君のこと 想ってるから 誇り高く生きよう

 前川ヤスタカ『勉強できる子卑屈化社会』読了、★★★。タイトル即ち着眼が秀逸(全て)で、中身がそれを超えないという典型的な例。真摯に書かれた本だとは思うけれども如何せん「空気」の研究なので傍証連打だけで終わってしまって説得力がやや弱い。読者の「あるある」頼みなんですね。
 で、実際に「あるある」なんですよこれが。世間は「勉強できる子」に有形無形の圧力を(無意識の内に)かけてくる。スポーツや芸術やコミュ力における有能は素直に(屈託なく)誉めそやすのに。例えば。
 交通マナーや乗車マナーでF校にかかって来る苦情の電話に高い割合で「勉強ができても常識がない」というやや見当違いな批判がくっついて来る世間の「あの感じ」ですね。勉強ができるかできないかと常識があるかないかとって、独立の事象じゃないですか。言う側は「勉強だけさせられて常識を持っていない子ども」という典型に捕われている、というよりかできればそうあって欲しいとすら思っているんでしょうけれども、残念、学校の勉強に真摯になれる生徒は他者への配慮や恥じらいの意識も兼ね備えている傾向がありますよ(という意味では「独立の事象」とも言い切れないかもねぇ)。私が生徒指導部なら、交通マナーや乗車マナーで検挙された生徒(そういう生徒、確かにいます)には、厳しく「もっともっと勉強をしろ」と言い渡します。たぶん、その手の常識のない輩は高い確率で勉強が足りてない。勉強しなさい、あなたがやっている勉強が何の役に立つのかを考えることが「為他」の第一歩です。

 さて、偉そうなことを言いながら汚染性(「お先生」と打とうとしたら最初の変換がこうなりました)の今日の一日は本当に泥のようなね、まさに「汚染性」そのもの。
 12時に天神に呼び出されたんですよ。これは昨年から決まっている予定で、56回生主任のベテラン英語先生からのお呼び出しだから万難を排して馳せ参じるわけです。我々とランチを共にするのは、56回生の才女(金融庁)Bさん……ご結婚で苗字が変わったそうですが職場では旧姓で通しているらしいのでBさん。彼女は私が担当している67回生(高2)のための進路講座に来てくれたこともあります。K市の書店で彼女への結婚祝い(絵本と図書カード)を購入して特急で移動。
 で、例えばBさんのお母様もついて来られて4人のテーブルになるとか、行く店はソラリアの上の焼き鳥屋だとか、全ての成り行きはその場で決まって知らされるという流れでした。ということは、朝の時点で仕事(学校には行かず自宅の書斎で行いました)を全て終わらせておかないといけないということなのですね。だって、お酒飲むならそれで今日一日が「終わる」から。

 でもって、「俺と同じテーブルについて呑まんとかありえんもんねぇ」という鶴の一声で生を1杯、そこからはジョッキ椀子蕎麦でこちとら固より望むところでぃ。やっぱり仕事を終わらせておいてよかった。で、2時間で一日が「終わり」ました。
 宴席では、彼女の結婚式(主任先生のスピーチは大爆笑ものだったそう。ありありと想像できます)の話、高校時代の思い出、お母様による子育て(Bさんの妹さん)の話、等々。私はもっぱら聞き役。

 「ジュンク堂」と「タワレコ」とを軽く見学して、特急でK市に戻ったのが16時。自宅で少し仮眠をとって、本日が今年初営業の「もりき」に出向いて日本酒を飲みました。明日から2泊3日で東京出張でお店に寄れないので、今日の内に年始のご挨拶だけでもしておかなくてはおさまらなかったので。
 常連Tさんに連れられて初来店の男性が、偶然にもHさん(飲み友達にしてK市の母)の同級生で、しかもその方がF校55回生の生徒保護者で私も臨席した卒業式謝恩会で司会を務められていたという偶然。世間は狭い。