雪 気がつけばいつしか なぜ こんな夜に降るの

 5時の起床は普段の生活から考えたらやや遅め、ですが生徒にとっては耐え難いスケジュールなのかな(どうせ、昨日の就寝時刻なんて日付跨ぐレベルで違反しているんでしょうし)。5分前行動が出来る学年にしては珍しく、朝食会場の点呼に遅れる部屋が3部屋(も!)ありました。本日は移動日。
 朝食後、生徒は慌ただしく部屋を片付け、担任の見回りを経てホテル前のバスに飛び乗ります。ホテルから送る荷物(大きなトランク)はバス横の大型トラックに預けて(私はスポーツバッグ1つを飛行機に持ち込むだけです)。空港までの2時間は、昨日(から日付跨いで今日)の寝不足を取り返す爆睡で行きのバスとは真逆に水を打った。そして、飛行場に着いた途端に再び覚醒して目が輝きます。

 空港では自由時間が2時間。福岡空港とは比べものにならない規模のレストラン(北海道名物)街にお土産街、に蜘蛛の子で散っていくお生徒さんたち、たぶんたっぷりお小遣い貰ってるんでしょうねぇ。私は5年前に入って感動した回転寿司に……と思ったら経営母体が変わっていました。味は前と同じくとても良かったんですけれども、値段はかなり上がってましたね。でもって、独りで読書しながら食ってたら横に来ましたよ仲良し男子生徒2人組、たっぷりお小遣い貰ってるんでしょうねぇ、ほらその皿の色はちょっと高いやつであぁそんな目映い皿を何の躊躇いもなく。しかも2人組、偶然隣に居合わせたお婆様とお話しながら1皿奢って貰ったりしてその田舎学ランのどこに母性本能をくすぐる要素があんねんな、と。
 K市の母・Hさんへは海産瓶詰め、超ベテラン保健先生には北海道限定のビール、等々のお土産はご自宅へ配送。不躾ですが、怒られたら後で謝ろう。

 飛行機、今回は着陸前に揺れたのでかなり怖かったです。気流の関係なんでしょうね。スクリーンに映った飛行経路を見ると、一旦空港の南側に回って北上しているようなんですが、理由は分かりません。風だとか他の飛行機だとかの影響があるんでしょうか。私、行き(西から東へ)より帰り(東から西へ)の方が時間が掛かる理由をついこないだまで知らなかったくらい蒙いのです。

 北海道の空港で解散式を済ませており、福岡空港に到着の後は生徒は順次流れ解散。但し、担任団はバスに分乗し、F校まで帰る生徒、JRや西鉄のK駅まで帰る生徒の引率を。私がJRのK駅で生徒を降ろしたのは19時でした。
 K市に入って唖然としたのが、北海道から帰ったこのタイミングで年一レベルの積雪だったこと。せいぜいが数センチだとは言え、K市の地面が白いのは本当に珍しいことなのです。どのくらい珍しいのかと言えば、その地面を革靴で走ることがどれだけ危険なのかということを失念してしまうレベルで、私、北海道ですら転ばなかったのにK市でバスを降りた1分後に見事に滑って転んで身体の右半分を強打してしまいました(痛みは3日間引きませんでした)。

 走った理由は幹事だから。JR直ぐの焼き鳥屋「S」に入店して、引率有志打ち上げ(というよりも、写真館さん・添乗員さんに感謝する慰労会)を開きました。私は初めて入ったのですが、2階の1室を借り切ったらビールは設置のサーバーから自分で注ぐというスタイル。元ビール会社勤務でいらっしゃる学年主任地理先生の技が冴えまくってました。身体は痛い、酒は旨い。

 健康(?)睡眠。明日の高2は生徒も担任団も代休ですが、私は高3テスト会(国語)が入っているために問答無用で出勤しなくてはなりません。ブラックか。

自分のニブいアンテナ棚に上げて

 スキー旅行3日目。

 56回生を引率した時ってもう12年も前になるんですね。あの時は、捻挫でスキーが出来ない生徒を札幌観光に引率して、その帰りのバスの中で(大好きだった)岸田今日子さんの訃報に触れて絶句したんでした。そのインパクトが強いので、スキー研修中は何か芸能の大きなニュースが入ってくるというジンクスがあるような気がしておりまして。
 例えば、今回ならユーミンの45周年ベストの話題なのかな。5年前(40周年)の『日本の恋と、ユーミンと。』の続編(2作品で完結)となるベスト(3枚組45曲)が4月に発売、その後はベスト選曲のアリーナツアー(アリーナって15年ぶりくらいじゃないかな)があるそう。驚いたのは、続編ベストがあるならば知名度次点の曲を集めた「第2ベスト」かファン投票など隠れた名曲を集めた「裏ベスト」かだと思ってたのに、初の本人自選で今聴いて欲しい「私家集的ベスト」だという事実。これで、2つのベスト盤(6枚90曲超)から、「まちぶせ」も「サーフ天国、スキー天国」も「天国のドア」も「かんらん車」も外れてしまいました。

 さて、今年もいるんです、怪我でスキーが出来ない生徒。彼らは本日札幌観光だそうですが、昨日はルスツリゾート内で様々なアクティビティにチャレンジしておられました。例えば、キーホルダー作成。作成中の某くん、模様は活版印刷みたく一つ一つ槌で打ち付けてなかなか大変そう。見れば、打ち付けているアルファベットは引率の柔道先生のお名前。
 私「優しい。柔道先生にあげるんだ」
 某「いや、先生がくれって言うから」
 私「なんだ、柔道くん。図々しいなぁ」
 後で聞けば3240円で売りつけるらしく某くんの方が悪辣でらっしゃいました。

 と、回り道を経て本日の本丸は母君とのお電話。
 実は、この直前、生徒が朝食中に、学年団のとある先生から私の人当たりが時に強すぎると叱責を受けまして。でもって、反省しつつそのお話を伺いながら、これは仕事は勿論のこと、でもそれだけの話じゃなくてこれから始まる(予定の)母子二人暮らしの話にも敷衍される大きな話だぞ、と沁みるものがあったんですね。
 私も母君も思ったことは全て余さず耳を揃えて言うタイプの人間なのですが、こちらは健康あちらは闘病中という彼我の差を弁えずにこちらが言葉を操ればこれは最早DV必至(なのに、気を遣っているという素振りを見せればあちらの機嫌が悪くなるという悪条件!)。朝に掛けるとお約束のお電話から、これは早速ちゃんと頭を働かせないといけないぞ、と気を引き締めまして。

 生徒が午前中のスキーに勤しみ、恐らくほぼ全員がもうかなり上達してきて「えっ、これって今日の午後2時間くらい滑ったらもう終わるってこと? 早いよ! 折角面白くなってきたのに!」などと考えているであろう時間に、こちらは北海道と福岡との距離を隔てた家族会議を。
 結局、25日(日)に施設を引き払って私の家に落ち着くという結論と相成りました。施設との書類手続きや引っ越し業者(荷物は殆どないから赤帽かなぁ)の手配等々は私が一切を行い、25日(日)は終日身体を空けて引っ越しをお手伝いするということに。以降の生活は、その時々で考えようという話。人間、衣食住さえ整えば何とかなりますから、私の方はとにかく仕事に影響がないようにということだけを考えましょう(例えば、翌26日からは大事な大事な定期テストですし)。
 という訳で、90分ほどの家族会議の後は、部屋で採点をガシガシ。

 最後のスキーウェアは研修の「閉講式」に臨席するため。入浴や食事はいつもの通りなのですが、今日はその後に生徒がず~っと準備を重ねてきたレクレーションがあるのですね。45分ほどかけて、漫才やダンス(?)や演劇や映画(?)等々、観客大笑いの展開を見ながら、あ~、なんだ、「男く祭」も結構やれそうじゃないですか、と担任団一同感心(とまぁ、これは先日の体育祭の全身タイツを見た時から予感されていましたが……)。私も少しだけ引っ張り出されて、人生初ウィッグ・口紅。

 以降、就寝見回り、ミーティング等々の日程は昨日と同じ。明日は移動日ですね。

今ピンチがチャンスにチェンジ ほんの数センチが生む急展開

 スキー研修2日目。
 そう言えば、昨日、ホテルの部屋にいたら早速ピンポンダッシュされたんですけれども、生徒パンフレットにはどの教員がどの部屋に居るかは書かれてなかったはず(全部屋「教員」とだけ書いてあるはず)。私の部屋だと知ってたんですよねぇ、さすがに。これ、賭けだったとして、別の先生だった場合、人によっては地獄絵図になってたかも知れませんから。

 朝食、スキー、夕食、入浴、寝る。
 生徒の日程は、基本的にはこれだけ(昼食は、午前・午後のスキー訓練の休み時間に班ごとにインストラクターと摂ります)。私は、午前中に2時間ほどスキーをやってから、とっととホテルに引きこもりました(これで、私の今回引率におけるスキーはおしまい)。ランチはホテル内のレストランでスープカレー。部屋に戻って部屋風呂で温まった後は、先日行った高2の現代文のテストの採点をガシガシ。川田順造「手づくり幻想」などという懐かしの教材を使ったんですけれども、今回は珍しく漢字から手こずっている様子(スキーが楽しみで勉強が手薄になったのかしら、と思ったほど)。「邪推・標榜・偏屈・元凶・感傷・執念」、6つ全部を正しく書けた生徒は半分もいません。平均をとったら、1人1題以上間違えてるんじゃないでしょうか。途中、14時にオープンする大浴場に行ったのを挟んで、12時から16時まで採点。
 大浴場、オープン直後に入ったのですが、先客が20人と言わず居て流石大ホテル。ヨーロッパの人には、小さなものからケバケバしいものまでタトゥーを入れている人が少なくありませんでした。東京オリンピックが始まったら、温泉や銭湯やサウナで「入れ墨禁止」っていうのはもう通用しなくなるのかなぁ、など考えながら。

 さて、スキー研修引率の日記なのに、ここで急に話が変わります。16時に母君からかかって来た電話で、額面通り「人生が変わる」事態に直面してしまったからです。
 息子「……あの、何と仰いました?」
 母君「だから、ここ(リハビリ施設)を出て、そっちの家に引っ越します」
 息子「お一人暮らしのお部屋をお探しだと仰ってましたが?」
 母君「それはそれで、身体が動けるようになったんだし一刻も早くここを出たいから。だから先ずそっちに移って、その後のことはその後で」
 息子「お引っ越しはいつ?」
 母君「明日でもいいくらい」
 息子「……私、今、北海道に居りまして」
 母君「でしたね」
 息子「今から生徒と夕食ですので、明日の朝またお電話を差し上げるということで宜しいでしょうか」
 母君「解りました」

 ……正月の3泊みたいな「お客様」ならともかく、私と2人で暮らすのはお嫌だ、と仰ってたのは他でもない母君ご自身で私も完全にそういうものなのだなぁと受け容れていたものですからこの不意打ちには本当に驚かされました。もし本当に2人暮らしが動き出すというのならば、私がF中の中学寮に入った時以来ですから25年(四半世紀)ぶりということになります。
 親不孝の謗りは完全甘受、でも最初の感想は正直に言って「選りに選って高3担当の春からピンポイントかよ」というものです。全脳照射治療終了直後(昨年5月)の車椅子から考えたら劇的回復、主治医の先生も自立生活問題なしという折り紙をつけて下さいましたが、それでもまだまだ今の段階の母君のお身体は癌と抗癌剤との影響とで実年齢(還暦)の+15才前後というところでしょう(多少気弱にはなってお出でですが、精神の働きは実年齢のそれです)。正月滞在3日だけでも、ここには書けない(お互いの)苦労がありました。もうしばらくリハビリを続け、矍鑠と動けるようになってから私の自宅近くに部屋を、と仰っていた母君は必ずそうなさると思っていたのですが、心変わりの理由はよく分かりません。
 ただまぁ、理由は分からなくても決定には従うのが息子の務めであるわけです。風呂やキッチンの操作一つでも解らないことだらけの自宅生活に、母君が快適を感じて下さるだろうか、どのようなことをお教えしないといけないだろうか、と電話を切ってから頭はぐるぐる、ぐるぐる。何しろご自分のことで私を煩わせることを異常なほどに嫌がられる母君ですから、私は煩わされてなどいないという体で母君のお手を引く必要がありますが、はてさてそれが巧く出来るでしょうか。
 しかも私は学校の教員でその上今は担任を持っている身ですから、人生の優先順位が「学級→国語→私生活」にならざるを得ず母君のことはどれだけ頑張っても「三の次」までしか持ってこられません(国語科恩師先生からは「時間を使うこと、身を切ること、身銭を切ること」の3つが仕事上必須だと教わりましたが、「身を切る」の「身」には我が身だけならず身内も含まれておりましょう)。63回生高3を担当していた10月に母君が肺癌のステージⅣだと主治医先生に聞かされた時には(勝手に母君の余命を数ヶ月だと誤解してしまい)動転の余りの馬脚で「3月まで永らえますか? 忌引きが取れないんです」と問い返してしまいました。そして実際に高3の教科指導は時間との勝負なので11月の母君の手術に唯一の家族として立ち会う待合室でも東大特講(あれは理系の漢文だったかな)の添削をしていました(気晴らしにもなりましたね)。これは親孝行親不孝の問題でもなく、仕事量の是非の問題でもなく、他人の人生に(多少は責任を持って)関わるなら誰でもそうなるという話なんじゃないかなぁと考えています(職員室の諸先生方を見るにつけそう思えます)。
 そして、だからこそ「選りに選って高3担当の春から」という感想。別のタイミングだったら、母君に対してもう少し時間も身も身銭も捧げられるのです(って、今から言い訳めいたこと言ってては始まらないですが)。

 ただ、まぁ、25年ぶりの2人暮らしというものがどういうものになるのか、それが全く予想もつかないという事実に(多少は)面白みを感じないわけでもありません。単親が小学生の息子から父・母両方の役目を一方的に押しつけられるという25年前の片利(偏利)関係とは違った関係、新しい2人の関係が(暮らしが)どのようなものになるのか。これはあれか、「8割の力」とか言い出した私に神様が「ざけんな」って言ってるのかも知れませんね。ずっとバタバタ喘いでた方が良いんだよてめぇは、と。
 さて、だったら引っ越しはいつがいいのでしょう。私が立ち会う・手伝う必要がありましょうから一日身体を空けられる日です。100%確実なのは25日の日曜、国立二次の真っ最中は高3の添削が一切回ってこない職務の「エア・ポケット」。この日なら確実に一日フリーが可能です。母君はあと3週間を待てると仰るでしょうか。これもまぁ、明日のお電話で相談ですね、等々考えながら、ベッドに腰掛けて頭はぐるぐる、ぐるぐる。

 夕食から消灯時の点呼、その後の引率団打ち合わせまでは昨日とほぼ全く同じ。ホテルの部屋で、本当はよくないですが(生徒は寝てくれていて問題は起こさないと信じて)缶ビール。北海道の観光地は全力で「SAPPORO CLASSIC」推しですね。
 さて、明日の電話、どんな風になるのか。

つれてゆこうかこれから スキー天国へ

 未明のコンビニで留寿都3泊4日に向けた最後の買い物は、歯磨きセット、帰りに着るYシャツ、CDウォークマン用の単3乾電池、生徒に配るのど飴、等々しめて5000円也。仕事なのではっきり言って「楽しみ!」って気分にはなれませんが、バッグに本やCD(松任谷由実『Surf & Snow』)を詰め込むと少しは旅行気分に包まれます。
 6時の職員室では高3生徒の小論文(慶應・文学部)の添削に付けるお手紙をガシガシと認め。その彼とは8時10分から職員室で面談をお約束しています。その後、スキー研修の高2を乗せたバスは8時50分に学校を出ますので、「日常」から「非日常」への移行はその間の僅かな時間が勝負という割とタイトな流れです。
 さて、小論文面談が20分程で終わった後、8時35分の職員室に高3某氏が添削(東大過去問)を3年分持って来られました。現代文(ボランティア)なら研修後まで待ってもらうところですが、漢文(正規の仕事)だったので無下には出来ず、その場でガシガシと添削。3枚とも、もう何百枚添削したか分からないほどに(本文と傍線部と設問とを大体暗記しているほどに)親しんだ問題なので、資料を見なくても採点・添削は出来ます。15分で添削をして、結局「非日常」の高速バスには1分程遅れて乗り込むことになりました(私が乗り込んだ時には、生徒点呼係が点呼を終えていました)。生徒には5分前行動を強いておきながら、いきなり駄目な引率っぷりです。

 平日朝は高速も空いているようで、F校を出発した高速バスは50分足らずで空港に到着し(私は段々憂鬱になっていきます)、空港に直接集合した生徒と合流した後で、200人超の一行を整列着座させて飛行機の搭乗券を配ります。この日記でも何度くり返した解りませんが真面目な学年だというのはここでも発揮されており全員がまさかの5分前行動。飛行機というのは偉そうな乗り物で離陸(発射)の1時間以上前に空港に到着することをお客様に強いるものだから、全員が搭乗口に到着したのは搭乗案内開始の1時間前です。完璧。昼食は飛行機内で摂ることが決まっており弁当とお茶とは既に各生徒に配布済み。その状態で、1時間の自由行動なんて許されても一体何をしろっていうのさ……と思ったらこういう時の時間潰しは皆さん得意なようで、添乗員と担任団とは北海道の(空港内の)お土産情報を交換したりおしゃべりに興じ、生徒は集団でトランプやったり駄弁ったりみんなで飲み物を買いに行ったり(移動中の飲食は、お茶とのど飴とのみが許されています)独りでスマホを弄ったり。私は30分ほど独りで読書をして(読了本は研修員卒最終日に)、その後30分ほどは周囲を散策(生徒観察)でうろうろ。年末の上京時に買おうか迷って(高いから)買わなかったアイスクリーム売り場に行ってみたら案の定生徒数名が買って食べてて、「これはルール違反じゃないの?」と聞いたら「アイスまでは飲み物です」との返答。「んならカレーも牛丼も飲み物じゃねーのか」とツッコミがてら更に散策してたらカレースタンドの止まり木に堂々腰掛けて牛丼食ってる生徒がいて大笑い。こんなの、見つかったら一発で生徒指導じゃないかと後ろから近づいて、何より30分後に弁当食うことになるのによくも牛丼なんぞという意味で「お腹、空いてんの?」と聞いたら振り返って曰く「『一蘭』でラーメン食べてから来ました」だって。福岡空港の搭乗口には、飛行機に乗る人しか(手荷物検査を潜った人しか)食べられない「一蘭」があるんです。初日から生徒が叱られるのを見るのはつまんないんで告げ口はしませんでしたけど、ラーメンから牛丼から弁当ってのが昼食なのか。痩せ型なのによく食うな、ってか金持ってんなぁ、と。

 飛行機2時間はずっと本を読んで過ごしました(やっぱり飛行機に乗るのは憂鬱です)。昼食は生徒と同じ弁当で、ナポリタン・唐揚げ・ハンバーグ・コロッケ……等々中学生男子が喜ぶものしか入ってなかったので来年からは内容を変えた方が良いと思います(多分、下見同行の高1担任先生が変更させるでしょう)。
 千歳に着陸(墜落)した後は、そのままコンベア式にバスに乗せられ、2時間近くかけて留寿都まで一直線。空港もホテルも暖房完備ですから、生徒は「ならでは」の寒さを味わう暇がありません。スキーの時も完全防備のウェアですから、3泊4日の全旅程中、生徒が寒さを味わうのは行き帰りの福岡県内でだけです(事前にホテル配送のトランクに防寒具を大量に詰め込んでいた生徒はそのことを知らないのかも知れません)。留寿都までのバス内でもずっと本を読んでいましたが、B組生徒は配ったのど飴の分配だけで優に15分は遊べるみたいですからテンションは高いのでしょう。急に前に出てきてマイクで歌を歌い出したりモノマネ始めたりした某くんの鉄のメンタルには唖然としましたが。あと、窓越しに支笏湖を写メって欲しいとスマホを渡したら自撮り画像を返してくれたあなた、それ、わざとなの?

 ルスツリゾートは、ホテル全体が街です。これまで2度の引率はどちらも夕張(マウントレースイ)だったのですが、あそこがホテルとゲレンデ「だけ」だったとの比較したら、遊戯施設やショッピング街やという「遊べる」施設の充実度は半端じゃありません。一般客も多く、男子部屋のあるフロア(3階)も女子部屋のあるフロア(5階)も貸し切りではなく、生徒の節度が要求されます(くり返しますがこの学年は真面目なので以下略)。ホテルに入った途端に屋内メリーゴーラウンド、フロント前には幻想的な噴水ショー(思わず動画にとってTwitterにアップしてしまいました)。一般客には海外からの方々(東洋も西洋も)が多い様子。

 スキー研修の引率は、学校からは校長先生・高2担任団9人・高1下見担任先生、の計11人。他に、写真館さん・看護師さん・添乗員お2人。大人は全文で15人で、後者4人はず~っと仕事が続くのですが、前者学校からの11人に関しては実は仕事量に多い少ないがあります。研修担当の副担任英語先生・化学先生は起きてる間はずっと処理すべき仕事があるようなのですが、それ以外の担任・副担任はそれほど仕事が多くありません。就寝後の見回り等の雑務はありますが、基本的には生徒を「見てるだけ」でいい。しかも、核となるスキー研修中は班ごとに分かれた生徒の面倒をインストラクターの方々が全面的に見て下さるので、教員は何にもすることがありません(スキーをしてもいいし、便が悪いので事実上不可能ですがどっかに観光に行ってもいい)。私が今回の荷物に採点添削の答案を入れている所以。

 さて、ホテル到着は16時。スキー研修は文字通りスキー漬けですので、本日から早速スキーウェア合わせと歩行訓練とが始まります。
 北海道は日が落ちるのが早く、ゲレンデは既にライトが点灯するナイトスキー。殆どの生徒は人生初スキーということで、インストラクターの指導で先ずは板の着脱から雪道の歩き方のレクチャー。これが、明日の午後には既にゴンドラで山頂まで行くようになっているのですから凄いものです。

 私は56回生引率の時(12年前)は一切スキーをせず(卒業アルバムの教員集合写真でも、私以外の先生方は全員スキーウェアですが私だけジーンズにシャツです)、63回生引率の時(5年前)は全時間スキーをして(直前に体育先生に夕張スキー旅行に連れて行って頂き練習をしたのです)、今回はその中間かなぁ、というところ。今日の夜と明日の午前中は滑って、後はホテルに閉じ籠もっておくつもりです。
 5年ぶり(人生4回目)のスキーですが、教員には教えてくれるインストラクターなどいませんから、独りで何とかするしかありません。取りあえず、ゴンドラで初心者向けコースの上まで上り、重力に任せて滑るというのを2、3度くり返しました。他の先生方は重力に身を委ねる術をご存じですいすい滑ってお出でなのですが、私は引っ張る力に抵抗しようと常に身体が逆らうので「滑っている」というよりも「止まり損ねて続けている」と言った方が正しい格好になっています(後で生徒に「あんな不格好な滑り方をするのは普通に滑るより難しそう」と言われました)。
 そうそう、私、滑ってる(止まり損ねている)途中で某女子生徒にぶつかって泣かせてしまうという大失敗を犯してしまいました。そら、初めてのスキーでこんなでっかいのがぶつかって来たら驚くに決まってますね。ですので、ホテル内のケーキ屋でショートケーキを4つ購入して、彼女の部屋(4人部屋)に後で謝りに行きました。女子部屋に近づくのは勇気が要ります。中を見ないように賄賂(ケーキ)をお渡しするのに苦労しました。

 ホテル内にはレストランが幾つもあるようですが、67回生200人は3泊4日の間そのうち1つを貸し切りにして、そこを食事・連絡会議・職員打ち合わせの会場として使います。料理は全てバイキング食べ放題で、これは夕張より豪華だったかな(夕張では毎食飲み放題だった「カツゲン」が出ていなかったのだけは残念)。毎食サーモンの刺身が出ていましたが、それ以外の料理については3回の朝食・3階の夕食において全てのメニューに一つも重複がありませんでした。
 夕食後は生徒は自由行動(行動班の班長に対する連絡会議など細かい仕事はあり)。そうそう、引率担任団の殆どには引率に際して特別な業務はないと書きましたが、生徒指導部の先生お2人(世界史先生・体育先生)は来年4月の「男く祭」に関する打ち合わせを役員生徒とず~っと。こちらの「非日常」への準備も着々の様子。

 生徒は22時30分就寝(明日の起床は7時30分だから……9時間睡眠!)。各フロアの部屋を回って消灯の確認をした後、引率15名は本部に集合して明日の動きの打ち合わせを1時間ほど。今のところ、生徒に怪我や病気は出ていません(バス・飛行機内では200人超全員がマスク着用の義務でした)。
 健康睡眠。

先のこと 考える 暇なんて

 本日の高2は外部模試の2日目。終了後には明日からのスキー研修を前にした結団式が行われました。生徒はほぼ半ドンで下校。結局、新しくインフルエンザを発症した生徒は居らず(明日まで予断を許しませんが)、現在出席停止中の生徒も明日からは出校(スキー研修参加)が可能な状態なので、インフルで研修不参加という生徒は出さずに済む確率が高そうです。現在のF校では、中2で学年閉鎖ギリギリという勢いでインフルエンザが猛威を振るっていることもあり、担任団はヒヤヒヤしていました。生徒下校後は、旅行社の方々・養護の先生と担任団とで打ち合わせを夕方まで。

 さて、本日は上記打ち合わせの後で定時退勤だったのですが、3週間前(正確には1月11日)の日記に書いた「勤務実態調査」が本日から始まりました。具体的に言えば、毎日ハンコを押す出勤簿に手書きで出勤時刻・退勤時刻を記入するという業務。本日の私で言えば、出勤時刻「7:00」と退勤時刻「17:00」とを書き込みます。労働者の勤務過多抑止を目指すという建前で労基局からの命令。これが「建前」だというのは、それぞれの教員が手書した時間をこせこせと集計する作業を事務方が負わなければならないということからも端的に判ります。いやいや長い目で見ようよ大学全体の就労環境のためでしょうが、と言われたら「だって、教員って残業手当出ないも~ん」と言いながら蝶のように逃げましょうか(少なくとも、職員室にとっては「建前」意外に表現のしようがない)。実際、これは事務方にだけ関係のあるイベント(こっちは遊びだと思わなきゃつき合ってらんない業務)なんじゃないかな。
 しかし私は「『無駄』なる語彙廃絶委員会」のメンバーなので時刻記入を(忘れなければ……ちょいちょい忘れるでしょうが)続けます。「そんな実入りのないこと、何でやるの?」と聞かれたら、はい、大きな声でお返事しましょう。「暇だからね!」

 という訳で、定時で退勤をして、帰宅後は入浴・「もりき」で軽く独酌、その後、寝る前に旅行カバンに3泊4日分の着替えを詰め込んでから就寝。

 森見登美彦『太陽と乙女』読了、★★★★。『ペンギン・ハイウェイ』は読後思わず「やったー!」と叫んだ(正確に言えば日記に勢いよく書き込んだ)傑作だったのに、なぜだかそれを最後にその後の小説作品には手を出していませんでした。が、今回のエッセイ集を読んでいる内に無性に読みたくなったので、買うだけは買い続けていた諸作品の中から『聖なる~』を取り出して明日からの旅行カバンにインしました。

リリリピート

 学級日誌に某生徒が「フレデリックの曲はお好きですか?」と。私一瞬、フジファブリックと見間違えました。返してコメント「フジファブリックに空目。不勉強ですみません、私、そのバンド、今初めて知りました」
 コメントを返してから気づきましたが、そのフレデリックなるアーティストがソロなのかバンドなのかも解らんな、とググってみたら日本のバンド。Wikipediaの説明文の中にはメンバーの音楽遍歴としてフジファブリック戸川純中島みゆき……等々香ばしい名前がずらり。ならば必聴、北海道のお伴はユーミンと決めてますから、K市に戻ってきてからタワレコですね。

 さて、その北海道スキー研修に関して、致命的なものではなさそうですが通常では起こらないようなトラブルが。事前に留寿都のホテルに送り届ける生徒のトランクが、JRの事故(故障?)で輸送不可能になり、急遽飛行機輸送に切り替えることになったのです。
 で、昨日、荷物が一回学校に帰ってきました。別に戻ってこなくてもそのまま空港でよくない? と思うのは私が飛行機を殆ど利用しない人間だから。陸路から空路に切り替える場合、一度全ての荷物を持ち主が点検して、列車には乗せられても飛行機には乗せられない物品を取り除かなければならないのです。具体的に言えば、カイロとスプレー。旅行委員を中心に生徒はこういうトラブルも楽しめますからトラックで運ばれてきた荷物を抱えてワイワイガヤガヤと楽しそうですが、スキー研修担当の先生(学年団の英語・化学先生)やクラスに欠席者がいる(本人が荷物チェック出来ない)担任の先生は指導や連絡が大変。私はどちらにも該当しないし自分が送る荷物もないし、ただ横で見てるだけでした。

 本日から2日間、高2は外部模試(それを終えたら明後日からスキー研修)。私はその監督とは別に高3文系漢文の授業があったので、それを終えた後は添削をしながら監督など。模試自体は昼過ぎには終わったので、その後は職員室で昨日高2に出題した試験の採点をぼちぼちやったり等ゆったりとデスクワーク。

 退社後は、研修中に履く(スキー用の)厚手の靴下を買いに西鉄K駅まで出ました。コーヒーでも飲んだ後で折角街に出たんだから余り行かないお店に顔を出そう、と先ず西鉄構内の「Tully's」に入ります。レジ担当のバイトさんに飲み物を注文してお金を払ったら。バ「……あの、解ります?」 私「ええ、解りますよ」 バ「良かった。はい、お釣りです」 私「えっと、お釣りが多いような」 バ「社割です」
 レジに入られていたのが偶然「もりき」マスターのお嬢様でした。私が何にも言わない故の「解ります?」だったんですけれども、お仕事中に話しかけるのも気が引けたんで。店に通い出した10年前からたまに顔を見る度に思っていたんですけれども、予想した通りとても美しい女性になられました(最初は小学生、今は大学生です)。

 私「で、社割とか言われたらさ、これはお父上にお返しせねば、となるでしょう?」
 マ「それで街に出らんと帰って来たと? 律儀やねぇ」
 というわけで、健康的に「もりき」で独酌。

黄昏おちて 部屋のドアを開けたら

 とは言え、私にも私の私生活(重言)はありまして、次の4月から2年間、住んでるマンションの組合の副理事長を務めることと相成りました。それがどのような拘束の下でどのような面倒くさいことをやらされる仕事なのかは全く解っていませんが。取りあえず、4月の真ん中頃に最初の理事会が開かれるそうです。僅か20戸強の部屋しかないマンションなので、理事会と言っても構成員は4人だけです。

 本日は、7限に5クラス横並びで現代文の試験。普通なら直後に採点を終わらせて次の授業で返すのですが、次の授業がスキー研修明けなので、今回の採点はスキー研修引率の合間にすればよくて大変楽ちん。8割の力と決めたばかりの私に、早速天使のエールが送られてきました(幸福な思考回路です)。

 さて、ここで「8割の力」について考えます。
 「8割の力」と言うときに、全ての業務において2割手を抜くとかいうアホなことをする人間はいません。やるべき業務の成果は落とすべきではありませんから、必然的に業務に優先順位をつけて、それ以外をカットするという方向に考えを傾けます。例えば。

 1tweet140字。
 【昔の日記。担任未体験で20代の私、「私が担任したら絶対猫可愛がりするから生徒が甘えて堕落する、それが今から申し訳ない」なぞ書いてます。己を知ってはいますが、厳しさは足りません。担任6年目アラフォーの私は、「猫可愛がる。それで堕落するなら知らん」という大人の厳しさを身につけています。】

 前述の通り、担当高2Bの担任業務は絶対優先事項ですね。全力で甘やかさないといけません。
 それから、「授業が命」なので、今年度担当の高3漢文・高2現代文。入試前なので、高3漢文の二次過去問添削の依頼は引きも切りません。
 続いては、67回生担任団の仕事かな(これは、クラス担任とは別次元の仕事です)。会議があったり、教務部の資料を作ったり、模試や週テストの試験監督があったり、まぁ色々。

 サイバラ先生が最近色んな本で書いている通り、人間が持てる荷物は3つで後は捨てる、というのは私も正しい思っています。丁度、前述の3つの仕事(クラス・授業・学年)が(時間的にも体力的にも)業務の8割ってとこじゃないでしょうか。
 だから、後は捨てる(か、手を抜く)。

 具体的には。
 先ずは、校内模試の問題作成。来年度、私がもし67回生高3を継続担当(現代文)するならば、校内模試は現代文を2種類作成することになるでしょう(多分、第3回と第4回と)。その問題(文理共通1題、文系1題)は勿論既に完成していますが、今後新しく読んだ文章で今の問題よりも良いものが作れそうならそちらに差し替えるのが通例です。で、普通だったらその観点から毎日を「鷹の目」で過ごすんですが、暫くそれをやめます。探さない。読書は軽いのに傾けよう、本屋の立ち読みも減らそう(本を買う量は減らしませんけど)、等々。
 続いて、ボランティア添削。今年度は高3の漢文を担当しているのですが、現代文の添削もガンガンと回ってきます(国語科中の先生がお手伝いなさっている様子)。これは気のせいかも知れないけれども、今年度はその枚数が例年の倍とは言わない量に達しているような。で、通常だったら翌日返却なのですが、暫くは手が空いたときに細々とというペースで(ごめんね!)。睡眠優先。
 更に更に、暫く6時出勤を絶対化するのをやめましょう。30分長く寝たり、学校ではなく自宅書斎で朝の仕事を片付けたり、等々お気楽に。

 他にも色々降ろす荷物はありそう。
 母君には申し訳ありませんが、来月25日から1泊で予定していた四国旅行もキャンセルします。丁度、昨日今日と母君が風邪をひかれている(喉がやられている)ので「大事を取って」というのを方便にしました。実際、手を引く側が疲れていたら失礼ですからこれは母君のためでもある、と自分をごまかしつつ。まぁ、近いうちに次のチャンスがあるでしょう。

 後はやっぱり。
 私「疲れてる時ってさ、やっぱり美味しいお肉が食べたいよねぇ」
 マ「珍しいよね、独りの時に鴨を注文するの」
 私「高いから腰が引けるんだけど、それでも牛豚に走る年じゃないの。鴨か鯨かが精一杯」
 夜は「もりき」で独酌。

鈍感力

 授業は高3東大文系が1コマで、直後に添削を終わらせて担任の世界史先生へ。やっぱり、先日の感触通り「例年並み」には届いているようです。

 さて。

 年明け頃から薄々感じてはいたのですが、今、約5年周期で来る「職業的心身不調期」に入っているみたいです。今日の昼休みに卒業アルバム用の写真を撮ったのですが、顔見知りの写真館さんに「先生、笑って!」と言われて「無理です!」と答えた時に確信しました。そらそうだ、楽しくないのに笑えるわけがない。そうか、今「例の期間」に入ってるのか。
 症状としては例えば、朝ギリギリまで自宅で粘ろうとする、高3添削が何となく楽しめない、他人の仕事ぶりがいつも以上に気になる、一瞬ぼ~っとする時が日に何度かある、等々。とは言っても、だから何かが変わる訳でも何かを変える訳でもなく、毎日の仕事を(若干パフォーマンスの水準を下げて……例えば8割くらいの力で)続けるだけですけれども。暫くしたらやり過ごせるんじゃないかな(過去の経験から)。

 「職業的心身不調期」、前回は63回生が高1だった5年前、その前は56回生が高2だった12年前。何となく調子が出ないなぁ、と思っていた違和感の理由がこれだと分かれば逆に安心ですね。
 しかも、今回のは前の2回と違って精神(ストレス)由来じゃなさそうなのも有り難い。前の2回、兎に角生徒との関係の取り方が解らなくて独りでイライラ抱えてストレス溜めまくってひたすら「辞めたい、辞めたい」と思うばかりでしたもんね。今回のはそうではなく精神的にはそれなりに普通で、逆に普通だったからこそ暫く自分の不調に気づけなかったんじゃないかなぁ、などと。

 要するに。今回の「職業的心身不調期」は間違いなく身体由来です。端的に言うと、疲れてるんですね。
 3年前、63回生高3担任時。担任しながら高3の現代文・漢文を掛け持ちという地獄のような忙しさの中で母君が肺がんを患い、やれ見舞いだ手術の立ち会いだ病人のストレスとの戦いだと無我夢中だった一年。
 2年前、64回生高3副担任。担任の負担から解放された喜びを噛みしめつつ、大好きな高3現代文を2年連続で担当できる喜びに無我夢中だった一年。
 1年前、67回生高1担任。おいこら適材適所という言葉の意味を知っているのか任命責任者出てこい、と誰に文句を言って良いのかさえ解らないまさかの高1A組(外進51名)担任。公立から来たクラスの生徒に「えっ、F高ってこんなにユルいの?」と勘違いさせる甘やかしっぷりを他の担任団から叱られながら毎日の業務(地味に高1現代文をやるのも就職以来初でしたね)に無我夢中だった一年。
 今年、67回生高2担任。おいこら適材適所という言葉の意味を知っているのか任命責任者出てこい、と誰に文句を言って良いのかさえ解らないまさかの担任続投(普通、副担に降格させるだろがい、と思いました)。やれと言われたらやったらぁ、と動き始めた4月に母君が癌の転移で倒れられてやれ引っ越しだやれ入院だやれ全脳照射だやれ抗癌剤だと、そら一番苦しいのは患者に決まってるけれどもだからって二番目に苦しい人間が全てを何でもないかのように耐えろというのは無理筋だぜ、と無我夢中だった半年……

 ……を終えて、今。母君の体調がおかげさまで落ち着いて、今。
 ホッと一息ついて「よっしゃこれから職務邁進だぜ!」と立ち上がりかけた時にやっと、身体からの文句が聞こえてきました。耳を傾けるだけの余裕が生まれたということなのかな。「あら、身体ちゃん、そんなに疲れてたの? ってか、3年も前から文句言い続けてたの?」って感じ。「なんだ、もっと早くに気づかせてくれてたら、63回生か64回生か67回生か母君かのどれか一つくらいは投げ出したのに」

 3年耐えてくれた身体ちゃんに敬意を表して、復調まで少しの間は8割の力で「日常性のEASY!」です……とか言いながら、だったら何で電車移動までしてわざわざ遠くの飲み屋に足を伸ばしたりするんだよ、とセルフツッコミの二日市「月空」イン。
 いや、だって、好物(牛モモタタキ風カルパッチョ)を食べると元気になりますしね、マスターが63回生Mくんパパなもんで旧担任に少しオマケしてくれたりして役得ですしね、なんかこう「あ~、63回生の担任団やってて良かったなぁ」とか(打算的に)考えたりしてる内に今の担当学年に対するやる気も出てくるってもんじゃないですか、やる気が出たら身体ちゃんの復調も早そうじゃないですか。
 どれか一つくらい投げ出すような人間になるのは避けたいじゃないですか。

黒いカバンをぶらさげて歩いていると

 4時半に起床、6時過ぎに学校入り。本日は日曜ですが、67回生高2生徒は全員出席で模擬試験を受験です。英数国、S予備校の「東大レベル模試」は、東大志望者以外が受けたがらない(東大志望者以外にも受けて欲しい)という理由で来年度からは普通に「S模試」みたいな名前になるそうです。確かに鼻につく名前ではありますがねぇ。
 担任団はともかく進路の事務嬢さんまで日曜出勤というのは大変ですが、スキー研修を前に日曜出校をしなければならないお生徒さんたちも大変。67回生は(もはや手前味噌とすら思えないほど)真面目なので、出席率は完璧で我らがB組は欠席0です。ただし、学年全体を見るとインフルエンザの出席停止がちらほら。スキー研修は金曜日からで、北海道へは空路の移動ですから、明日以降にインフルエンザ発症の生徒は行きの飛行機に乗れなくなります。
 試験監督も、問題の配布と答案の回収以外の受験時間(各教科100分)は極力教室内に残らずに職員室に引っ込むようにしました。定期テストではあり得ない話ですが、外部模試ならギリギリ許されるかなぁ、と(学校・学年の見解ではなくあくまで自己判断です……って書いときましょうかね)。言い方が難しいのですが、研修を引率する側の人間がインフルエンザに罹患するというのは致命的なんですよねぇ。

 前述のスキー旅行について、現在、毎朝生徒が北海道へ送る荷物を学校に持ってきています。重いトランクは事前に陸路(JR)でホテルまで。63回生の時も思いましたが、3泊4日のスキー研修でどうしてあんなに大きなトランクが必要なんだろう(スキー用品は全てレンタルなのに)。お土産を詰め込む訳でもありません(お土産は、最終日にホテルから自宅にトランクを送り出した後、帰りの空港で購入するのです)。私は、3泊4日分の服と本とCDと採点答案とだけなので、機内持ち込みのバッグ1つで十分です(東京5泊とかより荷物は少なくて済むんじゃないかな)。

 夜は、自宅近くの肉料理「I」で独酌読書。
 多田富雄多田富雄 からだの声をきく』読了、★★★。

声嗄れるまで なにはともあれ

 遅めに起床してゆっくりと入浴。喉は若干のガラガラですが、授業が出来ない程ではありません(カラオケで喉を潰して授業が出来ないなんて切腹もんです)。高3文系東大文系漢文と高2現代文(我らがB組)との授業が1コマずつ。前者の添削は半ドンの放課後までに終わらせて担任の世界史先生に託け。来週の月曜日が最後の授業(演習)ですが、今年の東大文系漢文(20人)について、古典(漢文と、想像ですが古文と)に関しては早くも「例年並み」(通常の東大文系が2月末に届くレベル)に達しているのではないか、という感触です。2月の間に更に伸びることがあれば「やや良い~良い」、伸びなければ「例年並み」で、それ未満(「やや悪い」以下)で終わる可能性は既に消えています。まぁ、あくまで「古典に関しては」という条件がつきますが。

 井上荒野『キャベツ炒めに捧ぐ』読了、★★★。う~ん、2度目の荒野体験は1度目(『静子の日常』)ほどの喜びに達せず。一読して素晴らしいと思った『静子の日常』と同じく老嬢を主人公にした小説だということで楽しみにしていたのですが、「こんな感じの登場人物だったらいいなぁ」というファンタジックな期待とは大分ズレていました(こっちの方がより生々しくて、タイトルではないですが確かに「お腹いっぱい」にはなりました)。

 夜(というか夕方かな)の飲みは、血痰ネーミングショッピングモール「You Meタウン」に出かけて買い物をした序でにレストラン街にて牛タン。ちょっと高くて味は普通。2度目はないかな。腹ごなしの徒歩帰宅は45分。明日は模試で通常出勤なので健康就寝を心がけました。