さあ今こそ歌おう

 5時に学校に入り、昨日の文系東大現代文特講の添削の残り。職員室のゴミ箱、シュレッダーの掃除。明日の授業準備。朝のSHRまで終わらせた後、一日年休で小倉の実家へ。愁嘆場になると嫌だなぁ。

 母君、恩師先生に戴いたメッセージと御守りとを大変喜んで下さいました。御守りを鞄に入れて、二人で家から2分の病院へ徒歩で。
 病院というのは長く長く待たされる所で、待たされている間に、母君は私が生まれた日の話をなさるのですが、今はそれよりも気掛かりなことがあるのとそして何より記憶の問題とで、私が小学生の時に一度だけ聞いた話の中の細かい部分をだいぶお忘れの様子。「その時、××だったんでしょう?」「そんなこと言ったっけ?」みたいなやりとり。
 その後、生まれ落ちた私がいかに愛らしかったか、みたいな話になりそうな気配がしてヤな予感がしたんですけど、そうなる前に診察室から名前を呼ばれて一安心、の後ドアを潜る不安。

 科長の先生は、母君の眼をみながらゆっくりと、淡々と、はっきりと、検査の結果がどのようなものであったのかをお話し下さいます。曰く、非小細胞肺癌である(「非」がつかないタイプの癌だったら余命は幾許も無かった)、全身検査の結果小脳に正体不明の影がある。母子、前者については覚悟の上、後者については「???」
 この影が癌の転移なのかどうかは現在確定できない、と先生。大きさが0.6mm程度しかないこれについて、次はPETの検査を受けるという指示が出ました。小倉北区内のセンターに予約をすると最短で21日(火)、その結果告知は23日(木)。医療ってのはあれだね待たせるね、と不満に思いながら(なんたって体の中に癌があるんですから)、しかし検査に念を入れる必要があるんだろうなぁ、ってのも何となく。そのPETの結果如何によって治療法が変わる、という説明にこの分岐は本当に余命(の長さと在り方と)を随分左右するものなんだろうなあ、と先の見えない不安に襲われた私が二人でとぼとぼと実家に帰って先ず驚いたのは、母君が先の先生の話をあんまりクリアに覚えていなかったこと。自分の事なんだからもそっとちゃんと覚えといても、と教師的に前のめりになる私に対して母君曰く、事実が大きすぎて細大漏らさず受け止めるのは不可能、と。立場を慮れば然り、とすれば私は通訳になる訳ですね。今度はその責任の大きさに震えが来る。
 愁嘆場はお預け。申し訳無くもPET検査は母君お一人にお願いして、23日(木曜日)の検査告知に立ち会うことに。一週間後ですね。

 新幹線でK市に戻って17時に学校入り(やっぱり、特講開始の16時には間に合いませんでした。昨日に前倒しして正解)。保健室の先生に結果を報告。これまで書いていませんでしたが、今回のことに関しては、色々な面で保健室先生には感謝しきれないほどお世話になっているのです。
 19時まで仕事をして、「もりき」で湯豆腐。