大人たちを吼えさせる Woo-hoo-woo-woo

 昨夜の「かしまし娘」は飲み過ぎ、ギリギリまで寝て突貫の旅行準備(母君のお供えはコンビニのパンとジュースと)、JRのK駅にタクシーで到着したのは新幹線が出発する5分前でした。博多まで「さくら」、乗り換え10分で駅弁とお茶とを購入してから品川まで「のぞみ」。東京で発症してK市に戻ったら案の定治った花粉症、が到着後に再発するかも知れないのでマスクも準備していますが、当然行きの車内ではつけていません(花粉症の症状が出たらつけようかな)。新幹線車内の電光掲示板では「WHOが発症者以外はマスクをせずとも良いと発表(大意)」というニュースが流れていますが「ふ~ん」って感じです。
 新幹線はゆったり出来ますね。駅弁を食べて、本を3冊読み終えて(読了本はいつもの通りに最終日にまとめて書きます)、CDでカラオケ歌唱曲のチェック(今日は到着即TQC18期カラオケ!)をしたら、もう既に4時間が経過していました。

 新幹線の車内から異変は察していましたが、品川駅に到着してびっくりです。日曜午後というのが信じられない人の少なさ。ここはK駅かよ、というレベルです。コロナの影響は深甚、山手線もガラガラでした。「山手線のガラガラ」というのは、座席には空席が無いけれども立っている上客がゼロ、というレベル。快適っちゃ快適ですね。目の前にはキャリーバッグの女子高生2人、旅行でしょうか(そりゃ、元気な若者は外へ出たいですよねぇ)。
 因みに、品川駅の駅名看板、次は「田町」の部分が黒く塗られていました。新駅名は「芝浜」……じゃない、血痰ネーミング「高輪ゲ(以下略)」、これは、コロナで延期したり中止したりしないんですかねぇ。

 池袋の常宿は哀れ1泊4000円にまで値下げ、何度も何度も泊まっていますが、入口に「空室あります!」の看板が出ているのは初めてのことです。チェックインの後は荷物だけ置いて直ぐに出発、渋谷に向かいます。今日最初のイベントは、TQC18期3人によるお遊び。センター街もいつもの半分の人出、自粛のムードが徐々にという感じでしょうか。但し、カラオケ人気は依然のようで、最初に入ったセンター街「カラオケの鉄人」は満室、徒歩数分の道玄坂店の方に案内されました。
 というわけで、渋谷道玄坂カラオケの鉄人」にて、池ノ都・オツカル様・がっ様の3人でカラオケ。TQC東京大学クイズ研究会)18期、副会長・連盟・会長、39歳3人が150分ノンストップの勝負。池ノ都は「一度歌った曲禁止・一日で同一アーティスト2曲禁止」の縛り(禁止曲400曲超)を守って、オツカル様は膨大なレパートリーの中から選んだ「ベスト盤」で、特別ゲストのがっ様(芸能知識無尽蔵)は新風を吹き込んで、全33曲、以下。

 池①Sano ibuki「革命的閃光弾」(2019年)
 オ①FES☆TIVE「OIDEMASE!!~極楽~」(2017年)
 が①小林旭「ダイナマイトが150屯」(1958年)
 私は先日観た映画『his』の主題歌を担当したアーティストのアルバム曲、悪意で言えば「ミニ米津」って感じでオツカル様の感想もそんなもの。オツカル様は得意のアイドル曲からスタートで勿論コールまで完璧なのですが、今日の歌は「松たか子! 松たか子! ヤマザキ春のパン祭り!」というコールが面白すぎて私もがっ様も大笑い、歌が全く入って来ませんでした。がっ様は、小林旭の歌う日本初のロックシングル(異説有り)を。

 池②梓みちよ「メランコリー」(1976年)
 オ②パスピエ「とおりゃんせ」(2013年)
 が②GAO「サヨナラ」(1992年)
 私は追悼歌唱、本人出演映像が今の私たちより少し若い時代なんですけれども貫禄が凄すぎて。オツカル様はとにかく捻りがきいてて格好いい曲に目がないので、様の歌うときの前奏がバンド系だったらそれだけで一気に期待が高まります。がっ様はここから90年代のヒット曲を3連続で入れるのですが最初は抑え気味。オツカル様は、2つあとの「天川伝説殺人事件」というタイトルが表示された瞬間に笑いが止まらなくなりました。懐かしいツボをピンポイントで突けるセンスは頑張っても真似できません。

 池③氷川きよし「きよしのズンドコ節」(2002年)
 オ③CHAGE&ASKA「僕はこの瞳で嘘をつく」(1991年)
 が③中西圭三「Timing」(1998年)
 氷川きよしはオツカル様の専売特許なんですが、年末の番組で観て「イケる」と踏んだので。何となく、2曲前の小林旭に引っ張られた感もあります。がっ様の「Timing」(セルフカバー)はアウトロまで全部格好よかった。

 池④椿屋四重奏「BURN」(2009年)
 オ④タッキー&翼「夢物語」(2003年)
 が④関口誠人天河伝説殺人事件」(1991年)
 好きなアーティストのトリビュート盤が出たらガッツポーズ、カバーバージョンは原曲とは別の曲扱いで良いので、オツカル様とのカラオケで何年かぶりに大好きな曲が歌えました。オツカル様のお好きな「ジャニーズ」と「格好いい」という括りでベン図をかいたら交わった中に「夢物語」があります(関ジャニ∞「罪と夏」もここに入ってます)。

 池⑤布施明「積木の部屋」(1974年)
 オ⑤松崎しげる地平を駆ける獅子を見た」(1979年)
 が⑤スターダスト・レビュー「シュガーはお年頃」(1981年)
 懐メロ3曲ですが私の選曲は平凡。野球を知らないから松崎しげるはいいとして、何故スターダスト・レビューを歌おうとしてデビュー曲を選ぶのか、がっ様に訊いたら「好きなんだから良いじゃんか!」って。

 池⑥中島みゆき「齢寿天任せ」(2020年)
 オ⑥Czecho No Republic「テレパシー」(2018年)
 が⑥海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」(1978年)
 ラストツアーが途中で中止になったみゆきさん(私は何とか間に合いました)、リベンジを期待。身内を送った人間には「齢寿天任せ」の歌詞は沁みます。がっ様からのトリビア海援隊はJRのCMソングコンペティションで「思えば遠くへ」を勝負曲に持ってきたけれど「いい日旅立ち」に負けたそう……私「って、そんなの、昔電車に乗った歌がこれから乗ろうって歌に勝てる訳ないじゃんねぇ」 オ・が「「そりゃ、そうか」」

 池⑦井上陽水カナリア」(1982年)
 オ⑦angelaShangri-La」(2004年)
 が⑦電気グルーヴ「エンジのソファー」(2009年)
 私「だからさ、そこで電気グルーヴを入れるなら『Shangri-La』じゃないんかね、普通」とツッコミを誘導されたがっ様の選曲、様曰くこれはクイズだそうで、「この『エンジのソファー』という歌は何という楽曲へのオマージュでしょうか?」 歌の間中ずっと「確かに知ってる曲なのに」とむずむずしてたんですが、答えは寺尾聰ルビーの指環」でした。オ「エンジのソファーって『ザ・ベストテン』のあれか!」 そんなん笑うに決まってんじゃんか。

 池⑧日吉ミミ「北風ぴゅうぴゅう」(1990年)
 オ⑧関ジャニ∞「罪と夏」(2016年)
 が⑧郷ひろみ樹木希林「お化けのロック」(1977年)
 がっ様が樹木希林を入れたのは、間違いなく私が日吉ミミを入れたからですね。ピップエレキバンを持って「湯気の向こうでかわいい妻」を演じていた頃の樹木希林は、好きではありましたが単なる面白いおばちゃん、くらいの印象だったように記憶。

 池⑨町田義人「男たちの朝」(1984年)
 オ⑨sumikaふっかつのじゅもん」(2014年)
 が⑨井上大輔「めぐりあい」(1982年)
 全然知らない歌を歌ってもシラけないのが2人のいいところで、私は84年のアニメ特番(『三国志』だったかな)のエンディングテーマを。町田義人が「ズー・ニー・ヴー」のボーカルで、尾崎紀世彦「また遭う日まで」の同曲異詞「ひとりの哀しみ」を歌った、と言えば「「あ~ね」」と分かって貰えます。というかがっ様なら「宝島」とか「戦士の休息」とか歌えるんじゃないですかね。

 池⑩UA「歪んだ太陽」(1998年)
 オ⑩ORANGE RANGEお願い!セニョリータ」(2005年)
 が⑩増田直美「アステロイド・ブルース」(1982年)
 「J9シリーズ」の頃には1980年生まれの我々はまだ物心がついておらず、番組の記憶はありません。ただ、内容はよく知らないけれど音楽・アニソン・キャラソンが無類の格好良さなのは周知の通りで、私はこのシリーズに間に合っていたら、宇宙とかロボットとかそういうジャンルにもう少し興味を持つ男子になっていたかも知れないと思います(「エヴァ」も「ガンダム」も全く関心がありません)。主題歌集のCDは今でも年に何回かは必ず聴きますし、「アステロイド・ブルース」と「いつか時を止めて」は私もカラオケで歌ったことがあります。

 池⑪田島貴男「時のないホテル」(2002年)
 オ⑪山崎まさよし「水のない水槽」(1998年)
 が⑪YUKI「ふがいないや」(2006年)
 私が「●●のない××」を歌うと、オツカル様は必ず「水のない水槽」を歌うとういお約束。が「そんなに『●●のない××』とかいう歌、あるか? 俺も歌うの?」 私「じゃあ、『切手のない贈り物』をリクエストします」 が「別に歌いたくねーよそんな歌、歌えるけど」 オ「歌えるんかい!」

 以上、33曲。一応、F校カラオケ倶楽部(アラフォー3人)ではレパートリー担当で、同世代の平均よりは色んな歌を知っているという自意識はありますが、がっ様・オツカル様みたいな芸能知識お化けと一緒に居るとその浅薄が白日の下に晒されていっそ快感です。
 因みに、今回のカラオケ(番外編)で、オツカル様とのカラオケで歌ってはいけない歌が450曲を突破しました。

 19時前解散、3人で飲みに行かないのはオツカル様・がっ様はこの後新宿「ルミネ」で金属バットのライブを観るからだそうで(私はそんなに興味がないです)、2人とは明日の夜・及び明明後日の夜をご一緒する約束。私は一人で徒歩移動、10分程歩いて神泉駅に到着しました。待ち合わせの恒例は駅前のローソンで、お相手は61回生Hくん(私学共済勤務中)、及びGくん(春から研修医)、店は焼肉「永秀」です。

 「永秀」は3度目、最初は63回生(Bちゃん・Eくん)、2度目は66回生(Sくん)だったかな。今回は3人の予約ながら初めて奥の個室に通され、直前(前日)の予約だったのにも関わらず豪華な個室に通されたのは、テーブル・カウンターが全席埋まってたことから考えるにお店が個室利用を回避したかったんじゃないかな、と(コロナ、怖いですし)。
 私学共済・KO大学医学部6年生、と3人の飲み会、東大文学部後輩にあたるHくんは彼の教育実習で飲み歩いたり去年の宮崎旅行では車を出して貰ったりちょいちょい付き合いがありますし、Gくんの方も医学部生ではありますが現役高3時に東大理系漢文特講に参加してくれていたこともあって知らない方ではありません(少なくとも、答案の文字はよく覚えています)。
 話題は、F校教員の退職金に関するお話がちょこっとと、「日常性の維持」に関するお話がたくさん。前者については、私学共済が細かなデータを知り尽くしやがってますから、何年間働いたら退職金が充分に支払われるのか(逆に言えば、何年以上働いたら大して変わらなくなるのか)についてのお話など。後者については、特にGくんから「日常性の維持」のコツを熱心に訊かれて(私がそれに長けていると思われたのでしょう)、ちょっと面映ゆい思いをしました。お話しぶりから分かるGくんの真面目さですから、充分お出来になっておられるのではないかと推察致しますが……(ただ、まぁ、特に疫病非常時など、「日常性の維持」が空しく響きがちになりそうな時に己を持すのは大変なことでしょう。特に、これから最前線に飛び込んで行かれる方ならばなおさら)。
 Gくんは、このblogを熱心に読んで下さると仰いました。適当に書き散らかしてるから、あんまり真面目に読まれたらあれなんですが、言われれば嬉しくないはずもないですから、ちょっと力を入れて(内容ではなく、スピードです)書きましょうかね。

 2軒目の「かしわビストロバンバン」の方が顕著でした、21過ぎの段階で客入りが5割弱。いくら日曜日だからと言ってもここはそんなお店ではないはずで、確実に人々の外出が減っていることが分かります。席が密集している店なのでいつもは周りのワイガヤで自分たちの話が聞こえづらいことすらある(逆に内緒話に向いてそうな)のですが、今日は割と静かにお話が出来ました。〆のリゾットカレーまで、料理の味とお酒のコスパはいつも通り良です。

 ホテルに戻って健康睡眠……の前に、K市のお店を2軒予約。渋谷と神泉との人の少なさは、いずれ地方にも波及するでしょうね。せめてお店に貢献、こんな時ほど要贅沢派なので、K市帰還後の卒業生ディナー、5日の67回生Sくん(焼肉希望)も9日の63回生Eくん(和食希望)、ちょっと良いお店を選びました。