僕はいま 降っていく。

 5時入りで特講の添削の仕上げと、授業2コマの板書計画。授業は現代文二次型、文系東大コース・標準コースが1コマずつ。合間に添削をガシガシ。

 本日から母君は肺の手術に備えて入院。手術は29日(水)です。私は29日に小倉の病院にはり付きになるので、その分の授業は別日に振り替えてもらい、放課後の一橋大学特講は31日(金)の外部模試終了後に日程を変更しています。
 で、手術についての詳しい説明は29日、手術当日の朝に聞くという予定になっていたのですが。

 17時に病院の母君から電話が掛かってきて、今日か明日かに時間を取って手術の説明を受けて欲しい、という依頼。当日の朝はバタバタして混乱するため、ということ。明日は56回生に誘われた飲み会が入っているので無理、ということで急遽本日小倉へ向かうことに。母君曰く、今日は主治医の先生が宿直の日なのでどれだけ遅くなっても大丈夫だとのこと。そっちが大丈夫、っつってもねぇ。

 19時頃の新幹線でK市から小倉へ。タクシーで病院。
 母君と二人で、主治医の先生(告知の時の科長の先生とは別の、私より少し年上くらいの方でした)から手術について、術後の処置について、その後の生活について、1時間超かけて詳しく伺う。
 右肺の上葉部を切除するために、3~4時間ほどかけて腹腔鏡手術を行うそうでして。どの程度の傷をつけるのか(たった数センチの切開を数カ所行うだけ!)、出血の量はどの程度なのか(数百ccだけ!)、手術後の生活、治療やリハビリはどのように行うのか(何と術後一週間程度で職場復帰出来るそう!)、術後の生活において痛みはどの程度ありどのような症状が出てくるのか、等々。
 インパクトがあったのは、合併症が出る可能性もある、数%の確率で手術後の死亡というケースがある、という説明です。これを本人家族が納得した上で「それでもお願いします」と言わなければならない(数%で死ぬんならや~めた、と言える雰囲気ではなかったです)。
 説明だけで疲労の濃い母君が病室に戻られた後、手術日の家族の行動を説明して戴く。何時に病院に入って、手術中はどこで待って、その時の禁止事項はどんなで、等々。

 「遅い時間に遠くからお越しいただいて申し訳ありませんでした」と先生の丁寧なお言葉が痛み入ります。「今回のことに関して、他にお聞きになりたいことはありますか? どんなことでも構いません」の言葉に嘘偽りがないことは、これまでの委曲を尽くした説明で十分すぎるほど理解できております。だから。
 私「仮に小脳の影が転移だった場合には」
 医「はい」
 私「癌のステージはⅣだということになると、告知の時に説明を受けています」
 医「はい」
 私「その場合、来年の3月までは大丈夫でしょうか」
 医「勿論です。もっとずっとです」

 受験生を抱えた冬に長く学校を離れるなんて考えたくもない。4年間もつき合ったんです。K市に戻る新幹線内、ナッツとビールで夕食の代わり。