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自由の叫びの中で 何かがはじまる

 5時入りの職員室では志村忠夫「科学の限界」の板書準備。私は、50分の内容は必ず黒板1枚に収まるようにして、一度書いた文字は授業中には消さないと決めています(恐らく、多くの国語の先生はそうしているんじゃないかな)。これは、書き写すのが間に合わない生徒が出て来ないように(っつか、途中寝落ちした生徒でも後から追いつけるように)という配慮と、何より一望できる形で概念・論理をまとめた方が(自他の)理解を促しやすいという事情とがあります。

 さて、国語科で教育実習中、3周目(最終週)の61回生Y先生が、指導教官の先生から叱られています。所謂「ダメ出し」というやつ。生徒が寝るような授業をしてはいけない、寝ていた生徒を起こさないのは論外、と。あぁ、私の耳が痛く。
 私、授業中に生徒が寝ていても絶対に起こしません。内職も注意しないし、本を読んでてもまぁいいかなぁ、と。
 授業を担当した学年の生徒には必ず言うのですが、「恣意性の権利」を尊重したい。即ち、①他者の同じ権利を侵害しない、②他者に何かをされる権利は主張しない、という2つを守る限りあなたは何をするのも自由、ということ。
 だから寝るのも内職も読書も勿論授業を聞くのも、隣の生徒が寝たり内職したり読書したり真面目に授業を聞いたりする権利を全く侵害しないので、その限りにおいて私は気にしないということです。
 そして、寝ている生徒のイビキや寝言や歯ぎしりが五月蠅いとか、弁当を食べているその弁当が油臭いとか、イヤフォンで音楽聴いてたら音漏れが酷いとか、そもそも教室に不在で授業をすべき教員が探しに行かなくてはならないとか、他者の「恣意性の権利」を侵害する行為のみ注意の対象とする、ということなんですね(前述の条件①)。
 更に、私以外の教員に対して「恣意性の権利」を主張して好き勝手やった結果怒られても私にゃ責任はないっちゅーか関係がないってことも知っておいてね、と。私に許す権利があることは、あなたに許される権利があることを意味してはいないのですから(前述の条件②)。
 だらだらと私は何を言いたいのか。いや、別段何かを言いたい訳ではないんですけれども、自主自立の精神を謳う学校に入った以上、自分に「堕落する権利」が与えられたんだという実感くらいは持っててね、と。手洗いやうがいが風邪の予防になるように、「堕落する権利」の自覚は無気力症候群の予防になるかも知れませんから。

 授業4コマと高3漢文(東大特講)1コマ。日常性の維持。