初音ミクの消失

 昨日のIくん(56回生)との飲み会で面白かった話が、彼がF高を受験した理由(彼は外進A組出身)。公立中1年生の時、校内でガムを噛んでたのを見つかり、学年集会まで開かれて全員の前で痛罵され、これは内申が無いなと覚悟したら受験する所が(内申を見ない)F高しかなくなったから、と。ガムでF校生になったのね。彼は良い生徒(卒業生)なので、無体に厳しかったその中学に感謝、かな。

 鳥賀陽弘道『「Jポップ」は死んだ』読了、★★★★。「紅白」が70~80%の視聴率だった「国民的ヒット」の時代が終わり、TVタイアップでCDのミリオンセラーが濫発した時代が終わり(ここで「Jポップ」が死にました)、現在の音楽業界はどうなっているのか、という分析調査。簡単に言うとネット時代の音楽発信・受信(消費)における新形式という話で、ちょっと前に読んだ柴那典『ヒットの崩壊』と通底する内容でしたが、こちらの方はより「カネ」という切り口に拘っています(JASRACのデータを詳細に分析)。CD等の売上げはご承知の通り激減しているのに、著作権使用料を見ると音楽業界はず~っと成長を続けている。例えばブライダル、例えば高齢者用カラオケ、例えばパチンコ台……。「死」は或る種の比喩で、生産・消費構造が変わり続けているというお話。「有史」は文字以降ですが、音楽は有史以前から途切れることなく生き続けています。
 思い出すのは昨日の由紀さおりのコンサート。「歌声喫茶」をテーマにしたコーナーで客席全員が「ドレミの歌」を歌ったんですが、「みんなのミ」では隣の人と手を繋ぐだとか「ファイトのファ」では拳を突き上げるとか全てに振り付け(座ったまま出来る踊り)がついていて、客席全員がそれをやる様は正に介護の現場における音楽消費の様態そのものでした。そういえば、「やすらぎ体操」なんてのも話題になってましたね。

 次に読み始めたのは中川右介阿久悠松本隆』。オリコンのデータに執拗に拘りながら、これは「国民的ヒット」の時代の絶頂から終焉(死)までを描いた本ということになるのかな。

 宿酔いではないことに安堵の起床、本日は4限に高2現代文が1コマある以外はず~っとデスクワーク。
 夜は「もりき」で独酌。

そして・・生きなさい

 授業は1~4限で、高2現代文は藤田省三「『安楽』への全体主義」。詳細は省きますが、授業後の質問2つ(共に文系)に感心したことだけ。「不快に対峙する経験」と「不快を一掃したい『安楽』への全体主義」との線引きはどこにあるか(どこからが「安楽」への全体主義なのか)という質問だったのですが。
 女子。「無痛分娩って、『安楽』への全体主義ですか?」 いきなり斬り込まれた感覚。これは、経験できない(性別的に不可能だという意味でも、子どもがいないという人生経験的な意味でも)男性がおいそれと答えられないので、判断はあなたまかせにという不誠実な答えを。但し、森岡正博の「無痛文明」の内容を付け加えてご紹介。
 男子。「どくさいスイッチもしもボックスのような、存在そのものや前提そのものを消したり変えたりするのが『安楽』への全体主義ですか?」 はい、そうです。これまた斬り込まれた感覚。63回生の高2でこの教材をやった時には、定期で文章と一緒に正にこの『ドラえもん』「どくさいスイッチ」の漫画を並べて関係を聞いたんです。で、今回はどうしようかな~、と考えていたらいきなりこれですから。頭良い、への敬意を込めて、敢えて63回生と同じ問題にしてみよう(ついでに、出来具合を比較してみよう)。

 4限まで授業した後、帰りのSHRを副担任先生にお願いして年休。この日記でも繰り返し書いているように、好きな歌手、一度ステージを観たい歌手の中に、この機会を逃したら「次」が無いかも知れないというベテランがどんどん増えてきています(そう書いたらその歌手には失礼なのですが)。
 だって、もうすぐ古希なんですよ? と博多座に出かけて初めて生で歌声を聴いたのは由紀さおりさん。今日は、昼夜2ステージで(童謡ではなく)歌謡曲のコンサート。

 博多座。客層は演者がMCで「同窓会」と言った通りの年齢層で、私(37才)など下から数えて2%以内には入るかな、という感じ。平日の16時開演というのが設定としてどうなのかは解りかねますが、目視した限り8~9割の入りという感じでしょうか(2階席は見てませんが)。
 さっき「だって、もうすぐ古希なんですよ?」と書いたんですけれども、生で聴くと「それでこれかぁ」と感歎してしまう歌声なわけでして。持ち歌からは「手紙」「恋文」「ルームライト(室内灯)」「夜明けのスキャット」「生きがい」等々の代表曲から、最新曲「そして・・生きなさい」まで。最新曲は深夜アニメ「鬼平」のEDだそうで、「ルパン」の石川さゆりもそうですが、美声ベテランにジャジーなナンバーというのが一つの需要としてあるのかな。歌詞の中には「ルルル」のパートもありました。
 テレサ・テン越路吹雪美空ひばりを取り上げたコーナーがあったり、ゲストのBaby Booとのコラボにはリストから観客が曲目をリクエストして一緒に歌う「歌声喫茶」コーナーがあったり、そして自ら「コメディエンヌ」を自称なさるほどの達者なMCで終始客席を笑わせたり、と想像していたよりもメリハリがきいてたのにも驚きました。勿論、大ヒットアルバム『1969』からも「ブルーライト・ヨコハマ」「真夜中のボサ・ノバ」等々を披露。
 それにしても、昼夜2公演(第1部50分、30分休憩、第2部70分。これを12時開演、16時開演と2回)、それぞれ20曲超を歌って息切れが無いというのですから、そのコンディション管理には改めて。そうそう、ユーミンの「あの日にかえりたい」のカバーもあったのですが、途中で歌詞を間違えるハプニング。2番の「草の波間を/駆け抜ける/私が見える」を、「草の波間を/想い出は」と間違えた(直前の「想い出は/さすらってゆくの」と混同)。観ていた限り「想い……」辺りで気がつかれた様子で(ハーモニーを担当のBaby Booのメンバーもちょっと表情が変わりました)、それでも流石の機転で「想い出は/駆け抜けてゆく」と歌詞を変えて切り抜けられました。さて、ユーミンファンなら気づくハプニング、歌詞を知らない他のお客さんにはバレたのかバレてないのか(多分、気づいた人、少ないだろうなぁ)。
 終演後、本日発売だというニューアルバム(ユーミンの「あの日にかえりたい」「『いちご白書』をもう一度」、中島みゆき「帰省」のカバーが収録)を購入して博多座を出ました。満足。

 博多座からバスに乗って博多駅、徒歩5分で本日のお店、博多と言えばここ「太郎源」に到着。かつて一口で超ベテラン柔道先生を虜にした鮪カマ焼きは事前に取り置きをお願いしています。先に到着したので料理だけ何品か注文して、5分後に到着の56回生Iくん(JR九州)とビールで乾杯。連続で同じ店を選んでしまってごめんなさい、お会いするのは半年ぶりですね(前回は、母君が小倉の元職場で退職手続きを取るのにお付き合いした日でした)。

 時間は遡って、朝の進路指導室で事務嬢さんと。
 私「……で、Iくんから届いたメールに『ご報告したいことが』って書いてあって。え、結婚? 結婚? って」
 嬢「年齢的には、56回生ならおかしくないですよねぇ」
 私「でしょ? どうしよう、嫉妬ゼロという体で『御目出度う!』を言う練習が要るのかな?」
 嬢「……やってみて」
 私「……お、御目出度う!」
 嬢「気持ち悪い! 引き攣ってる引き攣ってる!」

 再び夜の「太郎源」。「ご報告したいこと」は、社内の試験をパスして、2年間の社費アメリカ留学(大学で経営学を学ぶ)の権利を得たというお話でした。
 私「わ~、良かった! 勉強してるって言ってたもんねぇ。ってか、社会人になって働き始めてからまだ勉強したいって思う姿が眩しいよねぇ」
 I「先ずは、再来年の出発までに英語を鍛え直さないといけなくて」
 私「頑張ってねぇ。いや~、凄いなぁ。あ、そいや、Iくん阪大じゃん。まさか、行き先ってサンフランシスコじゃないよね? 大阪からサンフランシスコだなんて、今は恥ずかしくて申し訳なくて入れるもんじゃないじゃん」
 I「あ、サンフランシスコではないです。大丈夫」
 私「なら安心だ、良かった良かった。あ、でもさぁ、こないだメールで『ご報告したこと』って言ってたじゃん? その時はさぁ、結婚かな? 結婚かな? って思っちゃって。そじゃなかったんだねぇ」
 I「あ、一緒に向こうに行く相手は居ます」
 私「……お、御目出度う!」

 2軒目もこないだと同じ店だったような(駅から300歩横丁のうどん屋)。後でIくんも飲み過ぎて記憶が、って言ってたけれども私も少しその気配が。だって、Iくん笑うくらいの勢いで私に冷酒注いで来ましたから。あぁ、こいつ酔ってんな、って。
 新幹線は20分弱でK市、タクシーで自宅に戻って昏々。

お茶さえ飲まないで とび出してゆくのね

 ハロゲンヒーターで文明化を直走る自宅の書斎にて、未明3時から漢文特講の添削。昨日の日記にも書きましたが、14年『資治通鑑』は難問で果たして平均点は8.9/30(私の採点がどれだけ本番に近いのかは知りませんが)。あぁ、最後の最後でこんな得点を返される生徒が可哀想、とか思いながら顔は完全にニヤついてます。だって、この、解・放・感! 冥利だね。

 さて、SHR後は3時間の年休を取って母君の定期検診の介添。レントゲンも血液検査も、有り難いことに異常なし。有り難いと言えば、1限の数学テストの監督を(来週担当の)化学副担任先生に代わっていただき、2限の学年会議は欠席許可をいただき、と担任団の先生方にもご迷惑をおかけしています。母君のご病気以降、この「ご迷惑」に対するハードルが少し下がっているようです。
 F校親玉大学病院からタクシーで西鉄、買い物をしてから帰られるという母君とお別れし、折角なのでF校生徒の魂食「M」でラーメンの昼食。タクシーで学校に戻ったら、4限授業・昼休み面談・5~7限授業・SHR・掃除・図書館監督、と18時まではノンストップ。
 18時の終業後は、代行で帰られる高3若手数学先生の車に乗せてもらって学校から「もりき」へ。鴨のコースを食べながら、高3の話、来年度の人事の予想の話、等々盛り上がりました。数学先生、ビール派なのね。実はさしで飲みに行くのは初めてだったので、じっっっっくり観察できて嬉しかった。カウンターに座っていたHさんからは後で「珍しくいけのっちゃんが先輩風をねぇ、んふふふふ」と笑われてしまい。そうか、職場の後輩(年下)とさしで飲みに行くこと自体(二次会・三次会を含めても)初めてだったのか。卒業生とのさし飲みが珍しくないのに紛れて気がつきませんでした。そーゆーのが嫌がられない先輩にはなりたいなぁ(無理か)。

 そいや、明日は卒業生とのさし飲みですよ。56回生Iくんと博多「太郎源」。ウィークデーど真ん中、水曜の夜に博多なんて場所に居る理由は、16時から博多座由紀さおりのコンサートを観るため。はい、職場は早退して、またもやSHRを副担任先生にお願いします。完全に遊びです。ごめちゃい。

気持ちは伝わる

 高3担当若手(っつってももうじき10年選手なのかな)数学先生と。
 私「本日、私の漢文特講、最終回でございます!」
 数「わぁ、お疲れ様でした~。僕も土曜で終わったんですよ~」
 私「なんだかとっても疲れたぞっ!」
 数「すいませんでした~。お手数おかけしました~」
 私「これはお互いの慰労をせねばならぬなっ!」
 数「行きましょう行きましょう!」
 私「じゃ、明日夜、身体を空けておくように」
 数「はいはい」
 団塊世代の前世紀(全盛期)みたいな会話、という比喩は正しいのか否か。行く場所は「もりき」(鴨を食べます)だから、団塊のちょっと下の溜まり場です。

 高2現代文は、渡辺一夫「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」を終え、藤田省三「『安楽』への全体主義」へ移ります。2つの文章を連結する資料プリントは林達夫現代社会の表情」の一節。「理性の言葉」を装った「命令の言葉」なるフレーズを昭和16年に発表した(発表できた)知性。
 藤田省三「『安楽』への全体主義」は、今や教科書に載っていないんですね。授業に際しての本文は、ちくまの評論選から持ってきました(評論選に載っていない後半部は原著から)。内容の普遍性は疑うべくもないから論を措くとして、文体が高校生に通用しないと思われてるんだったら残念。個人的には、内容が真摯なら必ず通じるという信憑があります。

 と言うわけで、特講最終回! これにて高校3年生は二次対策にひとまずの区切りをつけ、センターの勉強に移行します。
 さて、最終回の題材は14年『資治通鑑』。これはやる前から辛気臭い得点が出ることが容易に予想できる難問です。何故にこんなものを最終回に持ってくるのかと言うと、それはセンター後の二次対策にやや易しめの問題を配して「あれっ、俺(私)たち、伸びてね?」という錯覚を誘発するため。

 ……終了後の解放感たるや、あんた。共に自宅徒歩5分、2大常連店の「もりき」「肉や一ノ剱」が店休の月曜日ですので、自宅徒歩10分の居酒屋「A」にて肉豆腐鍋の独酌読書。解放感は凄いんですけれども、まだ完全終了ではない。気持ち的にはそうなのですが、まだ添削が残っています。

電化する都市の暮らし 行き来する電車の速度よ

 昨日、一軒(一次会)で終わらせるという健康的な夜を送ったご褒美に、今朝はホテル朝食(1階の居酒屋「がんこ」が会場に)をもりもりと摂ってしまいました(朝カレーとかまで)。昨日の昼から夜、今朝、と3食連続できちんとものを食べるというのは本当に珍しいです(流石に昼食は入りそうにありませんが)。
 9時台の新大阪駅構内でクラス・進路指導室・担任団、Hさん・「もりき」マスター、そして久しぶりに母君のためにお土産を買い(10000円超のお土産を買うというのは珍しいことです。出張手当の3倍くらい使ってますね)、乗り換えなしの新幹線(指定席)で一路K市まで。
 新幹線の中では、新大阪から同乗の仲良し3人組のオバチャーンが「すいません椅子クルッてしていいですか?」と、2×2の座席を向かい合わせにして、私一人が相席状態。関西凄い。割と賑やかで、湯布院がどうだとか話してるから最後までこの状態だな、と読書は早々に諦めてイヤフォン。中島みゆき『相聞』(いや、これは久しぶりに好き)を聴いたり、3DSをプレイしたり。

 昼過ぎにK市着、タクシーで自宅に戻って入浴。本日は、母君とお買い物の約束もしていたので、学校に持って行くお土産を抱えて再びのタクシーで出発。リハビリステーションを経由して「ベスト電器」へ。本日の購入は私の自宅用にハロゲンヒーター、母君のお部屋用に包丁とまな板。
 母君の滞在を前提に、とにかく次々に家電を買い集めています。現在、自宅にある(携帯周り・電灯類を除いた)家電をリストアップ。
 ・冷蔵庫
 ・TV
 ・Blu-rayプレイヤー
 ・掃除機
 ・PC
 ・エアコン
 ・ハロゲンヒーター
 ・こたつ(注文中で12月に配送)
 ・空気清浄機
 ・除湿機
 ・ミキサー
 ・湯沸かし器(T-fal
 ・食洗機
 ・乾燥機付き洗濯機
 ・シェーバー
 ・ドライヤー
 ……何という文明生活なんでしょう。2年前まで12年間一人暮らしをしていた賃貸アパートには、「洗濯機・シェーバー・ドライヤー」の3つ以外の全てが無かったんです(正確に言うと、しばらく「冷蔵庫」はあったのですが途中で捨てました)。12年間、無くても困らなかったんです。この急激な文明化は最早進化、無意識裡に私の心身は変わっていく(蝕まれていく?)ことになるのでしょうね。と言いつつ、別にそれを嫌がっている(家電無し生活に拘りがある)訳ではなく、全く使わないのは(共に自宅に始めから据え付けられていた)食洗機とエアコンとの2つくらいで、他のものは頻度の差はありますが活用しています。母君が滞在するときはフル稼働するのかも知れません。

 母君をステーションにお送りした後、そのまま学校へ移動し、既に16時を回った職員室で2時間ほど仕事。学級通信を作り、教室の黒板を掃除し、高3の添削をし、学校用のお土産の仕分けをし。
 「もりき」にお土産を渡しがてら寄って因って酔って、帰宅。

まちがいなく関西人 さいでんなぁー

 6時に学校入りしてデスクワーク、いつもと違うのは1泊分の着替えを詰め込んだバッグを携えて出勤している点で、本日は1限(高3文系漢文)の授業を終えたら1泊2日で大阪出張なのです。某予備校模試の結果検討会のために、西日本の(所謂)市立進学校の教員(英・数・国)が集います。進路指導部命令での出勤ですが、会議・情報交換会(要は飲み会)の席に見知った先生方がいらした場合、何年か前に一度やって二度としないと決めた某社模試作成の仕事に再勧誘されないかなぁ、とちょっと心配(結果的には杞憂、見知った先生方とはお会いしませんでした)。

 K駅から新大阪へは乗り継ぎ無しの新幹線があって楽チン。JR駅前の老舗「R」(豚骨臭がキツすぎないあっさり系で好み)でラーメンの昼食などとったり。麺類の汁を飲んではいけないという家訓(子どもの時からの調教)を破って二口啜ったり、あろうことかセットの小チャーハンを注文(追い炭水化物!)したりするなど暴挙ですが、出張非日常への興奮がそうさせるんですね(新幹線の中では禁断のコカコーラにも手を出すぜ!)。

 新大阪行きの新幹線、指定席は既に満席でした。自由席もいっぱいで最初は立っていなくてはなりませんでしたが、どうせ博多でごっそり人が降りるのでその後座れることは分かっています……と、その新幹線で高2文系もお世話になっている生物非常勤先生とバッタリ。これから博多の予備校で講義という先生は予備校事情に通じたカリスマ講師で、2つの予備校をかけ持ちなさってお出でです(F校の非常勤も長くておいでですが、先生曰く「生徒が知的だからやってて楽しい」)。博多までの20分弱で、今日の会議のテーマである模試を始め、予備校界の様々な裏事情をたっぷり伺いました。ダブルで食べた炭水化物のせいではなくお腹いっぱい。

 博多から新大阪までは着席悠々の読書。3時間のうち1時間は、今日の会議で検討する模試(評論・小説・古文・漢文)の問題と解答とを再チェック。国語科の教員だけが集まり、模試の問題について、出題(作成)なさった講師の方に直接疑問や意見やをぶつけるというなかなかない機会なので、入試問題以外をこんなにじっくり見るのは珍しいというほど。

 問題について「ケチ」をつける点はありませんが、例えば……。
 評論文の漢字の書き取りに「講義」が出題されているのに、漢文の或る設問の選択肢に「抗議」という語が出てくるのはどうでしょう。書き取りの出題意図には、勿論「義」に言偏をつけるミスのチェックもありましょうが、当然同音異義語(抗議・広義・公儀・厚誼・交誼……)のミスのチェックもありましょう。出題に当たっては問題冊子内で「講」「義」それぞれの字が使われていないかという検索は為されているはずですが、同音異義語の検索は忘れられていたようです。本文は変更不可でも、選択肢内の単語なら変更は容易ですから、事前に検索しておけば「抗議」の使用は避けられました。些細な問題でしょうが、詰めておいて悪いことはありません。
 小説に関しては、リード文と設問との誘導で、本文全体で表されている主人公のあるコンプレックスを敢えて(これは明らかに意図的にでしょうね)丸ごと無視するというアクロバティックな出題が為されていました(と書いても、受験した生徒にさえ何のことか分からないでしょうが)。具体的に言えば、「ソンザイカン」という語に傍線部が引かれているのですが、これが何故カタカナで表記されているのか、という問題。出題側は、もし受験生にそう聞かれたら答えに窮するでしょうね。問題自体は成立していたので、繰り返しますがこれは「ケチ」ではありません。そういう風に問題を作ることって「あるある」だよねぇ、という感想。

 ……なんて話を検討会でやって(案の定、なぜ「ソンザイカン」がカタカナなのかというのは問題作成会議で話題にも上らなかったそうです)、その後は懇親会……が、いきなり面白かった。
 F校から一緒に参加した高2担任団の超ベテラン英語科先生(56回生・62回生の主任)が、懇親会の乾杯の挨拶を、何故か直前に依頼されたそうで。「面倒臭いもんね~。池ノ都先生、俺、何喋ったらいいんかね~?」と聞かれたので、冗談で「俺の挨拶中にスマホ触ったらビール瓶かリモコンかで殴る、って仰有っては?」と答えたら、偉い先生方や予備校の管理職お歴々の前で本当に言いやが、じゃない仰有ったの(どんだけ肝が据わってらっしゃるんだろう)。爆笑。

 懇親会(立食形式)では、関西のN高校の数学の先生とのお話が面白く。このN高校、教員の新陳代謝が凄いらしいんですね。その数学先生は3年目の28歳でいらっしゃるんですが……。
 N「僕なんて3年目なのに先輩から『君ももう中堅なんだから』とか言われて」
 私「言う先輩は何年目?」
 N「……8年目とか?」
 私「若っ! 僕、14年目ですけど職員室の全飲み会の幹事よ?」
 N「どぺーぺーやないですか」
 そのN高校では、時間割係の権限が強いそうで……。
 N「ウチはもう、時間割変更は絶対ですわ。言われたらへぇへぇ、と。時間割係に逆らうとかありえへん」
 私「へぇ、田舎(F校)は全然違いますよ。時間割って天体支配だと思ってたんですけど、僕、4年やっても『3限か4限かは空けてくれないと、僕はいつお昼ご飯を食べるの?』みたいなのがザラで」
 N「だからどぺーぺーやないですか」

 しばらく体調が悪かったのもあるし、明日も早いので、2次会以降には参加せずにホテルに戻りました(部屋飲みしたけど)。

期待すれば氣付いてしまふ 模範だらけ 模倣だらけ

 昨夜、58回生Mくんから何年かぶりに電話があり、「ら抜き言葉の見分け方」を訪ねられました。口頭でお答えした上で、今朝ショートメールで補足連打。例えば「喋れる」がら抜き言葉なのかどうかというのは、時々大人でも迷うみたいですね。記憶が正しかったらMくんは商社社会人、メールだかプレゼンだかで困ったりしたのでしょうか。

 朝の職員室で、昨日F校会場で行われた某塾の模試(F中・高入試の所謂「冠模試」)の問題を拝見しました。中学の方は、第1問(リスニング若しくは画像・文章をふまえた200字作文)の問題は200字作文を選択しており出典がいしいひさいちののちゃん』。評論問題の出典は福田恆存でしたが、ご丁寧に本文が【甲】・【乙】2つの文章に分かれてその相互の関係を問うという形式が採られていました。
 最新のF中入試は評論文で野矢茂樹『哲学な日々』が採られ、本文が【甲】・【乙】の2つに分かれていました。そして、同時期にF中1年生を対象に行われた中1確認テストの国語評論は私が福田恆存『私の幸福論』を使って出題しています。学校内の問題やらプリントやらは全部ダダ漏れしてますでしょうから、色んなものを総合して模試を作られ(受け身? 尊敬?)ているということなのでしょう。
 F校国語科だって、東大やら京大やらを意識して校内模試(特に第3・4回の現代文)を作っているんですから(「えっ、あれで!?」とか言わない!)。

 授業は4限に高3の東大漢文、これは昼休み・5限で添削をして帰りに返却。高2学年では、一昨日の日記に書いた情報秘す系のイベント(某試験受検)が夕方17時まで掛かって得難い経験。

 夜は「もりき」にて独酌。

私にとっては ハレなのだ それは美学 万歳

 ワイドショーで「今日は旗日だからお子様も番組を観られますね」「お子様は旗日なんて知らないでしょう」というやり取り。
 午前中は、中島みゆき『相聞』を聴きながら(★★★★★)、自宅で日記を更新したり仕事をしたり。考えたら、先日PCを買う前には全ての日記更新を学校のPCか(就業時間外ですよ!)ネカフェかで行っていた訳で、そら執筆(←偉そう)速度も速くなろうってもんです(余程長い時以外は1日あたり10~15分弱)。自宅でPC作業が出来るようになって少し経っただけなのに、もう遠い昔の話しのようです。
 で、午前中ずっと自宅に居たのはニトリから炬燵布団が届くからで、これは来月7日に炬燵本体が届くまでは書斎にうっちゃっておきます。

 12時からは、元気に勤労出来る幸いに感謝しつつ学校へ。さぁ、元気に働こう! とPC室に入った途端に自宅PCに仕事用のUSBを挿しっぱなしだということに気づいて一気に勤労意欲が萎える。ところへ、事務嬢さんから「昼飲み出来ます!」という元気なメールが届いて一気に勤労意欲が蒸発する。

 昼飲みの隠れ聖地「K」2時間、「ジャンカラ」2時間、で帰宅後昏々。仕事は、起きて未明にやります。カラオケでは、思いついて歌ってみた歌が割と(自分の中では)決まったので、これは絶対にオツカル様との年末カラオケで披露します。

勝利の凱歌を あげるまで 血の汗流せ

 12月1日以降しか解禁できない情報なのですが、この日記を更新しているのが12月9日(昨日はボボボーボ・ボーナス!)なので無問題。
 一体いつの間に取り組んでいたのか、67回生高2のメンバー4人(我らがB組3人と、C組の1人)が、第5回「想像力、無限大∞ 高校生ビジネスプラン・グランプリ」(主催・日本政策金融公庫)において、エントリー3247件の中のファイナリスト10組に選出され、1月7日(日)に東京大学本郷キャンパスで行われる最終審査会に出場することになりました。九州の高校では唯一の選出。本当におめでとうございます、ってか、凄ぇ! ベスト100でも新聞の取材が来るレベルの大会なので、こうなったらもういっそ優勝でもしちゃって、推薦入試で東大に合格なんかしちゃったらいいんじゃないでしょうか。
 日本政策金融公庫や市役所の偉い人たちが続々F校を訪問なさって、ちょっとした(本当にちょっとした)お祭り状態です。

 こちらも同様に12月以降しか解禁してはならない情報のようで、でもってそれについてもどこまで解禁していいのかさじ加減が全く解らないので(どこの現場でもそういうのってありますよね)、ほぼ全てを秘すことにしますが、本日の授業5コマは金曜日の授業で行うとある試験の「受検方法」を伝達するため「だけ」に費やしました。私が作った試験ではなくどっかの機関(大きな組織)が作ったもので、受検するにもイロハの作法があるらしいので、主に文系諸氏が「将来こんな格好いい世界で働いてみたいなぁ」という憧れの視線を注ぐであろうその先で本当に働いているような方々が持てる知の粋を集めて作成した(んだと思うよ)血と汗と涙との結晶であるところの「受検方法マニュアル」的DVDを20分かけて鑑賞するという得難い体験。私なんか授業前に1回、授業で5回、計2時間をこのDVDの画面を見つめるためだけに費やして泥田坊が「田を返せ、田を返せ」とおめく心が解り過ぎる。

 自分でも何を書いているのか分かりませんが、こういう、振り返って何が何だか解らない(から読んでる人にはもっと解らない)ことが時々起こることに対してデリケートになるから、日記が半月だとか一月だとか遅れたりする訳なんですよ。

思い出してね くり返す くり返す さざ波のように

 母君から送られてきた(小倉の元自宅から断捨離されずに生き残った)私の写真や成績表やの「来歴」の材料を仕分け中。本日は、昨日の日記に続いて(私が今教員として担当している生徒と同じ)高2時代の第5回定期テストの成績を公開(通知表、今と違って当時は全て手書きです)。
 「現代文87 古文94 漢文92 世界史90 日本史97 数学甲98 数学乙92 数学丙100 生物97 体育81 英語甲69 英語乙95 英語丙96 平均91.4 席次10/191」
 英甲で爆死していますね。きっと「これが無かったらもっと上だった!」と嘆いたんでしょう(覚えてませんが)。実際、定期テストの最高順位は高2の第1回・第3回の8位でした。47回生を思い出してみると、理系で(でっくんを含む)4人、文系で2人、もうどうすっ転んでも勝てる道理がないという「天才」が6人ほどパッと思い浮かびますので、それらを除いた(池ノ都學兄を含む)「秀才」の付け入る隙は7~8番辺りしかなかったんですね。
 昨日の日記に「高3の夏にして世界史ノー勉」とか書いておきながら高2の定期で90点ってどういうことよ? という質問がもしもありますならば、授業は殆ど聞き流しておきながら、試験前日の13時~0時という(食事・入浴1時間を除く)10時間、及び翌朝5時~8時30分という(朝食30分を除く)3時間、計13時間を世界史暗記のため「だけ」に使って答案に書いた端から全て忘れ捨てていたので点と実力とが比例していない、とお答えしておきます。何の意味も無い行動ですね……ただ、意味は無いけれども益はあります。今だって、あの「定期の世界史」の心身状態を想起さえすれば、100枚程度の添削(15時間)なら昼に受け取れば翌朝返せます(高3の2月のテスト会の話です)。

 さて、3時起床の自宅書斎で昨日の特講の添削、朝の学校では金曜の外部模試(詳細秘す)の監督者マニュアルを作成、学年会議が1コマの後、4~7限が高2現代文。渡辺一夫のリベンジ……は果たせたかどうか微妙。面談の生徒も昼と放課後とで2人。
 体調は相変わらず不調ですが、帰りのタクシー(徒歩回避)でTSUTAYAを経由し、中島みゆき『相聞』はゲットしました。序でに、12月の「夜会工場」のチケットも届いたので、ご一緒するHさんのお家にお渡しに行きました。夜は「もりき」で独酌。