若さが何故かいとしい 抱き合えばいつか流れ星

 薮下遊・髙坂康雅『「叱らない」が子どもを苦しめる』読了、★★★★。要するに「『安楽』への全体主義」なんですけれども、社会が(大人・保護者が)子どもにとっての「不快の源」たり得なくなる(それどころかそれらを積極的に殲滅しようとする)近年の傾向が子どももたらす弊害が、スクールカウンセラーとして筆者が出会った数々の事例とともに語られます。
 書中、「人間の精神的健康の条件は、『Only one=唯一の自分』であるという自覚と、『one of them=大勢の中の一人』であるという自覚のバランスである」という中井久夫の言が引かれます(「叱らない」は前者を重んじ後者を排除しようとする態度です)。教員としての私も、個人(われ)であることと共同体(われわれ)であるところの両義性は、生徒たちが在校中の6年間(或いは3年間)、絶えず説き続けないといけないと思っています。例えば国語の授業なら、それを近代的な言葉で言う「恣意性の権利」だったり、歴史性を持つ言葉で言う「和而不同」(嘗てのF校のスローガン)だったりということになりましょうか。

 午前中指定で、月末の中島みゆきライブのチケットが届きました(私、同行のHさんの2枚)。受け取った後で、入浴、着替え、自宅を出発。本日の目的地は佐賀(西鉄K駅からバスで70分)、佐賀文化会館の大ホールにて『梅沢富美男研ナオコ 夢の共演』の昼公演を。
 以前、勤務校の地区保護者会のアンケートで「子どもの頃の日本語の師は?(大意)」と訊かれ、「文字なら水木しげる、音声なら研ナオコ」と書きました。総ルビの妖怪図鑑と、歌詞カードの無いカセットテープと、この2つが私の師となったのです。40年前の鍵っ子に、中島みゆきのチケットを受け取ったあとで研ナオコを観に行く日が来ることを教えてやりたいですね。

 佐賀駅北口から歩いて10分、ユーミンの50周年を観た(オープンしたばかりの)「佐賀アリーナ」のすぐ側に「佐賀市文化会館」があります。規模は随分違いますが、それでも大ホール1800人が満席になるんですから大したもの。
 人情喜劇、歌謡ショー、梅沢劇団演舞、の3本立て。余興に地元歌手5人(全く売れてないしそんなに巧くない)が持ち歌を1曲ずつ歌うコーナーがありましたが、それぞれ何人かのファンが居るようでおひねり・ご祝儀が舞台に飛んだのは正に「大衆!」という感じでした。
 第一部の喜劇は舞台とコントとの間。さしたる感想は無いのですが、大衆演劇を初めて観たのは勉強だったかと。BGMに第1期・2期(60・70年代)『ゲゲゲの鬼太郎』(アニメ)の音楽を使っていたのには「同士がいる!」と少し興奮しました。
 私のいちばんのお目当ては第2部の歌謡ショーで、研ナオコは「時代」「あばよ」「別れの朝」「夏をあきらめて」「かもめはかもめ」の5曲、梅沢富美男は「夢芝居」1曲をワンハーフで披露。ナオコさん、歌は確かでしたがMCの滑舌はやや怪しく、今回の(人生初の)生観賞はやっぱり「間に合った」と言っていいのかな、と。
 第3部、梅沢富美男女形は流石の艷と所作とで、場内は溜息にざわめき、満座喝采。劇団の中にはまだミドルティーンくらいなんじゃないかという子どもも居たんですが、こういうのはどうしても教師目線になってしまいます。
 物販コーナーで買い求めたCDにナオコさん直筆のサインがついてきたのは儲けものでした(昨年の山下達郎のサインより嬉しい)。

 バスで西鉄K駅に戻った時間が丁度17時過ぎだったので、17時オープンの小料理屋「U」にふらり。東京から単身赴任中の常連Kさんに先程のショーの話をしたら、「この前は松平健だったよね? そして今日は研ナオコ。その年で、何でなの?」と呆れられました。私、研ナオコのファン歴は、もう40年ですから(ユーミンよりも矢野顕子よりも、他のどの歌手よりも昔からファンを続けていますから)。