世の中、バカが多くて疲れません?

 経過は見ますけれども、新潮社のあれは、もう完全に地雷なんじゃないでしょうかね。ウチのクラス、「男く祭」の講演に牧村朝子氏を招聘した講演P長がいますから、場合によっちゃあ学級文庫から一掃かなぁ、などと(私が好きで集めた本の、1割程度は占めています。好きな出版社です……でした?)。

 キーマカレー作りすぎ。ライスと一緒に出した、ドライカレー(というかカレー炒飯)にした、ピーマン肉詰めにした、「もう手がない!」と言ったら母君が「もう一度、ご飯と一緒に出してください」
 本日は2・3限がセンター現代文で昨日と同じ栗原彬。文系A組に1人、B組の文系に1人、理系に1人、合計3人の満点が出ました。やったね。
 4限の間に自宅まで往復して母君の昼食を出し、学校に戻った後はSHR・掃除。もう一度自宅に戻って書斎で作業の後、入浴。16時にもう一度学校に出て京大理系現代文特講(阿部昭)。明日からは連休なのでこの添削は明後日にやります。

 63回生関係の某さんととある用件で夕食をご一緒。初めて行った肉料理の居酒屋「A」は料理のクオリティが高くてびっくりしました(奢って頂いたので、価格帯の詳細は分かりませんが……)。某さんが代行で帰られた後は、一人で連夜のライブバー「A」。明日もイベントで訪問するので、3日連続で行く事になりますね。

 40分歩いて自宅まで帰ったんですけれども、途中でモスバーガーに寄って、なおかつコンビニでピザまんまで買うというデブ活をやらかしてしまい後悔。モスバーガーは美味しかったです。

さあ ダバダバ ダバチ ダバダバダバ さあ ダバ ダバチテ

 4時起床、書斎で作業、入浴、母君の朝食作成。
 始業前の職員室で授業の板書計画。今日は1限がセンター(09年の栗原彬)、2限が文系東大(08年の竹内敏晴)、4・5限がセンター、6限が学年会議、放課後7・8限が文系京大特講(15年阿部昭)です。母君の朝食は3限の間に自宅往復で、夕食は18時特講終了後に帰宅して作成ですね。

 卒業生と話すと、コンパの後とかサークル合宿とかで深夜の缶蹴りに興じた、という話をちょいちょい聞きます(具体的には、この10年で5回以上は聞いてます)。酒の席には缶がアホほどあるから、酔ってテンションが上がった時に誰かがやってみねぇ? 的なノリになるということでしょう。
 09年のセンター本試験は栗原彬「かんけりの政治学」。何しろホモ・ルーデンスですから、遊びを分析するとその向こうに人間と人間の造りあげる社会との本質的意味が見えてくる。藤田省三「或る喪失の経験」における隠れん坊の象徴的意味分析を引いて、子どもたちが缶蹴りに興じることの象徴的意味を考察する。これは読んで面白く、解いて難しく、解説して楽しいタイプの問題。C~E組で授業を行い、120人程度の生徒の答案を採点しましたが、今のところ満点が1人も居らず、平均点も30点をちょっと上回る程度でしょう。
 雑に言うと、隠れん坊は「皆で社会に帰る」遊び、缶蹴りは「皆で社会から逃げる」遊び。隠れん坊の時代は、子どもたちは社会(共同体)に帰りたかった。缶蹴りの時代は、子どもたちは社会(管理社会)から逃げ出したい。モラトリアムの大学生が缶蹴りに興じるのは、まぁ酔っ払ってて訳わかんないんでしょうけれど、何某か意味深なものがありますね。
 名付けるなら「管理社会(ディストピア)からの脱出」。子どもたちは大きくなって、ディストピアの中で希望を見つけられるのでしょうか?

 3限の間に自宅往復で昼食を提供し、昼休み・6限の会議終了後の空き時間・京大特講の生徒解答中の時間、を寄せ集めて2限の東大の答案を添削。17時半に特講が終わった後、東大の答案添削を最後まで終わらせ、京大の答案を抱えて自宅に戻ります。
 風呂のスイッチを入れてから夕食を作成、母君が召し上がっておられる間に入浴、夕食後の母君が私と入れ替わりでお風呂へ行かれたら洗い物をして書斎で京大の答案添削(25%終了)、19時に母君がお布団に入られたのを見届けてから自宅を出て、今日は19時半に小料理屋「A」入り。キーマカレーにえのき茸はダメよ、と言われたのはこの時です。

 サクッと飲んで20時半に店を出た後、ふと思い立って徒歩10分、ライブバー「A」に入ったら本日最初の客でした(20時オープン)。明後日はここで、定期的に開かれているスペシャルイベント、元チェッカーズのベーシスト・大土井裕二氏を囲んだ有志(カバーバンド)によるライブが行われます。普段なら(次の日に仕事があるので)参加出来ないのですが、今回は連休初日ということで参戦可能。で、明後日のチケットを購入するために訪問した次第。
 カラオケ若しくはマスターの生伴奏で歌いたい放題なのですが、流石に誰も客が居ないときに一人で歌ってもねぇ……と思ってたら滅茶滅茶酔っ払った20代~50代の会社員6人が入ってきてどんちゃんが始まりました。バイトのHくんと2人で「あの人巧いね」とか「お、水樹奈々、若い!」とかこそこそ喋ってたんですが、一集団にマイク独占されるのも癪なんで(←負けず嫌い)、フジファブリック「東京炎上」と子門真人「ホネホネロック」とを。毛色の違った曲を入れると、知らない人たちでも喜んで盛り上がって下さいます。

 22時過ぎに帰宅、そのまま就寝。

ネコじゃないモン!

 (1999年以来何度か場所を変えつつ日記を書き続けて)この「はてなブログ」に移ったのが2013年3月31日で、その日から数えて今日が2000回目の更新です。日常性のEASY!

 入試過去問を解いて英語パイセンに添削依頼をしてきた理系某くん、英語小説の下線部和訳問題だったのですが、その解答「母は誰かが棚に釘づけになっているのを見たら、(自分の棚を)褒められたいと願い、きっと棚に飛び乗るだろう」というのに爆笑。「きっと」までは合ってるんです。ここまでを完璧に訳せる英語力があるのは凄いと、厳しいパイセンですら褒めておられます。それなのに、なぜ最後の「Jump in」が「(棚に釘付けになっている誰かとの)会話に飛び込む」ではなく、「棚に飛び乗る」になるのか。そんなことあり得んやろ、と。母は猫か、と。キャットウーマンかと。入江たか子かと。
 英「絶対あり得んよね? 何で棚に飛び乗る? ピョーンって? いやいやいやいや。だってさぁ、どうする? お母さんが急に棚の上に飛び乗ったら」
 私「褒める」
 英「wwwww(悶絶)」

 あんまりに面白かったので、まともに話したことのない某くんのもとへ出向いてお話をする。
 私「流石にさぁ、『棚に飛び乗る』って書いた時には、自分でもあり得ないと思ったでしょう?」
 某「はい」
 私「だったら、何故それ以外の可能性を考えないのさ」
 某「いや、あの、ワンチャンあるかなぁ、とか……」
 語尾を濁していますが、違うとほぼ解っていてなお他の可能性を検討しなかったのは、視野の狭さ故ではなくて労を惜しむ故のこと。ワンチャンなんてないことは、某くんも解ってたんです。でも、あって欲しいという儚い願いをあるかも知れないという予感にすり替えた。
 私「だって、自学で解いた過去問でしょう? 制限時間がないなら、考えようと思ったらどれだけでも考えられる。それなのにそうしないのは、要は『メンドクサイ神』への信仰を内面化してる証拠じゃない? 落ちるよ?」
 某「確かに、言われてみたらその傾向はあるかも……」
 誰かに指摘されたことがなかったんですかね。「自己認識出来たなら大丈夫かな」と言って別れたんですけれども、心に抱く「メンドクサイ神」様への信仰、これの棄教は至難の業です。

 昨日に続き外部模試。授業がなく試験監督のみ。その後、標準実施日前で自己採点ができなかった一週間前のマーク模試について自己採点を行い、学年集会ではセンターの願書を記入。放課後、理系某さんの医学部小論文について添削の結果をお話しする面談も。

 明日の2種類の授業の板書案をそれぞれ作成してから帰宅。入浴、母君の夕食作成、洗い物。その後訪れた「もりき」ではパーティー以来初来店だというHさんと幹事お疲れ様の乾杯。

撮影は続ける! カメラは止めない!

 本日と明日は高3が外部模試受験なので、監督業務以外に仕事がありません(明日は、模試終了後に学年集会がありますが、前で話すのは進路指導部長と学年主任だけです)。連休明けの昨日から3日連続で授業がないというのは、ちょっと罪悪感を覚えるくらい楽をさせてもらっているという感覚。
 とか言いながら、昼休みの職員PC室で、新潮文芸のTwitterアカウントにおけるRT爆撃を仕事みたいに真剣に追っていたり。豊崎社長なんて興奮のあまり新潮文芸アカの中の人のイニシャルを(想像に基づいて)晒してしまっていますが、それをもRTしているのに感心頻りです。Twitter上では、あれを会社の良心と見るべきなのか会社ぐるみの(作戦としての)ガス抜きに過ぎないと見るべきなのか意見が割れていますが、いずれにせよ新潮社は会社として何らかのアクションを示さなければならないでしょう。

 浪人生の添削答案を定形外封筒で郵送するために、郵便局窓口で速達手続きをしたのですが、局員氏に「宛先は『福岡市何々区』から書いて下さい」と言われ。郵便番号が7桁化して以降、私は町名からしか書いたことがなかったのですが、ずっと間違っていたのでしょうか。こんなこと言われたのが初めてで咄嗟には聞き返せなかったのですが。それなら何故7桁化したのでしょう。

 夜は肉料理「I」で読書独酌。ここ、隣の魚料理姉妹店に続き、今度は市内の別の場所に3店舗目(定食屋)を出すそうです。野心家だなぁ。来年1月には本店のメニューも全面改訂するそうで。止まると死んじゃいそうになるタイプのマスターです。

カレーの香りは君と同じで

 3時半起床、書斎で仕事、入浴、6時半に母君の朝食(作り置きの卵液を使った茶碗蒸し、ニラもやし炒め、惣菜屋のオクラごま和え)をお出しして、7時に学校入り。
 1・2限の時間を使って昼休みに面談をする生徒に手紙を書きます。センター小説が解けないという某さんに、10年分の過去問プリントを持ってきてもらい、某さんがどの問題をどの選択肢を選んで間違えたのかという誤答を全て洗い出し、そこから彼女の苦手傾向を抽出するという作業。一人あたり5~6時間はかかるので200人全員に出来る作業ではありませんが、どうしても苦手だという生徒には一本釣りの感覚で。
 自宅まで自転車で往復して母君の昼食を提供、帰りに書店に寄り道をして授業資料用の本を1冊。昼食を摂られる母君とお話をしながら食器を洗っていたら、急に「キーマカレーというのが食べてみたい」と仰る。テレビでご覧になったのか、「というの」という言い方から召し上がったことがないのだということが分かります。というか、私もキーマカレーなるものは食べたことがない。学校に戻って、事務嬢さんに作り方を伺う。「材料を全部微塵切り→炒める→カレールーを入れる」という工程は普通のカレーよりも簡単だ、というお話。

 で、夕方の血痰ネーミングスーパーマーケット「You Meタウン」です。挽き肉を買った、玉葱は自宅の冷蔵庫にある、ピーマンは買った、トマト缶は自宅にある高級ケチャップ(凄いトマティなケチャップを三者面談の時に某くんママからいただいたのです)で充分、足りなかったら「もりき」マスター方式で野菜ジュースをぶち込む……となるとあとはキノコなんです。事務嬢さんはシメジ推しなんですけれども、キノコずらりの棚を見て、どれが微塵切りし易そうかって考えたら、そらえのき茸ですよねぇ、という選択。
 後日、超料理上手の小料理屋「A」のママさんと。「エノキはねぇ、ネバネバが出るからキーマカレーの食感が変わっちゃうでしょ」「あぁ、やっぱりシメジの方が良いんですね」「ネバってぽっちゃりしちゃうから」「成程。ってまぁ、母も私もキーマカレーは人生初だったんで『そんなもんだ』っていう感想しかなかったんですけど」

 ちゃんと「美味しい」と言っていただけたので安心。私も味見で人生初キーマ。
 の後の独酌は「もりき」にて。30周年パーティー後初営業の最初の客は開店と同時に入った私で、その後はご都合でパーティーに参加出来なかった常連さんが続々とやって来られました。

今夜もふらふら のんだくれ

 連休2日目……の午前中は完全にバタンキュー。根性で6時に起きて母君の朝食は作りました(レタスサラダとベーコン、目玉焼き。作り置きのゴーヤシーチキンサラダ)。その後自転車で学校まで往復して、書斎で仕事が出来るよう幾つかの道具・書類を持ち帰り。それ以外は、10時まで昏々。10時にケアセンターの方がお見えになり、10月末上京の時のショートステイについてのご相談を。前回のように介護施設「K」も受け入れ可能ですが、今月から母君がF校親玉大学病院の緩和ケアに通い始めたことから、そちらへの短期入院という方法が取れるかも知れない(但し、ベッドが空いていれば)というお話。この応対が30分ほど。お昼前にHさんから電話があり、「どうせ今日は全然動けないだろうと思って、お母様用の巻き寿司を作ったわよ~。んふふふふふふふ」と。一も二もなく飛びついて、自宅徒歩2分のHさん家へ。「もりき」マスターご夫妻もお出でで少しだけご挨拶。母君の昼食は、巻き寿司、もずく酢温泉玉子、ミョウガの酢漬け。書斎で学級通信を作ったり添削をしたりと色々仕事(いつもより2割減の処理速度です)。16時に入浴、母君の夕食作成。ニラ玉、ゴーヤサラダ(朝はマヨネーズ、夜はごま油)、湯豆腐。洗い物まで終わらせた後、街へ出て焼き鳥屋「G」で独酌。そら、飲みますよ。

 有栖川有栖『インド倶楽部の謎』読了、★★★。とある重要人物が、職場の先輩そのまんまの風貌・喋り方・性格でもう気になって気になって。

乾杯! 乾杯! 夢追い人ね

 年齢を超越した女優が逝くと不思議な気分がします。12年前、56回生のスキー研修中に岸田今日子の訃報に接した時は、大好きな人だったこともありますがそれより何より死なない人だと思っていたので驚愕しました。他には、曽我町子加藤治子野際陽子菅井きん、とかかな。そして今日は樹木希林。やっぱり不思議です。ただ、12年前ほどは驚かない。水木しげるが亡くなった時にしみじみと知りました。人ってやっぱり死ぬんですよ。

 連休初日(巷では三連休の2日目なんだとか)。今日は中学体育大会で学校が騒がしそうなので出勤はせずに、書斎でブログを更新したり、有栖川有栖の新刊(何年ぶりだよ国名シリーズ)を読んだり、母君と血痰ネーミングスーパーマーケット「You Meマート」で買い物をしたり、料理をしたり、とのんびり。

 まっぴぃからメールでクイズが届いたので、即興で作った問題を返信。問題「Wikipediaの説明文に、三宅裕司黒柳徹子という二人の芸能人が登場する日本の芸術家は誰?」 まぁ、悪問ですかね。恐らく黒柳徹子で一択でしょうが、知らなかった人が三宅裕司との関係を知れば逸話の濃さに少し驚くかも知れません(長文クイズの前振りとかでもうずっと昔に出ていると想像)。
 クイズの問題を作ったのは、北白川くんの結婚式二次会で披露して以降だから2年ぶり? 即興でもう一問作ろうと思ったら浮かんだのは「ずばり、哲学者の三木清が亡くなったのは西暦何年?」というやつでした。ベタなのかは知りません。
 何せ離れてもう15年。現状の「クイズ界」がどういう世界なのかは知る由もありません。Twitterで「教育現場の用語は既に問題化されてるのかなぁ(「公欠」とか「冠模試」とか)」と呟いたら、no-dash氏から「公欠は既出」との情報を戴きました。成文化しづらそうな言葉や身近な言葉を文章化して出題することを「やわらかい問題」と呼び、ここ数年それが流行っているとのこと。「やわらかい」というのは良いですね。私が在籍していた頃のTQCSystemFなどを形容する時にも「やわらかい」の語が使えそう。そういう場所がたくさんあるなら、卒業生にも安心して「クイズ界」を勧められますよね。

 15時に行きつけの美容室で髪をセットしてもらい、本日は市内のホテル「N」の広間で「もりき」30周年パーティー。カジュアルで良いのですが、「もりき」に二次会を任されているので一応ジャケットを着ていきました。「リバティ」と名付けられた広間はF校の歓送迎会でも度々利用しており、フロアマネージャーの方の顔も存じ上げています。常連60人、平均年齢は大体マスターよりちょっと下(50代後半)ってところで、勿論私は若造中の若造(私より若い人は、マスターのお子様2人を除けば1人だけです)。事務嬢さんも参加して下さり、私の隣の席に。
 「もりき」のある我らが国分町の町内会長さんの挨拶で乾杯。「もりき」の日本酒をほぼ一手に引き受ける酒屋さん、「もりき」ご贔屓の酒蔵さん、四国からお越しのご友人、等々が次々に挨拶……するんですけど常連一人残らず呑兵衛、聞いてるのか聞いてないのかとにかくビールに日本酒(勿論、酒蔵さんの「とっておき」)が進む進む。あ、日本酒の銘柄は林酒造の「残心」です。
 さて、前述の通り私は若造も若造なのですが、通ってる回数だけとれば幹事のHさん(30年来)の次くらいになるかも知れません。だからなのか知りませんが、Hさんに「いけのっちゃん、〆の挨拶はお願いね、んふふふふふふ」って。あんたそら無茶ぶりやろ、と思ったけれどもK市の母の命令には逆らえません。「一週間前もこの部屋で飲んだ」とか「私は昨日も」とか言ってるような(要はホテルパーティーが茶飯事みたいな)ステータスの高い人たちの前で恥をかく……にしてもノープランで壇に上がるのは怖すぎる、ととっさに「核」になりそうなフレーズを紙にメモしてポケットへ。
 F高の大先輩であるY先生やH先生(ともにお医者様)だとか、Hさんのお友達にしてK市看護師界のドンであるMさんだとか、まぁ様々な方々とお話をしつつ、唯一私より若いKくんに手伝って貰って二次会(野菜料理「B」)への参加を聞いて回ったり、時間はあっという間に過ぎていきます。

 「……名残惜しくはありますが、それでは〆の挨拶を……」と司会のHさんの横で、そう言えばさっき何かメモをしたよねぇ、と最早泥酔の頭でよく思い出せた偉いぞ私、とメモをこっそり覗いたら。
 「うちの生徒は誉めたら伸びる、マスターは鼻だけ伸びる」
 頭が真っ白になりました。そこらに林立してるビール瓶のどれかを使って一時間前の自分を殴打したい。

 若輩が高いところから失礼致します。F校で教員を務めております、池ノ都と申します。私は28歳から「もりき」に通い始め、現在38歳ですので丁度10年目になりました。「もりき」の30年を前期・中期・後期に分けた内の後期に立ち会った……この言い方だと「もりき」が閉店してしまうかのようですが……人間になります。週3回は通っておりますので、年に150回、10年で1500回、一回で3000円を使ったと計算致しますと車が2台……今日は本来ならば私がマスターに感謝されるべきなのではないかと強く思いながらここに立っている次第です。さて、週に3度、即ちほぼ2日に1度のペースで通う人間ですから、私のこの身体の半分はマスターによって作られていると言えます。親よりも親です。私には子どもがおりませんが、成人した……大事なので2回言いますね、成人した卒業生を連れて「もりき」で飲むのを趣味の一つにしています。あなたを教えた教員の身体の半分はここに居るマスターが作ったのだと教え子に紹介するのは、私を多少とも誇らしい気持ちにさせてくれます。勿論、普段ならマスターにこんなことは申しません。私の教え子は誉めると伸びますが、マスターは誉めても鼻しか伸びません。今日だけのリップサービスです。さて、そろそろ終会とのことですが、このような会で閉める閉じるは禁句でしょうから……既に言ってしまいましたが……、皆様方には大変恐縮ですがご起立を願いまして、「もりき」の40周年へ向けた乾杯を以てスピーチを終えたいと思います。それでは、ここにお出での皆様の益々のご健勝、そして「もりき」の発展……はしなくてもいいので地道な継続……そのためのマスターの健康を祈念致しまして、乾杯!

 マスターへの花束贈呈も事務嬢さんでしたが、20人超の参加者(マスターご家族と常連をさらに煮詰めたメンバー)を「バッタ屋」まで誘導なさったのも事務嬢さん。お強い。ホテルとのやり取りがあるHさんが二次会以降の参加が出来ないのは残念でしたが、二次会の「バッタ屋」も、三次会のバー(さらにさらに煮詰めたメンバー)も、大変盛り上がった……とだけ書いてこの日記を終えるしかないのは、もう本当に記憶がひとっつも残ってないから。お祝いだからって飲み過ぎたわ。

まだ出会ってない自分探しに行かなくちゃ

 4時起き。勝った。
 昨日の特講の添削、入浴、母君の朝食作成。半ドンの授業は3コマでしたがこれはセンター演習40分・自己採点の監督のみで楽。4限の時間が空いていたので自宅まで往復して母君の昼食を提供。本日は理系の生徒が防医プレ(防衛医科大学校の過去問を受験)に参加するので京大理系現代文特講は中止。防医プレを終えた後の生徒某さんと、センター試験(小説)の解き方についてアドバイスの面談。
 16時に自宅に戻って入浴、料理。母君に夕食を出して、お風呂に入って貰っている間に洗い物(以前お風呂場で立てなくなったことがあるので、入浴は私が自宅に居る時間でとお願いしています)。母君のお休みを見届けてから自宅を出て、今日は遠出で二日市「月空」。

 若林正恭『ナナメの夕暮れ』読了、★★★★。『社会人大学人見知り学部 卒業見込』(良著)の続編。オナニーを「自分磨き」と呼ぶ著者が、この本の中でくり返し使う「自分探し」の語はさてどういう意味合いか。自分が分からない自分が知りたいという著者がそのためにとるアプローチは自己の内面の変化を現在進行形で見つめ続ける書き続けるという方法で、これは相当な観察眼と筆力とを要求する作業。凄いなぁ。それでも★★★★なのは、きっと文庫化されて大幅改訂・加筆を加えられたやつの方が完成度が高いだろうから(いや、厭味ではなく)。
 好きではない言葉、今日で1995回目の更新になるこの日記内で「自分探し」なんて言葉を使うのは初めてのことです。

期待している 友達の友達に

 学級文庫には漫画NG、と3日前に書きましたが、ではタレント本は? 学校図書館にどのくらい入っているのかは調べていませんが、取り敢えずB組の学級文庫には、壇蜜壇蜜日記』、石井好子水森亜土『料理の絵本』、又吉直樹『火花』、栗原類発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』、星野源『いのちの車掌から』、黒柳徹子トットチャンネル』、荒木経惟『男 アラーキーの裸ノ顔』、が入っています。近く、山田ルイ53世一発屋芸人列伝』、若林正恭『ナナメの夕暮れ』が入る予定。ゴシップ的な意味ではなく読んで面白いタレント本でパッと思いつくのは、ウエンツ瑛士『できそこないの知』とか叶恭子叶恭子の知のジュエリー12ヶ月』とかですね。国語科のどこかに保管しているのですが……。

 未明の書斎でガシガシと添削。そう言えば、昨日の特講では久しぶりに寝落ちした生徒が居ました。いや、私の解説の時に寝る人は居ますよ、少なからず。そうではなくて、最初に問題を解いてる途中に寝落ちしちゃったお子。例えは相当不穏ですけれどもね、授業は「徴兵」でも特講は「志願兵」なんです。解説中に寝落ちするならそら私の責任もありますけど、最初に問題解いてる途中というのはダメ~。眠い時は特講サボって家で2時間寝る、睡眠コントロールは1回の特講なんかよりずっと大切です。
 朝のSHRまでに100枚弱の答案添削が間に合ったのでもう今日は勝ちの日。授業がない一日だったので、6限終了までずっとデスクワーク。昼休みは、慶応大学小論文について生徒と面談。自宅往復で母君に昼食もお出ししました。今日は放課後の特講が終わった後で飲み会の約束が入っているので、昼食と一緒に夕食のプレートも準備して冷蔵庫へ。

 放課後の特講は文系京大現代文で、03年の渡辺一夫「書籍について」。難問。筆者が書籍を「不可思議な現像液」「不可解な愛人」と呼ぶのは何故か。解く方も大変なら添削する方も大変で、未明書斎の添削は心する必要。とまぁ、特講後は飲み会なんですけどね。

 特講終了後、同時刻に合唱部指導を終えた高3学年主任地理先生の車に乗っけてもらって、先生の自宅経由で飲み会会場へ。K市だから焼鳥、という61回生Nくんの希望を汲んで、今日の店は焼鳥「S」……だったのですが、主任先生、私、Nくんの3人で入る予定だった店にNくんだけが来られなくなった。メールで曰く、もう絶対に断れない大得意様からのアポが入ったとのことで21時からの合流に。まぁ新社会人(証券会社)は大変どすなぁ、とか言いながら教員2人で飲んでたら(話題は67回生高3のことだから盛り上がらないはずもなく)、Nくん合流の時にはオッサン2人で結構な泥酔っぷりでした。
 オッサンは2次会、若者は1次会、店は小料理屋「A」。ここのママさんはNくんママのママ友のママ友でいらっしゃるので(分かりづらい!)、Nくんママのママ友さんからNくんママの話題を聞いてるかなぁ(分かりづらい!)、と当たりをつけて聞いてみたらズバリでした。「あぁ、NくんママのことはNくんママのママ友さんから伺ったことがあります!」(分かりづらい!)

 結局焼鳥を食べ損ねたNくん、だったらK市のもう一つのソウルフードであるところのラーメンで〆を、ということになったので最近のF高生が魂食にしている一番街入り口の「M」へ。地理先生にお任せして、私は先に帰らせてもらいました。
 23時に就寝。

長い道に 傾いてゆく夏の光

 他人のブログのタイトルなんて気にする人がいるのかどうか知りませんが、ちょっと前に「ぼく、劣リーマン。」というタイトルを現在の「日常性のEASY!」に改めました。のですが、先日の体育祭クラスTシャツに関して、隣の3年C組が担任の先生の顔写真をデザインした下に「ぼく、怒リーマン。」と書いたものを作成しており。そんなのが「クラスTシャツデザイン大賞」を受賞したというの、私は断じて認めない。二番煎じどころか三番煎じじゃねーか、と。
 あの開高健も心酔していた日本を代表する(と言って良いのかどうかは知りませんが)微生物学者、「うんこ博士」こと中村浩氏が戦後直ぐの1947年に発売した随想集のタイトルが『愚教師日記』(古書市で一目見て即座に手に取りましたもん。こんなの、以心伝心ですやん、みたいな)。新しいブログのタイトル案の中には「駄教師日記」ってのがあったんですけれど、「妥協」との駄洒落が伝わりにくいし、『愚教師』の先行があるならってことで随分前に没にしました。

 本日は、1限に文系東大二次対策、5限に文系標準二次対策、放課後に理系東大現代文特講(03年小松和彦)、と3種類の二次対策があって明日返却する答案も合計90枚! ということで「それ用」のスケジュールを立てなければなりません。

 5時前に起床して入浴、書斎でPCを使った作業を少し、起き出して来られた母君に朝食をお出ししてから7時に学校へ。始業前に1限・5限の板書準備を完了させます(特講の板書準備は先週の文系特講の時に終えています)。1限に授業、その後2・3限を使ってその35枚を添削(8割方終了)。4限・昼休みの時間を利用して自宅まで往復、母君に昼食をお出しして、夕食のプレートも冷蔵庫の中に入れておきます。母君は14時から週に一度の絵画教室ですがそのお見送りはできません。学校に戻った後、5限の授業。6限の時間を使って、先ずは1限の添削を全て終わらせました。放課後は特講、18時の終了後1時間ほど職員室で添削(3割方終了)。文系標準コースの答案20枚、特講の添削35枚を持って帰宅(途中、「もりき」で独酌)。21時半就寝。

 緑川ゆき夏目友人帳(23)』読了、★★★★。ま、多少の息抜きも。