おかえりなさい

 私は教員が仕事ですべき事を、具体的には授業、抽象的には「身を切る、身銭を切る、時間を割く」という3点だと認識しています。前者はF校スローガン「授業が命」に従ったもの。後者は国語科恩師先生のいつだったかのお言葉で、これを言われた時、私は思わず「それなら誰にでも出来ますね」と答えて笑われてしまいました。しかし、上記3点は、種々教員力の欠落を自認する私にはとても有り難い言葉です。100mを10秒で走れとか国連英検で特aを取れとか歌会始に入選しろとか数学オリンピックで金賞を取れとかいうものから、東大京大九医に何人以上合格させろとかいうものまで、そういう「達成目標」が教員のやるべき仕事だと言われたら「それは無理」と答える人は大勢居ましょうが(私もその一人です)、その人その人が自分なりに「身を切る、身銭を切る、時間を割く」だけでいいならこれは本当に例外なく「誰にでも」出来るからです。私でも教員がやれるかも知れない、と思わせていただけたわけで正にこれが恩師の言葉。
 後日のお手紙で、これが「身に染む/身銭を切る/身を砕く→身に付く」という小田実の言葉を(多分、ご自分の来歴を踏まえられたその時その場の思いつきで)アレンジされたものだったということを教えていただきました。ブリコラージュ。

 さて、昨日で課外授業はお仕舞いの本格的夏休みですが、9月の体育祭に向けて応援団・装飾のメンバーの構内での練習・準備は続きます。授業が無い日の自主的練習準備ですから、それ専用の監督教員が要るわけで。私も可能な限り張り付いておく(っつっても、職員室で仕事しながら一日に1、2回ひやかすだけです)、熱中症が怖いので差し入れをする(学校近所のコンビニにはしばらく毎日30本のアイスクリームかジュースかを買っていく旨、伝えています)。
 迎合人気取り欲求に基づく部分も多い上記行動ですけれども、続けてたらいつかは仕事だとも意識することすらなく息をするように自然に「身を切る、身銭を切る、時間を割く」が出来るようになるかも知れないという向上心もあるんじゃないかな(←他人事みたいですけれども)。あ、勿論、安月給ペーペー教員にそんなに潤沢な「身銭」があるわけもないですからね。上記差し入れの財源は全て、今年度5箇所廻った保護者講演会の謝礼です(明かせませんが、結構な額です)。
 こういう子供っぽい文章を書くときには、我ながら顔がニコニコしてるのが分かります。

 佐々木倫子『チャンネルはそのまま!(6)』読了、★★★★。最初はもうどうしても生理的に駄目だった雪丸花子という主人公を、完結の本巻では受け容れないこちらの度量が狭いのかもと思う程度にはなっていました。完全なる感情移入読書になってますね。
 斉藤明美『最後の日本人』読了、★★★★。インタビュー集。水木しげる王貞治緒形拳森英恵山田洋次高峰秀子吉行あぐり……ここでインタビューを受けた「最後の日本人」とはどのような人々なのか、この本には登場しませんが間違いなく「最後の日本人」と呼ばれるべきであろう霜山徳爾氏の言を引用(著書抜粋)。「成熟した『内面性』というものは」「ひきつけながら、なお人をよせつけない両価的な相反する感情をわれわれに与える」「しかし」「豊かな内閉性は、近寄ることを許さないようであって、常に『汝』をさし示している」