君も僕もまるで違う歌を書きました。

 矢野顕子『ふたりぼっちで行こう』、★★★★★。トレイラー映像も我慢して、前もって聴いた曲が一曲もないという真っ新な状態で聴きました。一周した後、YUKIとの共演「バナナが好き」、上妻宏光と(仙波清彦と)の共演「ROSE GARDEN」をリピート。前者、バナナはそんなに好きじゃないのに二人のハイトーンボイスで「ばっな~な~!」と歌いきられると耳は完全に屈服。後者、終盤の三味線が圧巻、これは一回生で観たいなぁ(上妻氏との共演自体は、石川さゆりとの「二人のジャンボリー」で観たことがあります)。吉井和哉の曲を矢野顕子がカバーしたやつを吉井和哉がカバーした(意味が分からん)「パール」も聴きどころ(っつったら、聴きどころじゃない箇所があるみたいであれですが)。
 戸川純・おおくぼけい『Jun Togawa avec Ookubo Kei』、★★★。純ちゃんのレパートリーを今の声で吹き込むという試み自体はファンとして嬉しい。けれども傑作『わたしが鳴こうホトトギス』の後だとちょっと落ちます。楽しみにしていた「クレオパトラの涙」が好みじゃなかったのも残念。

 滝沢秀一『このゴミは収集できません ゴミ清掃員が見たあり得ない光景』読了、★★★。Twitterで話題のゴミ収集「あるある」、長い文章にしたら間延びする部分ができるTwitter発エッセイ「あるある」。

 数年前のF中入試の評論本文で、野矢茂樹氏が曰く「全能の神に論理は要らない」(大意)と。全能故の以心伝心が不可能な人間には、他者のことは絶対に分かりません。国語を担当する生徒には、先ずここを必ず伝えます。他者の気持ちは分からない、きみの気持ちはよく分かると大人が言うのは大抵嘘だと思って下さいね、と。国語の出発点はここで、委曲を尽くした表現も、細部に配慮した論理も、他者との断絶を前提にそれでもなお架橋したいという希求から始まったのではないでしょうか。聞くも読むも話すも書くも「若しかしたら分からない(伝わらない)かも知れない」という恐れを持つからこそ傾聴熟読熱弁推敲への意欲が駆動するわけでして。私はこれを一つの倫理だと思っていて、作者がその倫理を共有しているのではないかと思わせてくれる作品に出会ったら全幅の信頼を置いて身を委ねます……勿論、「若しかしたら分からないかも知れない」という恐れをもって(この文、「作者」を「教師」、「作品」を「授業」に置き換え可能です)。「論理」の本の感想を述べるのに「倫理」の話をしてどうするんでしょう、仲島ひとみ『大人のための学習マンガ それゆけ! 論理さん』読了、★★★★★。
 学級文庫に入れたら、最初に手を取ったのは医学部志望の某くんでした。そうですね、断絶他者とのコミュニケーション能力が最も必要な職業ですものね(他者の気持ちが分かると強弁する人も、他者の身体の痛みが分かるとまでは言わないはずです。論理的に無理ですから)。

 5時に起きて二度寝したら7時半、作り始めて半年間で最も遅い時間に朝食をお出しすることになりました。飲み過ぎたってほどではなかったけれども、とにかく長っ尻でしたね。午前中は書斎で作業をしながらのんびり。血痰ネーミングスーパーマーケット「You Meタウン」に母君と買い物にも。
 昼過ぎから学校に出て3時間ほど仕事。高3生がクラスルームで自習をしています。各クラス数人ずつで、このくらいの数が気が散らず丁度良い感覚です。超ベテラン保健先生から大量の柿をいただいたので、Hさんに4つ、担任団の先生方に少しお裾分け(Hさんからはお返しにリンゴ2つと鯖の塩焼きとを)。母君の夕食は、おでんの残り、鯖の塩焼き、そして柿です。果物をむくのは私には難しく、皮はピーラーを使っています。

 夜は二日市に出て焼鳥「月空」へ。西鉄K駅の古本定期市のワゴンに渡辺一夫『僕の手帖』がありました(他、数冊の文庫・新書を購入)。