ジパング国を わたらう剣豪 その名 からくりびと

 4時半起床、5時に大浴場でサウナ8分、露天風呂10分、サウナ8分。朝食を摂るつもりはないですが、調べたらホテル近くに(徒歩15分弱)24時間営業の老舗喫茶店があるということで、6時にホテルを出て徒歩徒歩……と歩いている途中は、市内のタクシー会社に電話して予約を。「10時半に、××のバス停に1台お願い出来ますか?」
 商店街入り口地下にある純喫茶で、カフェラテとお代わりブラック(800円)。丁度、目の前に「熊本現代美術館」があり、場所が確認できて良かったです。スマホを弄りながら1時間強の滞在でしたが、出勤前のサラリーマン、常連のお爺さん、女子大生二人連れなど、広くない店員に来客そこそこ(みんなモーニングを食べてました)。

 歩いて桜町バスセンターに戻ります。20だか30だかの乗り場がある広大な施設、ここから市内を巡るバスだけでなく、福岡だとか延岡だとか県外に出る高速バスなど、あらゆる路線が出ているんですね。私は、何たら温泉センター行きの、私以外誰も乗る人が居ないバスに乗って、折坂悠太を聴きつつ車窓を眺めます。本日最初の観光は寺社巡り。一応、小学生から11年間剣道をやってた、ちょっと前に舞台『ムサシ』を観た……ってくらいで別にファンではないんですけれども、目的地は宮本武蔵の聖地(?)。旅行前からの計画ではなく、朝4時半のベッドの中での思いつきです。

 桜町バスセンターから産交バス(7時45分発)で30分ほどで到着するのが岩戸の里公園入口……から公園までの山道(歩道なしの車道、登り)が長い! 20分登って漸く到着するのが巨大な宮本武蔵像(大河ドラマを機に造られた平成の産物)で、そこから更に10分程分け入った先にあるのが曹洞宗「霊巖禅寺」。先ずは、コロナご時世のマスクがやや滑稽ながらそのせいで異常に強い目力が一層強調されているムサシ蔵にお参り(漢らしくなれますように)。
 その後、山道を少し進んで「霊巖禅寺」。拝観料300円、奥の院に向かう道中は蛇の出る岩場で手摺がないと歩けない峻厳、しかも苔生していて滑りやすい。ひょいひょいと歩きながら彼は掃除をしている坊さんはかなりの達人と見た。道中安置の五百羅漢は150年の歴史の中、地震廃仏毀釈とで半分に減っているそうで首がないものも沢山あります(一つ一つ違う顔の中を探せば必ず肉親に似ているものが見つかるのだとか)。奥の院・霊巖洞は宮本武蔵がそこに籠って『五輪書』を書いたと言われる場所。
 「霊巖禅寺」を出て山中を散策したら水車小屋などあって面白く。120分弱の山歩きでシャツはびしょ濡れになりましたが、昨夜飲みすぎた四十路には必要な運動だと思うことにします。
 帰りのバスは良い時間のものがなく(2~3時間に1本しかない)、前述の通り予めタクシーを予約しておいたのが正解。辛島公園まで戻って3500円の出費ですが、途中で山中の加藤清正公の墓(廟)に寄って下さったり、熊本城観光のお勧めルートを教えて下さったり、所謂「観光タクシー」のようなサービスが有難く。因みに、山中にある清正公の墓所は、熊本城の天守閣と同じ高さに当たるのだとか。

 4/28のランチは豚カツ「勝烈亭 本店」。熊本在住の英語先生に激推しされたのですが、その時に「平日でも満席の人気」と聞いており、開店11時に一番乗りしました(実際には5分前から並びました)。ら、確かに私の滞在した1時間だけでも数十人の来店、100席超の広さで満席とはいきませんでしたが人気は本物、そしてそのホールを2人だけで回す女性たちはかなりの達人と見た。
 折角ならといちばん高い六白豚のヒレかつ(120g)ランチを選択。味は言わずもがな(肉は当然ですが、特に衣の歯ごたえが素晴らしかったです)で、高菜・キャベツ・赤出汁(滑子入り)・ご飯に加えて食後のコーヒーまでおかわり自由というサービスも素晴らしかったですが、やっぱりいちばん印象に残ったのはホールの女性の気働きかな。

 熊本市現代美術館『和田誠展』、今回の熊本観光の核はここです。巡回展は北九州にも来る予定があるのですが、K市からなら八幡より熊本の方がアクセスが良いのです。
 和田誠。私が「3大」を選ぶなら、最初は幼稚園で読んだ絵本『これはのみのぴこ』、次は高校時代に聴いたCD『オフ・オフ・マザーグース』、最近では清水ミチコの周年記念で描かれたロゴ。大抵の日本人は人生の中で何度か、この人の仕事の何某かを愛好することになるのでは、と思います。画家・作家・作詞家・作曲家・演出家……かつて「家が何軒あっても足りない」と言われたように、何しろ仕事量が多すぎますので、似顔絵・絵本・表紙を手掛けた本にレコード・ポスター・文春表紙・単著……と、ただ作品を並べるだけで広大なスペースを必要とするのです。
 圧巻は会場に入ってすぐ、4面を1年ごとの年表にした四角柱群でした。17歳の時に担当教員の似顔絵で時間割を作ったってのが凄過ぎです。図録はこれまで出向いたどんな展覧会のものよりも分厚かったです(清涼院流水だとか京極夏彦だとかの全盛期みたいなの)。手がけたポスターがずらりの中に、鹿賀丈史市村正親のショー(ゲストが井上芳雄)があったので、写真を撮ってロマンスグレー研究家のまっきょん(TQCの後輩)に送りました。リプ速ぇ。

 「現代美術館」の道向かいは「鶴屋百貨店」。昨日、夕方のサウナで観たワイドショーの中で特集されていたインドネシアフェアに15分だけ。目的は、コーヒー豆の袋を加工したバッグを購入すること。熊本県花のリンドウをあしらったデザインが自分用のお土産にピッタリだと思ったのです。図録他の荷物をバッグに詰め直し、肩から提げて今度は熊本城へ。

 熊本城の天守閣は復興済みですが他はまだまだ、完全再建はあと15年後だそう。「城彩苑」(城下町再現のお土産売り場)から天守閣まで続く有料特別通路(空中散歩)からは、未修復のままの災禍の痕が生生しく見えます。崩れた石垣をモルタルで覆っているのが至るところに。モルタル部分の下、石垣の色が白黒に分かれていたのですが、白い部分は最近まで崩れた石垣が積もっていたため雨に濡れず苔生さなかったのだそう。因みに、有料通路は完全再建までの仮設、本来なら史跡では建設が禁止される類のものなのだそうで、通路の「脚」が地面に穴を開けてはならないためブロックを置いてそれに「脚」を固定する必要があったとか。
 天守閣前では「熊本城おもてなし武将隊」のショーが開催中で10分ほど立ち止まり。子ども連れを中心に「序で」見学が多そうですけれども、中には写メ動画撮りまくりの熱心なファンも。こういうイベント、昔は「恥ずかしいなぁ」という感覚だったんですけれども、年を取ったから……じゃないな、絵恋ちゃん(地下アイドル)にはまって以降は「アリなんじゃない」派に転向しています。
 さて、その天守閣。復興は大変悦ばしいことですが、中は完全に現代(令和)風に生まれ変わっています(展示も機械映像・音声がバンバン)。雰囲気的には前(10年くらいまえにオツカル様に連れて行ってもらいました)の方が……という人も多そうですが、車椅子が乗れる(展望台階まで上がれる)エレベーターがあったり、耐震には細やかな配慮がなされたりなど、随所に工夫が。
 最後は「加藤神社」をお詣り、「城彩苑」でお土産を買ってからホテル帰還。お土産は、事務嬢さんには唐辛子・黄金唐辛子にんにく、Hさん(ジュニア)には芋焼酎、自分用に日本酒2本(未踏派)、「もりき」マスターにポン酢。

 ホテル大浴場でサウナ8分、露天風呂10分、サウナ8分。ホテルから徒歩10分の店に19時待ち合わせは余裕だと思っていたら、観光が充実していて意外とギリギリの時間になりました。

 4/28も「自粛御膳」をお休み、熊本の焼鳥「鶫」で67回生のIくん(熊医3年)とサシ飲み。
 サラダ・前菜・ピクルス・串12本・スープ。
 初日が寿司だから2日目は肉(同席者が若者だし)、でも焼肉は忙しないから避けたい、などと考えた結果がここ。熊本名物料理にさして拘りがなかったとはいえK市からの旅先で焼鳥てどうよとも思えたので、串10本のコースに天草大王の串2本をつけて熊本感を出してみました。
 学部事情を色々聞きながら。九医勢からの話はよく聞きますが熊本はなかなかチャンスがなく。大学毎にカラーが少しずつ違うみたいですね。「シケ対」の概念があるという話は吃驚、そんな言葉久々に聞きました。東大の場合、シケ対に出席(及びノート)を任せてそれ以外のメンバーは講義に行かないのが一般的でしたが、熊医では講義で出席を取るのでそれはないと。なら、シケ対の存在意義、無くない?(シケ対の仕事が教授の過去問収集とかになるのかな)

 ご時世柄2県目は無理、お別れは割と早めの時間に。Iくんはそんなに沢山飲める人ではないみたいなので肝臓的には丁度良かったのかな。沢山飲める私も、ホテルでサービスの缶ハイボールを1本飲んで早々にベッドへ。午前中を中心に歩きに歩いてますから、堕ちるのは早かったようです。