自分で選んだ道だからいいと やつれたその手を

 母君の朝食を準備して入浴、午前中は書斎で色々と作業。母君の昼食を作ってから、予約していた美容院「G」にて上京前の散髪を。10年来の付き合いになるワンオペ店長Kさんは私と同じ年で話が合い(向こうがお仕事として合わせて下さっているんでしょうが)、ここ数年は保育園・小学校と成長しているKさんのお子様の話、確実に身体がままならなくなってきている私の母君の話、を交換する時間が増えました。介護と子育てって、似ているというか対称性があるというか、話が通じるんですね。軟着陸と軟離陸(?)という違いはありますが……。

 散髪が終わった後は、学校経由で自宅に戻り、ケアプランナーのKさんと打ち合わせ。契約書の更新や、明日からの母君独居に伴う訪問介護・看護の手順確認などを。Kさんは、これもお仕事として仰っているのでしょうが、母君に毎回必ず「よく出来た息子さんで有り難いですね」と声かけをなさいます。私は同じく毎回必ず「欲で来た」と浮かぶ字面を変換し直すことになるのですが、私がやっていること(洗濯以外の家事とお風呂のお手伝いと)が「よく出来た」と言われるほどのものなのかは判りません。同居している家族が稼げない・料理が出来ない・食べないと死ぬ、という状態にあるときにそれをしない人間がいるのか、ということです。これを言うと、母子二人家族の家庭で働きながら私を育てた母君に対して失礼にあたるかも知れません。母君に「離婚しなかったら良かったのに」と言うのは、私に「結婚したら良いのに」と言うのと同じ程度にはナンセンスでしょう。
 これは以前書いたかも知れませんが、何度も何度も呼ばれる地区保護者会の講演であった質疑応答の中で唯一私が答えられなかった質問が、「高校生の息子からの感謝の気持ちが全く見えないのが不満というか不安、この先何かが返ってくることがあるのか」というものでした。まだ母君がお元気でバリバリ働いて私より稼がれていた頃で、私はしばし絶句。私の母君は「初任給で何を買って差し上げたら良いか」という私の質問に「不遜」と応じられた方です。ただ、今の生活(軟着陸)になったら返事は固まりますね。「気持ち」の問題ではなく、事実として因果は応報する。

 夜は、母君がお休みになった後で二日市に出て焼き鳥「月空」へ。偶然、ご実家がこのお近くだという美術先生がお出でになっており、少しだけお話を。母君の我が儘で美術教室(美術先生奥様が講師)を辞めてしまったことをお詫びしました。