無難にやれと 世の中が 顔をしかめてる

 朝、職員室机上(に整然と積み置かれた本の上)に置かれていた用紙は、毎年恒例で教員全員が学校に提出する申請書だったのですが、毎年のごとく何気なく日付・名前・住所、と書いていって途中で驚愕。生年月日のところに「昭和・平成」の選択欄が出来ている! 去年まではなかったはずだがまさか……と思い当たる、今年から赴任の物理先生は57回生と一緒、ど平成だわ。
 国語「てめぇ、物理、平成くんかよ?」
 物理「そうですけど」
 国語「あのねあんたのせいでねぇ、これから毎年毎年学校に書類を提出するたびに老いを感じなきゃいけないってことにどう落とし前をつけてくれるんだ。ドラマとかで姑が嫁を苛めるシーンってあるでしょ、あれ姑が酷いと思うでしょ? でもね、あれは嫁が若いというだけで既にして姑を深く傷つけているというそもそもの原因があるんだからね、あれは嫁が悪いんだからねっ、覚えとけっ、そこの新婚っ!」
 体育「私っすか!?」

 82年東大第一問は高橋和巳、それを文系東大コースに解かせたら、読解云々の前に漢字の書き取りで「捨象」と書けたのが3割弱しかいなかったということに驚愕。まさに高橋和巳世代の(しかも京都大学出身で土地柄も、という)数学先生には「死語やないんか」と言われましたがどっこい進学校で現代文を習ってるなら「抽象」について教わるときに絶対に裏表の概念として教わっているはず。東大の過去問で言えば、「帽子」とか「魂」とか(共に05年)は書けなくてもそんなには困らないんです、だって名詞だから(それにしても「帽子」の正解率も毎年低い!)。でも「捨象」が書けないってことは、①この単語を聞いたことがない、②抽象・捨象というものの考え方が出来ない、という両方を満たしている可能性が高い(捨象するという考え方が出来るなら、熟語自体を聞いたことがなくても文脈から文意を読み取って「シャ」「ショウ」に相当する漢字を引っ張り出すことも不可能ではありません。実際、「捨省」というミスがありました)。
 「矛盾」を「無純」と書いてきた学生に驚愕した、という内田樹先生のエッセイがありましたっけ。

 上記数学先生と。
 数「きみは、高橋和巳は読んでんのか?」
 私「実は、一冊しか。読んで『重っ!』って思ってそれっきりです」
 数「そっか、そうやろなぁ。何を?」
 私「『孤立無援』です。森田童子の『孤立無援の唄』って曲の中に高橋和巳の名前が出てきて、それで読みました。だから、恥ずかしいですけど、小説は全然」
 数「僕もそんなにたくさんは。『サンゲ』とか『邪宗門』とか……」
 私「『サンゲ』って、散る華ですか? やっぱ重っ!」
 数学先生のご友人には、高橋和巳の熱狂的なファン、活動期間が短い彼の作品は全部読破、理系研究から志を教育に変えて国語の教員免許、教員・教育委員会を経て現在は小学校の校長、という方がいらっしゃるとか。凄い。

 「もりき」が私のためにこの季節に白菜を仕入れてくれていました。そういえば湯豆腐が食べたいって口走った記憶。今日は絶対パスタって決めて入店したので使いませんでしたが。