少年の思いは飛躍しやすい。

 小さな子どもの「赤ちゃんはどうやったら生まれるの?」、反抗期の子どもの「生んで欲しいと頼んだ覚えはない」。生む・生まれるに関する2つの台詞、創作作品にしか出てこなさそうなプロトタイプに思えるでしょうが、私は2つとも実際に聞いた(言われた)ことがあります。
 前者は、20代の終わり頃、知人のお子様から。はっきりとは覚えていませんが、大体「お父さん・お母さんが部屋に閉じこもって2人で夜通し神さまにお祈りしたら、神さまが沢山いる自分の赤ちゃんの中の一人を分けてくれる」みたいな返しをしました。

 後者はちょっと長い(し、ちょっとシモが入ります)。
 多分、吉野弘「I was born」かなんかを習ったんじゃないかと思うんですが、中学生の夏休み、母君と生まれるという動詞が受け身形だとかなんだとか話していたときに、母君に先手を打たれたのです。
 母「世の中には親に『生んで欲しいと頼んだ覚えはない』とかいう子どもがいるらしいけれども、池ノ都くん(←二人称)は間違いなく『生んで欲しい』と私に頼んだ」
 私「どゆことでしょう?」
 母「池ノ都くんは2ヶ月の早産だったの」
 母体と医療関係者とに迷惑をかけてまで早く外に出たい光を浴びたいと急いだ私が生んで欲しいと頼んでいない訳がないという、今思えば幾らでも反論できそうな理路でしたし、2ヶ月の早産って大概な話だとも思うのですが、中学生の世界の狭さ及び母子家庭十数年の力関係のため、それ以上なにも言えず。
 で、それ自体は本題ではなく、問題はその後の私の思考回路にあります。成程、8月8日生まれの私は2ヶ月の早産だったのか。ということは、私は本当は体育の日(嘗ては10日10日が「体育の日」という名前の祝日でした、という説明が必要なのかどうかは知りませんが、一応)あたりに生まれてくる予定だったのね。と、いうことは……
 ……と考えた中学生私、たどり着いた結論は「僕って、姫始めベイビーなの!?」というもの。え、姫始めなの? それとも、『紅白』が終わった後で除夜の鐘を聞きながら「お祈り」したの? 実の母君と顔も知らない父親との「お祈り」なんて想像もしたくありませんが思春期病真っ只中だから仕方ない。
 で、「姫始めベイビー」を自認して10年後くらいに、ふとしたきっかけで母君に「そう言えば、2ヶ月の早産だって言っておられましたよね」と言ったのに「何言ってるの?」と返され、「そんな大事を打ち明けたこと、普通忘れます?」と呆れたところに「忘れるに決まってるでしょう、だってそれ嘘だもの」と追撃され、恐らく反抗期の芽を摘みたかったのだろう故の(母君にとっては)ちょっとした嘘に長年モヤらされた日々を返せとも言えない(母子家庭二十数年の力関係に屈せざるを得ない)我が身を嘆いたのでした。
 私を産んだ結婚の前に結婚・離婚歴があったということを60余年の生涯隠し通した方でしたから、中学生を騙すなんて朝飯前でいらしたのでしょうね。オチのない話です。

 授業無しで終日机仕事(時間割作業、及び春休みの国語科会議の資料作成)。昼休みを利用して、血痰ネーミングショッピングモール「You Meタウン」へ徒歩往復(書籍購入)。 

 夜は自炊。炊き込みご飯、豚汁、あじ一汐、もずく酢サラダ、冷奴。
 762蔵目・兵庫「盛典」(くらふと純米大吟醸)。