リモコン パソコン 合コン アイコン マザコン レンコン ダイコン… でも大丈夫よ

 突然ですが、歌手の伊集加代さんのファンです。ネカフェで書き物をしながら『スキャット・エレガンス』を流したり、YouTubeで昔のTV番組動画を流したり。色々検索してたら、特撮版『悪魔くん』のオープニングテーマの映像動画を紹介しつつ「これを歌っているのも伊集加代」と説明している方がおられ、つい「それを歌っているのは伊集加代さんではなくその師匠にあたる水島早苗さんです」と教えてあげたくなっちゃいました。「教えてあげる君」がこれを本当に行動に移したら「クソリプ」って呼ばれるんですかね。でもって水島早苗さんっつったら、「水森亜土・相良直美・伊集加代(子)らは彼女の弟子にあたる……」とかいう出だしで四半世紀前ぐらいにクイズになってたりするんですかね。どうも上京中は感覚が大学生くらいに帰ってしまってダメですね。

 さて、上京旅……じゃない、仕事だ、2日目です。
 6時起床、宿泊ホテルから徒歩1分のところにあるカプセルホテルで風呂・サウナ利用、池袋に移動してネカフェで書き物、10時オープンのジュンク堂聖地巡礼の後、池袋西口で学年主任地理先生と落ち合いました。本日の東大受験下見、私は駒場文系組、地理先生は本郷理系組につき合うんですけれども、直前に学校で預かってきた各教科添削答案をこの下見で生徒に渡すんですね。それで、理系の答案をお渡しがてら池袋でランチでも、という話になっていたのです。場所は無難に「あんぷく」を選択(平日だったら「知音食堂」でも良かったんですが)して、私は黒カレーうどん、地理先生はカルボナーラうどんを注文。

 渋谷を見学してから本郷三丁目に向かわれるという先生と副都心線をご一緒。「おおっ、深い! 駅が遠い!」と、鉄ではないものの職業柄こういうのがお好きな地理先生は楽しそうでらっしゃいます。私一人だったら絶対に山手線を選んでいたところです。
 渋谷で先生とお別れした後は、タワレコに行って店内逍遙。何のイベントなのかは分かりませんが店内階段に女性がずらっと列をなしていました。私の目的地は静かなもので、クラシック・ジャズの売り場はほぼ無人梅津和時(こまっちゃクレズマ)のニューアルバムを購入。ほぼ無人とは言いましたが、フロアの隅に小さなイベントスペースがあり、私は名前の知らないピアニストのミニライブ・サイン会があるとのことで、開始2時間前なのに既に5、6人のファンが集まっていました。ライブ(フェス)の時代ですねぇ。

 渋谷から東大までは徒歩で移動。Bunkamuraから首都中央環状線にぶつかるまで歩く道は、右が松濤(お伽の国)で左が円山町(夜伽の国)というハレとケの境、環状線にぶつかったら右折して、山手通りを5分も歩けば駒場東大の裏門です(←誰のための道案内口調?)。入試前日の構内は、広場や建物脇のデッドスペースに簡易トイレが幾つも幾つも作られていること以外にはいつもと全く変わりがありません。人は少ないですが、明日に本番を控えた受験生であろう青年たちが、或いは一人で、或いは友人と、或いは家族と下見の最中です。20人超(理系は30人超)でぞろぞろツアーを組もうなんて集団は見あたりません。
 正門着は13時45分。まばらですが67回生文系諸氏が集まっており、私は郵便屋さんとして会えた生徒に国語や日本史や数学やの添削答案を返却していきます。偶然にも鞄の中に赤ペンと青ペンと修正テープとが入っていたので、数名の生徒が「これを添削して貰えますか?」と提出してきた現代文の答案を添削したり。2018年第一問(野家啓一)、2007年第四問(清岡卓行)の2種類で、これを本文も解答例も無い状態で添削していたら、引率卒業生の65回生Hくんから「本当に何も見ないで添削できるんですか?」と驚かれたんですけれども、これはカラクリがあって直前のテスト会(インフルエンザ出来で流れたやつ)用に準備したやつだから完全暗記出来ていたというだけ(それでも、何も見ずに添削をするなんてことをするのは今が緊急事態だからですよ)。

 引率をお願いした生徒は4人で、文系A組担任世界史先生の伝手で集まって下さったのは、65回生Hくん・Sさん、64回生Aくん・Mくん。
 Hくんは昨年5月に私を田植えという未体験ゾーンに誘ってくれた「東大むら塾」の副代表で、集団を引率指導する経験に慣れている故に今回の引率は専ら彼が説明役です(他のSさん・Aくん・Mくんは67回生諸氏と直接お話ししながら色々な情報を与えてくれました)。Hくん、制服集団がぞろぞろと歩くのをハーメルンの見事さで先導しつつ、受験会場である各号館内の教室の様子(部屋の広さ・椅子の形・リスニング音響の響き方、等々)を流暢にご説明。結構情報を仕込んでくれてたんじゃないかな。途中、通りかかった東大男子が横に連れていた彼女に小さな声で「F校の下見だね」と言ったのが聞こえました。卒業生ではなかったので、若しかしたらHくんのお友達だったのかも知れませんね。
 さて、引率役紅一点のSさんは、東大入学を機にご家族ごと東京に引っ越されたのですが、その妹氏は当時67回生我ら高1A組のメンバーでした。で、妹氏は高2に上がるタイミングでF高を離れて東京の某高校へ転入したのですが、私や世界史先生と時折情報をやり取りしたり(各人が上京の際には顔を合わせたり)、高3時には郵送で添削のやり取りをしたり、F高の67回生としてのお付き合いも続けています。今日の下見にも顔を出して下さって、元高1Aのメンバーと久闊を叙して(?)いらっしゃいました。春からは皆一緒に東大生です(妹氏は、もう間違いなく合格します)。

 1時間ほどで構内の案内、及び明日の朝の待ち合わせ場所(駒場東大前駅西口改札外)を確認して解散。下見の感想としては、集まった受験生は全員「日常性の維持」の顔が出来ていたので安心した、というところ。
 駒場東大前→渋谷→大塚。ホテルに戻って荷物を下ろし、池袋のネカフェで書き物をして2時間ほど時間を潰してから、山手線で池袋→新宿。

 本日の下見の慰労会、幹事は勿論私で新宿西口「ニッポンまぐろ漁船団」。コース飲み放題2時間の一本勝負で、集まったメンバーは全部で11人。67回生担任団は、学年主任地理先生、C組担任数学先生、A組担任世界史先生、B組担任国語私、の4人。生徒は、文系引率が65回生Hくん、64回生Aくん・Mくんの3人(妹氏が明日の受験を控えたSさんは流石にご辞退)。そして理系引率が、我らが63回生のTくん・Sくん・Mくんの3人。「心は文系、進路は理系」から経済官僚の道へ直走ったTくんとは春夏秋冬1回ずつの割合くらいで飲んでますが、Sくん(妹氏が67回生現役受験生)・Mくん(泣く子も黙る東大医学部)と飲むのは初めてです。担任・引率生徒合わせて10人なのに何故慰労会が11人なのかと言うと、担任団からドタキャンが1名出たのの補充に61回生Hくんが呼び出されたからです(ご愁傷様)。
 で、この慰労会が「神回(会)」でした。私が東大下見引率の慰労会に参加するのは3度目なのですが、毎回この席ではスパークする逸材が現れます。今回は63回生Sくんが大変エモう御座いまして、詳細は彼の、というより彼の妹君(我ら67回生理系を代表する才女)の名誉のために秘すことにしますが……

 ……時空を超えて、この箇所、2019年3月12日の職員室。見事九医に合格したSくん妹君が職員室にご挨拶に来られたのに応対しつつ。
 私「その節(←下見慰労会)はお兄様に大変お世話になりまして」
 妹「あの、次の日、兄が相当落ち込んでました」
 私「そう? 近年稀に見るくらい楽しかったんだけど。動画も撮ってるし(私がじゃなくて他の卒業生が)。あ、観ます?」
 妹「いえ、それは、あの」
 私「ですよねぇ」
 ……

 ……時空再び2019年2月24日、彼の、というより彼の妹君の名誉のために秘すことにしますが、とにかく面白かった(後でちらっと動画観たんですけど、素面で観ても面白いわこんなん、ってなりました)。っつかさ、どっちかと言えば私がSくんに、というかSくんのお母様にお詫び申し上げないといけないんじゃないの? だって、私、(私の名誉のために秘す)したりしたし。
 在学当時同じく保健委員だった経済官僚Tくんがかねて唱えていた「63回生保健委員会飲んだら面白い説」は全く本当でしたね。Sくんとは近い内に絶対飲みに行く、拉致ってでも行く。

 と言うわけで、もう後半がわやわやになってしまった飲み会(この文章も何が起こったのかが何にも判らない書き方になってて或る種あの飲み会を忠実に表現してます)は、新宿西口「ニッポンまぐろ漁船団」からいつの間にか「かば 新宿西口店」に移って(←このチェーンも使い勝手が良いですね)、明日は我らが67回生の受験本番で朝の激励があるんだぞ、っつーのにホテル帰還が結局日付変更ギリギリになってるあたり、やっぱり「神回(会)」の魔力だと思いますよ。お疲れ、私。そしてお疲れ、Tくん。あんたは偉い。よくあんなの(←Sくん)「運搬」出来たね。