遠くは近い

 本日高3卒業式。少しゆっくりめに起床して学校入りは6時前、九大後期小論文・北大後期小論文を添削。その後、春休み明けの高1課題テストを作成。高1の課題テストは、(旧)中3担当者が作成して(新)高1担当者が採点をするというリレーで、それが事実上の業務引継になるんですね。
 細切れの時間を使って、考えられる(今の時点でできる)先の業務を前倒ししまくってるのは、とにかく後期小論文の添削のために身体を空けておくためなんですけれども、やっぱり東大後期廃止の影響が大きいようで、添削が全然やってこない溜まらない身体が楽でこりゃ堪らない状態。去年の今頃、例えば東大が10人来たら、それだけで軽く15時間はかかったわけですから。

 卒業式@体育館、歓送会@食堂、は雰囲気こそ対照的ですがどちらも「粛々」。私はどちらにも副担任として参加しましたが、64回生らしい、節度ある喧噪に好感。その後は、市内某ホテルの大ホールを借り切って保護者(理事)主催の謝恩会。管理職・担任団をはじめとする20人弱の教員が招かれたパーティーで、生徒のお父様・お母様と(ビールを注がれながら)ご挨拶。昨年度の会と異なり、私は高3で突然入った副担任、「袖触れ合うも」とは言え通りすがりの人間ですので、他の多くの先生と違ってまず「初めまして」を言わなければならず、「初めまして」「お世話になりました」「いえいえこちらこそ」の繰り返しになります。

 さて。招かれた教員が壇上でスピーチをするというのがこういった会の決まり事、というわけで私も5分ほどお話をしたのですが、通りすがりの無責任と既にかなりの量が入っていたアルコールの酔いとに任せた言いたい放題がどのような内容だったのかを、ここに抄録。

 ★64回生のとあるお母様から、池ノ都は63回生が好きすぎて64回生に思い入れがないのではないかと思うと怖くて話しかけ辛いと息子が語っていた、と言われました。
 ★思い当たる節が無いわけではないと反省はしますが、そこは出来ないなりの懸命による現代文授業に免じてご寛恕いただきたく。それが証拠に、63回生の授業で失敗した・言い足りなかった部分に改良を加え、言ってみれば63回生を捨て石踏み台にして練り上げた授業を64回生のために行ったのですから(無論、今年の失敗は次に活かします)。
 ★足らぬ所だ(ら)けの授業を、しかし64回生は熱心に聞いて下さったことに大きな感謝を。この学年は、これまでのどの学年よりも話をよく聞く生徒が多かった印象です。彼らは、大人の言うことに耳を傾ける。
 ★さて、その彼らが現代文の総決算、一生で最も集中して文章を読む瞬間であろうセンター試験の本試験で接した文章が、今年度は「大きな物語」の終焉について書いたものでした。戦後高度経済成長期に国民が共有した「大きな物語」は既に失効している。
 ★「大きな物語」とは、ざっくり言えば、勉強してそれに見合った会社に入って幸せな結婚をして一国一城の主という、上流中流下流の違いこそあれ型としては同じような人生を全ての人が歩むというストーリー。これは確かに20世紀の「歴史」に過ぎず、F校校歌にある「修羅道の世」がまさに現前した現在の日本では、成程この「物語」は崩壊している。「頑張れば幸せになる」が必ずしも通用しなくなったのです。例えば、卒業式の祝辞はこの「大きな物語」が崩壊した「修羅道」を才あるF校生が救うことを期待、と述べるのが定型ですね。
 ★しかし現実の話、少なくないお父様・お母様が進学校と呼ばれる学校に生徒を入学させる狙いは世を救う子供になどという大きなものではなく、どちらかと言えば「大きな物語」が辛うじてまだ通用する(上流の)世界における人生へのレールを敷くことの方にあると言って、少なくとも言い過ぎではないのではないかと想像します。ざっくり言えば、少し古い(しかし「大きな物語」よりは新しい)言葉ですが「希望格差社会」の中で勝ち組の側に回って欲しい。
 ★でもですね、覚悟して下さいね。「大きな物語」なんて存在しないんだということを、生徒はセンター試験を通じて強烈に身分けてしまいました。なんせ、話をよく聞く子たちですから。東大を受験した生徒のお父様お母様には更なる悲報、直近の入試現代文のキーワードは「虚への志向性」、自他の先入観(期待)からの自由を目指すゆえの未知への自己投企です。嗚呼、「大きな物語」へ向けて折角敷いた(強いた)レールを脱線せよと、車掌役を期待した大人が命じるんです。
 ★何が言いたいかというと、大学生になってお手元から離れたが最後、お子様はお父様お母様の期待を軽やかに裏切って遠くに行きますよ、というお話。そしてそれは、お父様お母様を始めとする大人の言うことをよく聞く子に育ったがためだということだから諦めて下さいね、と。
 ★で、それはかなり寂しいことなのではないかと拝察致します。そして、今回私が最も言いたいことはここなのですが、「寂しいは楽しい」ということを、これはどうか覚えておいていただきたく。寂しい歴35年のベテランが言うのだから間違いありません。繰り返します、「寂しいは、楽しい」。私がその「寂しい」を飼い慣らしつつ、誰かとの愛を育んだりするようなこともせず1年間現代文の授業に打ち込むほどには64回生に思い入れがあったということと合わせて、どうか覚えておいていただきたいと思います。

 会は盛況、担任の先生方は終了後も多くの保護者に囲まれて応対。二次会は、担任団を中心として野菜料理の店「B」にてこれまた和やかに。特に担任の先生は疲れきっておられますがその疲労が幸せ、昨年体験したから知ってます。

 22時過ぎには全員が解散し、後は各自帰るなり3次会なり、という所で私は昼からの厳命通り3軒目に走ります。昼、ベテラン(最年長)体育先生から「今日の夜は、ベテラン(最年長)社会先生と飲みに行くから(後で合流しろ)」と言われており。
 時代は昭和、まさに「大きな物語」の休憩所のようなスナックで、その時代を生きた体育・社会先生に混じって……FKC(F校カラオケクラブ)のレパートリー担当、歌います! 覚えてる限り、以下。
 ①若い二人(北原謙二) ②恋の片道切符ニール・セダカ) ③哀愁列車(三橋美智也) ④スタコイ東京(菊池正夫) ⑤東京の花売娘(岡晴夫) ⑥かもめ(浅川マキ

 2時間ほど飲んで歌って解散、の後も昭和は元気なんだ、体育先生は離脱したものの日付変わって社会先生元気、でK市名物の屋台に拉致られ、じゃない連れて行っていただく。ビールを飲みながら歓談しておりました、ら。
 「親父!? 池ノ都先生!? 何で!?」と、数時間前まで64回生担任団飲み会で一緒だった中堅社会先生が暖簾をくぐって来られる。ベテラン先生と中堅先生は親子でF校教師でいらっしゃるのです。

 だから、謝恩会のスピーチ、一言付け加えないといけませんね。
 ★「寂しいは、楽しい」。存分に楽しんでたら、子供、たまに帰って来るみたいです。