連れてってくれて たまに

 5時に学校入りで、職員室掃除(ゴミ箱とシュレッダー)、担任業務(学級日誌と出席簿整理)、添削を色々。昨日は副担任世界史先生が「コンキスタドール複数形がコンキスタドレスだと授業で言ったのを覚えている人はいるのだろうか?」と。それを受けた担任氏は「ドレスが複数形なら、マタドールの複数形はマタドレスになるんでしょうか。マタドレスで赤い布ってもの凄く下っぽいですね。あ、声優の宮村優子さんのお歌『12才の旗』は傑作」などと書き込み。

 の後、タクシーでJRのK駅。またまた7時間の年休は大変申し訳ないですが、小倉からいらした母君を駅でお出迎え致しまして、K大学病院へゴー! 小倉の病院からの紹介状、今後の治療はK大病院に委ねることにして、今日はその治療方針を先生にご相談する最初の日です。夕方学校に戻ってからの特講板書計画は、長い長い待ち時間に行います。

 本当に長い長い待ち時間(2時間)の後、初対面の(母君担当の)先生は私より少し年上の、とても目力の強い男性。話し方は(強すぎない程度に)はきはきとしておられ、選語も(不安で混乱している素人にも)分かり易いものをという心遣いが感じられます。数分間のやり取りの間に、母君はあぁこの先生にならお任せしても大丈夫だ、と思われた様子。
 しかしまぁ話題はシリアスなものでして。先生曰く、他はさておき先ずは小脳の転移を叩くべきであるところだが、本当に転移が一箇所なのかどうかは改めて検査を要すると判断したい、と。いきなり突いて来られて母君も私もびっくりとする。言われるままにMRIの検査室に向かいながら、「不安って尽きないね~」と母子。
 母君が検査を受けておられる間に、K大医学部で勉強中の56回生T氏に「医学部なう!」とメール。数度のやり取りで、明日一緒に飲むことに決定。K大病院のことを色々教えていただこう。

 今日の検査の結果をお聞きするのは来週、14時前という中途な時間に病院を出たので昼食をとるかどうか迷ったのですが、先ほどの検診で「健康のために食べることが仕事」と先生のお言葉を受けた母君の決定で、JR近くの中華料理でランチコース。案の定、食事中は、ずっと先の先生が頼りがいがありそうだった、という絶賛が続きました。これは勿論、病院を(半ば以上に強引に)紹介した私のことを慮って下さっているというのもありましょう。
 でもって、与えられた愛情に対してはそれと認識して受け取ったと表明するのが親孝行で、34にもなったらそれを恥ずかしがる理由もないんですけれども、どうしても「そんなに息子さん(←一人称)にお気遣いをなさらなくとも」とかいう言い方になるんですね、我ながら我ながらだわ。追々矯正していこ。

 母君とはJRの駅でお別れ、学校には16時前に戻り、17時から東大理系漢文特別講義。添削は明日に回して、夜は「もりき」で日本酒。昼食が遅かった(というか、普段食べない昼食を食べた)ので、冷奴だけでお腹いっぱいになりました。