10/6(日)の折坂悠太『呪文ツアー』@電気ビルみらいホール、に当選。翌日が授業無しなので薬院泊にしてどっかに飲みに行こうかな。
本日、1限に高3漢文の出題。高3漢文を担当するのは(59・60・61・63・65・66・68・69・71回生に続いて)もう10回目なのですが、今年度の高3(73回生)はこれまでの学年に比べて句形・語彙・漢文常識等々の定着度が低いようです(ぶっちゃけ、漢文にそんなに力を入れてこなかったと思われる)ので、漢字の読みやら1語の口語訳(7字以内で、みたいな)やら、細かい知識を問う問題を矢鱈と沢山入れ込みました。採点、ちょっと面倒。
というか、私、20年働いて、大体その半分の期間ず~っと高3漢文やってんですね。
常夜鍋の自炊、お供は三宅香帆の新書、からのWOWOW清水ミチコ。改めて「YOASOBI作曲法」は素晴らしい。
778蔵目・長野「互」(純米吟醸 隠し球 生)。
三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』読了、★★★★。主に戦後の日本の職業(社会)人の読書形態・志向の歴史的変遷を概観し、最後は令和の職業(社会)人へ(本の読める)働き方を提言。キーワードは「ノイズ」と「半身」とですかね。あと、『花束みたいな恋をした』を観なければならない(のかもしれない)という気分にさせられました。
私自身は読書と仕事とを溶かして人生を「働いていると本が読める」よう仕向けたので、ただ「本を読む」というだけなら「全身」で働いて全く構わない。ですが、この本の「本を読む」は「ライフ(私生活)」を象徴するフレーズです。その意味で考えるなら、私も、やっぱりこの本で提言されているような生き方を、少なくとも途中からは選択してきたような気がします。20代の一時期より仕事の量をぐっとセーブして(今の働き方を「全身」などとは口が裂けても言えません)、そのおかげで、音楽も聴けるし、ライブや舞台も観られるし、クイズも作れるし、お酒も飲めるし、旅行も行けるし、美術館博物館も巡れるし、ネットもゲームもSNSも使えるし、自炊も出来るし、卒業生とも遊べるし、色んなことを「半身」で楽しんでます。
22日(水)に、47回生(中高同期)のYくんがK市に遊びに来てくれることに(居酒屋「A」を予約しました)。わざわざサシ飲みの為に1泊してくれるというのですから、特講のある日ですが飲み会ばっち来いです。本来は8限(17~18時)の漢文特講を7限(16~17時)の古文先生と交代していただき、特講後から飲み会まで添削、飲みは長くても2軒4時間程度に抑えて、翌早朝に添削の残り(朝のSHRで答案返却)。やっぱり、仕事も遊びも「半身」でいかなくちゃね。