)からは働きます……で、明日働く為に早寝しようと思ったら、冷蔵庫で消費期限が5日前の豆腐を見つけ、捨てるか迷って温めてしまうなど、そしたら一緒に焼酎でもとなるなど。