分かれ道 もう自分だけのレースをひた走る

 東大不合格者の開示がぼちぼちと届いているようです(感覚的には、今年は一日程度「遅い」かな)。東大は、合格者の得点は入学後にしか教えてくれないのですが、不合格者には即座に得点についての情報を送ってきます。各教科(及びセンター試験の換算点)の数値、合計点、それが合格最低点に何点足りなかったか、そして不合格者の中でどのランクにいるのか(ABC評価)、等が詳しく。殆ど合格していた受験生に再受験を促したり、やや力不足の受験生には私大や後期に向かうよう(浪人する場合には志望校を変えるよう)促したり、不合格者に色々なメッセージを届ける数値。これはF校進路指導部にとっては役に立つ(入試分析を後輩のために使える)数値で、残酷ではありますが不合格者には得点を教えてくれるようお願いしているんですね(合格者にも、入学後知らせてくれるようお願いします)。
 我らB組のKくんは、理Ⅰが残念で慶應理工への進学を決定。合格まではあと2.3点という開示でした。通っててもおかしくないという結果で、勿論ランクはAです。ですが、私は浪人東大推進派ではないので(職員室には推進派も非推進派も居ます)、進学可能性を考慮に入れながら受験して実力で堂々合格した以上、東大生に引けを取らない慶應ボーイとして履歴書に傷をつけずに歩もう、とメッセージを送りました。2.3点を365日で割ってみぃ? って感じで。
 勿論、本人が自分の意志で浪人してもう一度志望校を目指す、というならそれは全力で応援(必要なら添削)します。「非推進派」は「反対派」ではありません。

 母君は本日3週間ぶりにリハビリセンターに復帰(今日は昼食を作りに往復する必要がありません)、合格報告組と駄弁ったり、デスクワークをしたり、後期受験組とメッセージのやり取りをしたり。
 午後、明日がホワイトデーだということを完全に失念していたことを思い出し、慌てて市内の某店(コーヒー豆とナッツのお店)で色々と買い込み、「ダイソー」で買った小分け袋に詰める準備を整えました(明日の朝、各先生方の机上に置きます)。

 17時帰宅、入浴(母君はリハビリセンターで入浴済み)、夕食作成。夜は「もりき」にて職員室有志4人で鴨コース(今期最後)。66回生担任1人、67回生担任3人で、合格オメデトウ会、みたいな感じになりました。日本酒をちょっと飲みすぎたかな。

推しが尊い

 ネット上の受験掲示板で見たところ、F高の東大合格者数は日本で第9位だそう(後に別の高校の人数が判明し、10位になりました)。福岡県の高校がトップ10に入るのは恐らく史上初なのでは。外部の方々は、中学共学化の影響だとか東大シフトだとか色々と理由を推測して下さるでしょう(興味を持っていただけるのは大変有難いことです)。ただ、一点だけ言えることがあるとすれば、「東大シフト」というのは嘘だということ。東大を受験する人数は毎年徐々に減ってきています(不景気時代の田舎の進学校における医学部「手に職」信仰はもう凄いんですから)。63回生が現役で30人合格した時の受験者は50人しかいませんでしたし、67回生が現役で36人合格した今年の受験者も僅か58人です。たった10年前、たとえば59回生の時なんて理系だけで56人受けてた(文系を合わせた受験者は80人超だった)んですけどねぇ。

 合格報告に来たB組Nくんから、F校にアイドル研究会を設立する動きがあるという噂を聞きました。中学なのか高校なのかは分かりませんでした。
 私「それ、女性アイドルを推すの? 男性アイドルを推すの?」
 N「さぁ?」
 私「っつか、今日日の子どもたちって、女性アイドルならこれを推す、みたいなのが居るの?」
 N「そりゃ欅坂とか」
 私「あ、そうか。滅茶滅茶人気か。おっさん完全に失念してたわ。あ、地下アイドルとかは?」
 N「は?」
 私「いや、僕、ちょっと推してる地下アイドルがいて(←絵恋ちゃん)さ。あ、通勤カバンに推しのアクキー入れてる教員って、顧問の権利あるかな?」
 軽いめに引かれました。

 馬鹿話ばっかりしてる訳ではなく、徐々に徐々にではありますが、今年の東大・京大の入試現代文にも目を通しています。東大文系の是枝さんの文章はあれですね、84年共通一次藤田省三「或る喪失の経験」と同じですね。一応、現代文の授業では扱ってるんですけど、覚えてた受験生は居るかなぁ。

 夜の「もりき」では東大の結果を聞かれ、「凄いやん!」と祝福してもらえたんですけれども、10日の日記に書いた通り、ただ喜んで終わりという訳にはいきそうにありません。

そして今 わたしは思っています 明日からも

 「合格体験記」の原稿を誰に依頼するのかは、各クラスの担任が選んで10人を決めます(5クラスだから50人。これに浪人10人を加えた60人に依頼します)。我らがB組は文理半々の混合クラスですから、文系5人、理系5人ということになります。
 文系は、東大文ⅠのAさん、東大文ⅡのSくん、東大文ⅢのHさん、京大総合人間のSくん、筑波大人間学群のTさん。
 理系は、東大理ⅡのTくん、東工大工学院のMくん、阪大基礎工学部のNくん、九大医学部のKくん、同じく九医のMくん。
 男子:女子=7:3。内進:外進=7:3。大学なら6種類、学部の別を考えたら9種類の進学先を示せたのは正に文理混合クラスならではの多様性なのではないかと考えています。文ⅠAさんは中学が東京「O中学」だから彼我の違いなど面白いかもしれず、京大総合人間のSくんは国際言語学五輪日本代表、九医の2人は文化委員長に副委員長ですから、話題も豊富でしょう。

 少しだけ筆を滑らせますが、本当は私は電通大に進学するNくんに書いて欲しかったんですね。コミュニケーション能力お化けで文章も(3分間スピーチが証明するように)面白い、英語6語の自己紹介で「Yes I can, but I won't.(私はできる、だがやらない)」と書いてのけた漢です(教員一同爆笑しました)。ただ、まぁ、学校が要求する学習態度をへえこらと貫いたかと訊かれたら……ね……という人。まぁ、受験勉強よりはテーブルゲームが好きですよね、と。定期も上から数えた方が時間が掛かる(←迂遠)順位だし、提出物が間に合わない時は学校へ向かう足が重くなったりもね。って、担任がそんなこと言ったらNくんに失礼だろ、と思われる向きもあるやも知れませんが、何しろそのことを本人に言ったら「『体験記』は僕じゃダメですよ、後輩が受験を舐める!」とカラカラ笑ったような人柄ですから。最高かよ。
 結論から言うと、担任団(の一部)からNGが出ました。『合格体験記』はやっぱり学校の言うことをよく聞いて課題を全部こなして、地頭じゃなく努力で通った人のストーリーを載せたい(地頭も良くて努力もした人ならなお良い)、というのは運営側の言い分としては一理も二理もあります(実際、私も簡単に折れたんですけど)。でも、時に激しく叱られながらもくじけず折れず67回生を続けて、外部からの進学直後のハシビロコウTくんに(内進・外進の壁をひらり飛び越えて)引くくらいの勢いで懐いて遂には2人で合格報告にやって来るくらい仲良くなるようなコミュ力で学校楽しんで、最後はしっかり勉強してちゃんと現役で立派な大学に通ったなんていう人、絶対後輩の灯りになりますよね。
 大体、学校の言うこと全部聞いてこなしたら合格するなんてこと、皆知ってます(少なくとも私はそれで東大に通ったんで、単にお題目ではなくて身を以て知ってます)。それは素晴らしいことですが、それだけ集めたら、60の文章、全部同じになっちゃうんですね(私、10年校正やってるんでよく分かるんです)。

 『合格体験記』を神々の本紀列伝にしたい教員も居ますし、それに後輩が憧れるのは何ら悪いことではありません。でも、「神々」が通ったような東大だ京大だ医学部だを目指すというのはですね、学校の言うこと、例えばF校の蓄積が準備した授業特講という「上げ膳据え膳」を残らず平らげたら良いわけですから、或る種の「型」に身を任せればいいという意味では受け身の受験であるわけです(無論、必要な努力の量はとんでもないですよ)。
 ところが、各人が独自の興味関心で選んだ「F校推し」ではない、要するにF校側に特講だ授業だのフォーマットが十全な形で完成しているわけではない進学先を目指すのには前述の「受け身」ではない前傾姿勢が必要になります。そんな進学先を目指した生徒が、授業特講といった「上げ膳据え膳」がない環境を生きて遂にその進学先への合格を勝ち取った強さは、「F校推し」の進学先を目指す生徒も含めた全ての後輩の鑑になると、少なくとも私は思います。
 阪大基礎工学部のNくんに依頼したら「僕は『下』担当ですか?」と訊かれました。筑波大人間学群のTさんには「私なんかで?」と言われました。そう思わせた・言わせた私の担任としての非力は申し訳ないばかりですが、彼らの強さ・誠実さを文章として書き残すことで少しは報いたいので、半ば強引な説得で承諾してもらいました。自分で必要な特講を精選して、残る時間の独学では倦まず弛まずを貫いて、職員室では英数の教員を質問攻めにして、進路指導室では部長を通じて予備校と連絡をとって模試の問題を手に入れて……その殆どに手を貸せなかったのが申し訳ないです(結局、高3担当者としては「神々」の答案の添削に時間の殆どを持って行かれた冬でした)。

 5クラス全てが東大・京大・国公立医学部だけで優に10人の定員を上回ってしまう合格実績で、固めようと思えば本当に本紀列伝になるというのは凄いことですよ。卒業生(対母校)としても教員(対勤務校)としても誇らしいです。
 でも、出来れば、風通しの良さであるとか多様性であるとかは担保したい。私は67回生に(中1からではなく)高1から入った新参者ですが、この学年が周囲から厳しい厳しいと言われながらも実際には割と多様が認められ風通しも悪くなかったことを知っています。だから、先生方はそっちの方も「恥ずかしがらずに」(←強調)形に残して良いんじゃないかなぁ、と思うわけです。そして、こんなだらだらとした(日記になってない)文章を書いた理由は、お分かりの通り、どさくさに紛れてNくんの「体験記」のほんの一部(上澄み)を私が代わりに書きたかったからです。

 6時半起床、母君の朝食を準備してから入浴、出勤。鹿児島大・九州大の後期添削をしたり、続々やってくる合格組と挨拶したり。63回生の時もそうだったのですが、凱旋の挨拶は、出来るだけ早い日付の出来るだけ早い時間帯に来たほうが良いですね。何というか、合格者が多いから、半日も経つ頃には「おめでとう」を言うのに飽きてくるんですね。他ならぬ自分自身の合格に喜んでいるあなたには申し訳ないんだけれど、はっきり言って東大生なんて別に珍しくもありません、みたいに扱いが雑になります。

 一浪合格組も続々とやって来ます。予備校時代にも微力ながら現代文・漢文の添削をお手伝いした66回生SRくん・SHくん・Kくん等々。共に文系東大のSRくん・SHくんからは予備校に関する面白い話、貴重な情報を頂きました。
 K予備校トップのSHくんにまつわるエピソード。あの悪名高き(?)ラウンジの、入って真っ直ぐ進んでテーブルに座って駄弁貪り始めたら受験は終わりという動線とは異なる、入って左側のテーブルエリアとは壁で隔てられた右側自販機コーナーに向かう動線、あからめもせず颯爽と自販機に向かうその動線がいつしか「Sロード」と呼ばれるようになったという話、多分飲みながら聞いたら腹抱えてたな。因みに、今年のK予備校一浪組は、確か東大・九医ともに全勝だったということです。素晴らしい。

 夜は居酒屋「A」で読書独酌。

次の一歩日進月歩 必死でしょ!? って必死だよ!

 1時に目が覚めて、2時に目が覚めてここがピーク。どれだけ寝ようとしても目が冴えて、ベッドでスマホを弄っても全く楽しめず(取り敢えず、スマホのトップ画面に東大・京大の合格発表のリンクは張りました)、これはもう無理だと諦めて書斎で仕事を始めたらこれが捗ること捗ること。来年度6月に出題する第1回校内模試の問題・解答用紙・解答解説が完成してしまいました。今日合否が発表になる東大・京大組にはこの問題を受験することになる人も複数人出てきますが、後期の添削とは違い特定の誰かを念頭においた作業では無かったので、これはギリギリで「呪い」にはなってない、はず。
 模試を作り終えたらいつも通りの入浴の時間。その後で母君にお薬と食事(リクエストにより雑炊)とをお出しして、洗い物まで終えてから出勤……したんだけれどもやることがねぇ。というか何か作業をしようとしても手につかねぇ(書斎では仕事に没頭できましたが、職員室に入ると一気に緊張感が高まってきました)。どれくらい緊張していたかというと、8時の職員室に私以外誰も居ないのに気づいて理由が解らずプチパニックになり、5分経って漸く今日が日曜日だったことに気づいて「そうだよ、だって斉藤由貴だったじゃん!」という訳の分からない叫びを職員室に響かせた程です。朝のリビングで観たフジTVのトーク番組で、新婚の竹内結子斉藤由貴をぶつけるというスリリングなことをやってて、7時からあの番組をやってたならそれは日曜日だということに当然気づいて然るべきだ、という意味の叫びでした。

 さて、外は雨。63回生担任だった時は、主任化学先生が究極の雨男で3月10日に雪を降らせた(だから下馬評を覆して東大現役30人をたたき出した)んですが、今日の雨はなんでしょうね。嬉し涙の雨だったらいいんですけれど。ネクタイは67回生Tさんから贈られた縁起物、国語科恩師先生からのネクタイピンも。
 落ち着きがないのは私だけで、他の担任団の先生は11時頃までいらっしゃらないおつもりの様子(東大は12時、京大は13時の発表です)。私は、その11時頃に学校を離れて自宅に戻り母君の昼食を作成するという役割があります。
 そうそう、進路指導室事務嬢さんも8時半の日曜出勤だったわ、と進路指導室に行って駄弁につき合って戴く。この時、事務嬢さんに「率直に言って、東大、どのくらいだと考えているんですか?」と聞かれ、「学校的な目標は現役30、届いたら嬉しいのは現役25、私の予想は悪くて現役19、良くて現役27」と答えています。嬢「ホリエモンも受けてるんですよね?」 私「らしいですね。受験番号を把握してないからウチでは合否は判りませんけど、ワイドショーが教えてくれるでしょう」 私はホリエモン先輩が合格するとは全く考えていませんが、センター試験足切りにかからなかったということはご立派なことだと認識しています。

 11時に学校を出ようとして野暮用に掬われて遅れ、タクシーを呼ぼうとしたらどこも出払っており、という不運が重なって、一旦自宅に戻れたのが11時40分を過ぎていました。慌てて食事を出して(コンビニのおでんを使って手抜きをしました)、再びタクシーで学校に戻った時には12時を大分回っており、タクシーを降りたら進路指導室まで疾駆。室内に飛び込んだら、67回生・66回生の担任団を中心に大勢の先生方が集まっており、最初に目が合った英語科パイセンが「文系、14人」と仰ったのにいきなり涙腺をやられそうになり。
 ネット上に科類毎の合格者の番号がアップされるので、事前に学校に知らされている現役生・卒業生(浪人生の番号は、予備校などから集まります)と照合していきます。担当の先生が「Aくん、○」「Bさん、○」「Cくん、×」「Dさん、×」とフルネームと○×とを淡々と読み上げていくのですね。63回生の担任団は一々「うををををををっっっっっっっっっ!」と雄叫びを上げて凄まじかった思い出があります(詳しくは、2015年3月10日の日記をどうぞ)が、67回生の担任団は静かに驚き感動するタイプで、雄叫びというよりもため息に近い印象。
 私が到着した時には文系(文Ⅰ~文Ⅲ)の○×が終わっており、A組・B組文系には全て○×がついていました。10人行けば御の字だと思っていたら14人も合格しており、B組からも3人の合格者が出ています。で、B組の理系からは東大受験者が3人しか出ていないので、その3人の合否に一喜一憂する以外は、C組・D組・E組という理系クラスの生徒の合否を(割と客観的に)記録していくという作業が続くのです、が、異変はここで起こりました。
 理Ⅰの合否判定で、「Eくん、○」「Fくん、○」「Gくん、○」「Hくん、○」「Iくん、○」……と、読み上げの先生の口から「マル」という言葉しか出てこないのです。途中で全員の脳裏にクエスチョンマークが浮かんだことが部屋の雰囲気から察せられたのですが、最初にはっきり口に出したのは英語科パイセンでした。「なんかマルしか言ってなくない? おかしくない?」

 理Ⅲ受験者が居なかったので、理Ⅰ・理Ⅱの○×をつけたら作業は終わるのですが、いざつけ終わった後でさあ合計を出そうとするまでに妙な間が空いたのを覚えています。以下、会話のみ。
 数「文Ⅰが4人、文Ⅱが5人、文Ⅲが5人、理Ⅰが18人、理Ⅱが4人」
 英「……26人ですね。凄い!」
 皆「「「「「「………………」」」」」」
 数「いや、あの、違う」
 社「36人じゃない?」
 英「は? 何言ってるんですかそんなはずないでしょう。26人ですよ」
 数「いや、36人よ」
 英「36人?……あ、現役と浪人と合わせてですね? それ、凄い!」
 体「現浪で36人、って凄くないですか?」
 社「いやいやいやいやいやいや、現役だけで36人だって」
 英「いやいやいやいやいやいやそんなはずない何かの間違いですって」
 数「いや36だって。文Ⅰが4やろ、文Ⅱが……」
 えっと、これは、英語パイセンをディスってるんじゃないです。私も同じだったから。少なくとも私はこの間フリーズ絶句して一言も口をきけなかったですね。ちょっと俄には信じられないというのを、パイセンは口に出して私は口に出さなかったというだけで、パニックというか混乱というか流石にそれは信じられないだろうというやつだったのは同じで、要するに思考回路はショート寸前。
 何度も何度も数え直して、果たして結果が現役36人、浪人12人、合計48人だと全員が納得した瞬間、漸く主任地理先生が歓びを爆発させました。握手喝采拍手抱擁。因みに、後に更に浪人生の合格が2人判明し、最終的な合格者は全部で50人になっています。
 B組からは、東京は「O中学」からの転勤組Aさん、経済一直線で警備P長のSくん、女子にして数学無双のHさん、という文系3人と、ハシビロコウの寡黙ながら現代文の穎脱が印象的な理系Tくん、という4人が合格。

 B組の東大合格組に御目出度うの電話をかけ終わる頃には、そろそろ京大の合格発表の準備をしなければという時間になっていましたが、東大受験者が少ないB組を除く別の4クラスの担任の先生方はとても1時間では御目出度うコールを終えきることが出来ず、私が一足先に進路指導室に向かいながら、140字縛りを己に課しているTwitterで初めて「圧勝」とだけ呟きました。
 京大の発表は受験者が少ないので(身も蓋もない言い方をすれば東大ほどメジャーではないので)集まった教員は多くはなく、それでも「Jくん、○」「Kくん、○」のたびに小さな歓声が沸きます。B組からは、国際言語学五輪日本代表Sくん、兄妹の63回生・67回生で担任を務めたMさん、そして元高1A寮生不思議クンYくんの3人が合格しました。

 へぇ、B組って、東大が4人、京大が3人、九大医学部が5人、全部で12人も居るのか、凄いなぁ……と考えてたら、ふと気づく。あら、67回生って、前期でどんだけ合格してんのかしら?
 東大36人、京大8人、国公立医学部30人……ごごご、合計74人っ!? 後期で医学部が増えたら、この3つだけで80人とか行っちゃうのっ!? ここ、どこの高校だよ!? 勿論、私大に進学する人もいますし、国公立の非医学部に進学する人もいます。あぁ、これ、全部合わせたら100人なんて簡単に超えちゃいますね。私、F校はずっと「半分(67回生なら202人中101人)が浪人する学校」だと思ってたんですけど、それって古かったんですかね。
 全部数えたら、B組、前期終了時点で41人中23人が大学進学を確定させていました。63回生A組の担任時には、43人の卒業生に対して現役で大学に進学したのは20人を下回っています。

 歓びを爆発させながら凱旋してきた生徒に声をかけたり、発表直後からガシガシと添削を始めた後期小論文を返しながら受験生とやり取りしたり、表情を作るのが難しいですが今日はそんな日だと始めから解っています。
 16時に一旦自宅に帰り、今日は母君にもお祝い気分のお裾分けでお寿司の出前で夕食。自宅を出て17時に市内の某ホテル、今日は「F校のいちばん長い日」であるところの3月10日恒例、入試慰労会(担任団や授業担当者を慰労しつつ、来年度への決意を誓う学校の公式行事)です。今年は流石に祝勝会と言って過言ではない。40人を上回る参加者は盛り上がりに盛り上がり、二次会は私が予約して20人超で市内の居酒屋「K」にて更に飲み放題。更に更に三次会は私が予約して10人超で「K」から徒歩3分のイタリアン「C」。ただ、3月1日の夜と同じですが、私は参加者を全員お店にご案内した後、一足お先に自宅へ戻らせて貰いました。明日の母君の朝食準備がありますし(主婦か)、午前中には学校で後期小論文の添削面談があります(教師か)。

 タクシーの座席。独りになったら頭が冷えます。大変な人数を出してしまいました。これは今年だけ? それとも学校自体が変化する兆候?
 1990年、アルバム『天国のドア』で史上初のダブルミリオンセールスを達成したユーミンは、夫の正隆氏と抱き合って震えたといいます。歓びではなく、恐怖で。絶頂期に至ったら後は下るしかない。
 今年の記録は「天国のドア」なんでしょうか。少なくとも、68回生(現高2)の担任団は戦々恐々としておられるはずです。入試の場合、どんな祝勝会でも完全無欠に喜べないのは落ちた人が居るからというのが常ですが、今年の場合はそれに加えて「出過ぎた」というのがあります。私は現高2とは一度も関わったことがないので彼らがどのような力を持っているのか全く知らないのですが、今年の結果が何らかの「圧」になるのは間違いないでしょう。今年だけの結果なのか、その「圧」に耐えた68回生がそれに続く(即ち、中学男女共学と共に学校そのものが変わり始めた最初の年だった)のか。
 あぁ、となったら、新高3、授業に行きたいなぁ……と思ったら、タクシーの運転手さんに「えっ、どこへですか?」と訊かれてしまいました。声に出とるがな。

中で日曜が大好きで 平均点の子どもだい

 昨日は仕方ないとはいえ飲み過ぎ、今朝は6時45分に目が覚め(目覚ましは完全にスルー)、バタバタ7時のお薬・朝食を準備した後で入浴、8時半ギリギリに職員室に飛び込みました。明日10日に東大・京大の合格発表を控えているので「呪い」になる後期添削をしない生徒が多く、今日は添削の仕事がありません。
 B組から九医に合格したTくん(今日の日記を以て67回生もイニシャル解禁にしようかな)が挨拶(凱旋?)に来てくれました。私服でも構わないんですけれども彼は勿論制服。高1Aから3年間担任が替わらないのはちょっと退屈だったかも知れませんが、まぁ「日常性の維持」の人だからよかったのかな、とも。このTくん、卒業式後の謝恩会でお母様とお話をした時、「2月26日に受験が終わった後、浪人が決定した時のためにセンターの勉強を始めている」というのを伺いました。そりゃ通るわ。
 阪大・千葉大・佐賀大・東北大の発表が朝から15時までかけて。途中、昼食を作りに自宅を往復しますが、11時の発表を見て慌てて学校を出て、食事作って慌てて学校に戻って12時の発表を待つ、みたいな慌ただしさです。

 夜は「もりき」に行きました。で、8日の発表(九大他)の前日すら緊張で寝付けなかったわけですから、今夜はそれに輪がかかるのは理の当然なわけでして。どんだけ飲んでも酔えやしねぇ。日本酒をビールみたいな(大袈裟)飲み方して、久しぶりに5000円以上払って帰りました。
 21時にベッドに入って、23時と0時とに目が覚めて。

苦さと歓びを

 外進高1A組で担任を務め、推薦入試で某国立大医学部に合格を決めた女子某さんから、ネクタイを贈られました。合格発表期間は、毎日そのネクタイ(イタリア製!)に国語科恩師先生から戴いたネクタイピンをつけて出勤しています。
 その御利益たるや甚だだったのですが、残念な結果だった生徒も居るので、喜びには常にほろ苦さがついてきますね。

 多くの国公立大学が一斉に合格発表を始める8日。例えば今日は、一橋大学九州大学神戸大学、等々。ここからの合格率は50%を割ることを覚悟(後期合格、若しくは私大選択による進学を合わせて、春から大学生になる現役生が50%を超えれば御の字だという認識)。文字通りの泣き笑いで忙しい一日になるでしょう。夜は、合格発表期恒例、高3担任団有志による中締め慰労会。美味しいお酒になると良いですが……。

 学年主任地理先生が、九州大学の合格発表(受験番号の掲示板貼り出し)を確認する出張に向かわれています。「合格発表の現場に立つとか何年ぶりやろ」と行く前から若干興奮のご様子でした。地理先生は、年若い(私の6歳上)ながら既に生徒指導部長を務められた経験をお持ちで、その間は担任団を離れていた関係もあり、高3の担任団に加わる(入試関係の仕事をする)のが十数年ぶり二度目なのです。新鮮な気分でいらっしゃいましょう。
 後で伺ったら、貼り出し前に67回生の生徒(医学部受験)2人と会って、一緒に掲示板の確認に行かれたそうです。それを聞いたときは反射的に「そいつらが落ちとったらどうすんのさ」と敬語を忘れてツッコんでしまいました。落ちてなかったからまぁよかったんですけれども。

 今朝も職員室で「今日は九医の発表ですね」と言われましたが、63回生の時と違って「九医ではなく九大の発表です」という訂正はしませんでした。前回は文系Aクラスの担任でクラスに九大文系が数名以上居たんですけれども、今回は文理混合Bクラスで、実際ウチのクラスの九大受験者は全員が理系医学部だったからです。我ながら現金なもんです(他のクラスには、九大の非医学部がたくさんいます)。医学部の数ばかりを注視するのも、営業上は仕方ないことではあります。
 で、その九大医学部の数。現役が18人で、浪人が6人、合計25人。合格者は112人なので、5人に1人がF高出身ということになります。凄いですね。女子は現役5人と浪人3人とで合計8人。これは過去最多かな。驚くべきは、高1A(外部中出身)だった女子が2人合格したこと。外進女子の医学部は他に、熊大・長大・鹿大に1人ずつが合格しています。

 九大医学部は、今年からセンター試験の生物必須(理科は3科目が必要)を廃止し、センター・二次の両方で化学・物理だけを選択して受験することを可能にしました。これは恐らく公立優遇(というか私立有利になる制約の撤廃)が目的だったのだと思います。例えばF高なら2年・3年次に「九大医学部センター生物特講」を開いてガシガシ教えてましたが、全ての高校でこのようなことが可能だとは思えません。
 しかし、蓋を開けてみればF高は(過去最多の20人には及びませんでしたが)現役18人の合格を出し、浪人を合わせれば25名。九州南部の某私立高校からの合格者を合わせると112人中45人となる異常事態。
 私「2校で4割て」
 地「嬉しいけど、ちょっとアレだよねぇ」
 私「で、次なる手は面接、と」
 地「面接が入ったら、ウチは不利になるの?」
 私「さあ?」
 来年度から、九医は面接が入るそうです。今年の合格者18人の中に、面接をしたら不適切だと認定される生徒が居るのかどうかは知りませんが(というか、面接がどのように評価・加味されるのかを知りません)、取り敢えずこれから入学する生徒には「ちゃんと勉強してF高のイメージアップに貢献してね」とは言いたい。スプリンクラーみたいにネガキャン撒き散らしてるのも居るみたいですから。

 合格を決めた生徒が凱旋(報告)に来ます。私服率が高いですが、時に制服の子も混じっており。今日は、B組から九大医学部に合格した生徒が2人ご挨拶に。一方教室では後期試験に向けて(小論文その他の)勉強を続けている生徒もおり、この時期は表情の作り方が難しいというのが「高3担任団あるある」です。

 夜は、担任団有志6人で中締め慰労会。会場は英語パイセンの指示で初めて訪れる魚料理「O」。私は幹事の嗜みで20分前に到着し、テーブルに皿を並べ、開始(乾杯)時に逸品とお刺身とがテーブルに並んでいるよう料理を予め注文しておくという気働き(←自分で言いますよ)。何と言っても、6人中最若手ですから。
 今日の合格の仕方なら「祝勝会」と言っても過言ではない(私が最若手という年齢構成の集団とは思えないくらいの分量を飲み食いして、久しぶりに会計が「7通し」とかになりました。一人7000円です)。勿論、後期に挑む生徒も浪人を決めた生徒もおり、歓びにはほろ苦さが混じるというのは冒頭に書いたとおりです。

 昨日の夜は緊張して殆ど寝付けず、1時間おきとかで目が覚めました。だから中締め乾杯の時点でかなり眠たくて(「メガシャキ」飲みました)、会が終わる頃にはおねむMAX状態だったんですけれども、それより歓びが勝るんですねぇ、解散後に一人で文化街に寄ってました。ライブバー「A」で少し飲んで少し歌って帰ったんですけれども、店内での記憶が殆ど残っていません。

空に憧れて 空をかけてゆく

 オツカル様がカラオケで歌うのを何度か聴いたことがあるバンド、sumikaのメンバーにあの「モノマネ王子」が居るということを最近知りました。「雅楽」からの「豆腐屋」、「警視庁24時」のコロサレチャウンデスヨ~やクリ~ムパンッテナニヨ~、が印象的だった高校生。確か、3回程度の出演で学業専念(大学受験?)のために引退したと記憶していますが、音楽的才能(?)が埋もれなかったってことなんでしょうか。

 B組、前期合格者も不合格者も出ています。前期不合格者の中には、既に合格している私大に進学する人、後期受験に挑む人(合格後の進学、浪人の選択は人によりけり)、そのまま浪人を決定する人、等々。浪人を決定した生徒との面談はこちらも辛いけれども本人がなお辛いというのが辛いですね。
 現在、B組は41人中5人が国公立前期発表を終えました。明日8日からは全国の大学が一気に合格発表を行います。例えば九大(F高からは東大の次に受験者数の多い大学)は大学での掲示が11時、ネットでの発表が12時なのですが、学年主任地理先生が現地に出向いて掲示板の画像を進路指導室に送ってくるそうです。同様に現地とネット発表とに時間差のある熊本大学掲示板も、卒業生に頼んで画像が届く予定だとか。それだけが勝負だという訳ではありませんが、九大医学部の合格者数は一つの指標になります。毎年3月8日は、その結果を受けて学年団有志が最初の慰労会(本当の慰労会は3月10日で、8日は所謂「中締め」かな)を行う例が多いかな。明日も6人ほどの有志で開く予定で、店は既に押さえています。

 仕事の中心は後期試験の小論文の添削。ですが、合格発表を翌日に控えた生徒については、全日・当日の後期添削は「呪い」に等しいという理由で添削をストップすることにしています(本人がどうしてもやって欲しいと言えば断ることまではしませんが)。発表の前日に預かった答案は、翌日の発表を受けて不必要になった場合には私が記念に頂戴し、残念ながら必要になった場合は発表直後に添削を始めます。

 向田邦子の『父の詫び状』を少しずつ読み進めてもうすぐ読み終わるんですけれども、ため息つきたくなるくらい巧いですね。そしてこの人の随想、予言なんじゃないかと勘繰りたくなるくらい死を思わせる雰囲気を纏ってますね。

捨てた夢 駱駝が食べる 無駄なこと 何にも無いね

 昨日、副担任数学先生と、高3の授業がつくづく楽しいという話をしました。数学先生は基本的に高2~高3をず~っと回っておられ、これは私からしたら夢のような待遇です。大学入試の過去問を解いたり解説したりするのって本当に面白いですし、高3ともなれば生徒も本気で書いてくるから答案の読み応えもあって添削の甲斐があるし。勿論、中学の授業(F校では中1~中2)、高校の授業(中3~高2)もそれぞれの極意や楽しみがあるのでしょうが、個人的な嗜好(指向)ではもう絶対高3。
 最初に高3を担当したのは56回生(私27歳、若い!)で、この時には物量・内容ともに私のキャパを完全にオーバーしていたために無我夢中の空回り、国語科恩師先生の支えと生徒の我慢とで何とか崩壊を食い止めていたというのが実情でした。転機はその翌年。57回生高3の現代文は別の先生がご担当だったのですが、特講の日程の都合から京大現代文だけは別の教員が持たざるを得ない事態になり、ならば前年の資料が使える池ノ都がやれ、ということになったんですね。で、その京大志望者の力量が凄まじかった。20人にも満たない小さな集団ではありましたが、その知性の密度たるや。医学部に現役で合格した3人を中心に、毎回書いてくる答案書いてくる答案の精度と個性とは眩しいくらいで、添削以前に読んでるだけでこっちの頭を良くしてくれるんじゃないかというレベルの記述がどんどん出てくるんですね。私が担当した国語の範囲内で、あれより凄い集団はまだ見ていません(あれの次に凄かったのは、64回生の文系東大コースかな)。あの時の添削は高3現代文の授業を組み立てる(解答例を作る・板書を計画する・解説する・添削する)際のヒントや気づきをバンバン与えてくれました。
 その後、58回生で現代文、59~61回生で漢文、63回生で現代文と漢文と(←これ、今考えたら信じられない)、64回生で現代文、65・66回生で漢文、そして67回生で現代文、と都合11回高3の授業に携わって、面白くなかったことが1回もない。しかも、現代文でも漢文でも、毎年面白さの中身はそれぞれに異なっており飽きることがありません。2020年の大学入試改革でしたっけ、それがどんなものになるのかは知りませんが、それがどんなものになっても、各大学が必要とする学生像を確たる形でイメージしながら問題を作り続けるなら、それに応じて授業を組み立てF高生の力量がそれに応えるというやり取りがつまらないものになることは決してないでしょう。

 67回生A組文系某くんに「日常性の維持が楽しい、ってどういうことですか?」と聞かれました。楽しいに決まってます。「日常性」の中に好きなことしか詰め込んでないんですから。そして、毎日毎日毎月毎月毎年毎年同じことをしてて飽きないのは、同じことを繰り返しながら私自身が日々変わっているからです(成長しているのかも知れませんし、衰えているのかも知れませんし、そこのところは解りませんが)。何しろ、黙って待ってたら、向こうから面白い刺激(新しい入試問題、新しい生徒)が続々とやって来てくれるんです。自分より頭の良い人たちと遊ぶ毎日が楽しくない訳がないですね。受け身最高。その為だったら、「身を切る、身銭を切る、時間を使う」の3点セット(恩師先生の教え)なんて安いもんです。
 何度も書いていますが、私がF校の国語科教師になると決めたのは初めて恩師先生と出会った中1の時です。恩師先生の仰る「日常性の維持」は、確かに中高時代に貫くのは辛い(っつか、つまんない)ことです。今となったらあのカリキュラムは「上げ膳据え膳」のサービスだったと解りますが、中高時代には自分の嫌いな・興味の無い教科科目も(というかそういうものをこそ)「日常性」の中に取り込まないといけないというのは耐え難いことですから。私は寮生だったこともあり生活は正に「日常性の維持」を地で行くものでした。学校生活が就活なのだとはっきり意識していたかどうかは最早覚えていませんが、少なくとも学校からの「覚えめでたく」卒業しなければ就職できないという意識は持っていた私は、F校が要求する「日常性の維持」を割と忠実に守っていたと思います。そして守っていたからこそ、「この『日常性』の中に好きな物だけ詰め込んだら人生バラ色」だということだけは確信しており、大学で色んな物をつまみ食いした結果「中学・高校の現代文より面白いものはない」という結論に至った時には渾身のガッツポーズでした。視野狭窄やっほい、東大までの人バンザイ、って感じ。首尾良くF校国語科に滑り込んだら、恩師先生とお仕事をご一緒した7年間は神様からのプレゼント、それ以降はオマケです。
 本読んでもの書いて授業でくっちゃべって酒飲んで、寝る。これでおぜぜが戴けるなんて、一体世の中はどうなっているんでしょうか。他人事のように心配になってしまいます。いやいやそうは仰っても教員の仕事はお大変で池ノ都先生も色々なご苦労を背負ってお出でなんでしょう? とお優しい声をかけて下さる方もあるやも知れません。でもですね、水を張った筆洗にインク一滴落としても、最後はす~っと透明になっちゃうじゃないですか。もうね、国語の(特に高3の)授業が出来るって楽しみに比べたらですね、校門指導他つまんない雑務を強制されるとか、生徒に舐められる嫌われる批判される弄られるとか、保護者絡みのトラブルとか、まぁ序でに付け加えれば母君のお手伝いとか、そういうのはインク一滴です。

 午前中は、月一の緩和ケア訪問で、F校親玉大学病院のF先生のカウンセリング(?)を受けます。今回は、ちょっと前の救急搬送のことなどもあり、お話が少し長くなりました。昨日の日記に書いた通り、3月末からの上京については母君をご自宅に残してヘルパーさんの派遣に頼ってみようかと考えている旨もF先生にお伝えしました。カウンセリング(?)には、その派遣を担当して下さる方も(Kさんのご紹介で)臨席して下さいました。
 F先生にも、派遣担当の女性にも、母君は「良い息子さんですね」と言われて面映ゆい思いをなさっておいでのご様子。二人で暮らして食事を作るだけで「良い息子」なのかは私には解りかねます。例えば、お風呂にお付き合いすることを「介護」と書いてはいますがそれが本当に「介護」にあたるのかはよく解りません。どこまでやるのが普通なのか、他のご家庭の事情も全く知りません。
 私は、人にされたことを別の人にする、上から貰ったものを下に贈る、という方途でしか人生設計をしたことがありません。例えば、恩師先生がなさっていたお仕事がF校の、というか教師のデフォルトだと思っています。だから私は教師のデフォルトに未だ力及ばずの人間です。母君が仕事をしながら小学生だった私の食事を一から作っておられたのが家族のデフォルトだと思っています。だから、コンビニお惣菜屋行きつけ居酒屋Hさん卒業生保護者と外に頼りっきりの私はそのデフォルトに未だ力及ばずの人間です。そして、母君が中高の私を寮に入れ面倒を「外部委託」したように、いつか私も母君の面倒を「外部委託」しなければならなくなる日が来ることは弁えています。

 国公立大学(前期入試)の合格発表が昨日5日より始まっています。多くの大学が一斉に合格発表を始めるのは8日からなのですが、その前にぼちぼちと。B組は、5日・6日にそれぞれ合格者が出ました。幸先は良いのかな。願っているのは、41人のうちの半分以上が春から大学生になってくれることです。
 午後からの学校では後期の添削をずっと。仕事をしながら考えているのは、どうかこの後期添削が全くの無駄になりますように、という一点だけ。私は「無駄」という言葉を使うことを好みません(というか、嫌悪しています)が、唯一この後期添削をする時だけはその言葉を使うことを自分に許しています。

GoGoGoGoGoooood!!!!!

 2009年のクリスマス、志村正彦の訃報は56回生Oさんからのメールで知ったんだったかなぁ(そろそろ記憶が曖昧です)。絶句しましたね。同じ年で大好きなアーティストでした。当時原稿を打っていた58回生の学年文集に追悼のコメントを載せた覚えがあります。その志村氏フロントのフジファブリックとしてのラストイヤー、2009年のライブ映像が発売になるというニュース。この年は単独ツアーが3種類(内1つはイベントなのかな)も詰め込まれていました。どれが観られるんでしょう。

 足の捌きをすっかり思い出された様子の母君ですが、身体がど忘れした原因が病院暮らしのストレスだとするならば、これは手を打たなければなりません。上京を控えるという方向の親孝行は全く考えておりませんので(こっちのストレスも溜めるべきではありませんからね)、私がバンバン家を空けるという前提で且つ母君が病院・介護施設に滞在しなくて済む方法。要は、4泊5日だけ母君にお一人で家に居ていただき、お食事とお薬の管理とを外部委託する作戦です(食事を作る以外の家事は母君お一人でこなせます)。
 母君の担当であるところのケアマネージャーK氏と電話で相談した結果、明日母君が大学病院の緩和ケアに通院するその場に、派遣会社の方を寄越して下さることになりました。仕事が早い。母君も常々「入院は嫌、自宅の方が良い」と仰るので、その意に沿った解決策が巧く見つかれば最高なのですが。

 ご高齢のお母様がご実家でお一人暮らしだという「もりき」マスターは、何かあった時(転倒とか意識消失とか)のことを考えて(本人の意に反してでも)病院・介護施設に預けた方が良いという意見。流石は昭和の男、パターナリズムってやつですかね。取り敢えずは「実験」(←言葉が悪い)してみようかな、というのが私のノリで、取り返しがつかないことが起こったらその時に考えよう、という態度です。ステージ4の末期癌、なさりたいようにしていただくのが良いのでは、と(したら、こっちも心置きなく存分に東京で遊べますしぃ)。

便りのないのが良い便り どこかで会うかも

 嬢「あら、先生、お昼に年休ですか?」
 私「はい、チケットショップが開いてるうちに、卒業式関係で貰った商品券を現金化して本と酒との代に充てようかと」
 嬢「とても教育者と思えないような嫌らしさですね」
 私「キ~ンケ~ンカ~ンキ~ン♪ キ~ンケ~ンカ~ンキ~ン♪」
 嬢「チャイムみたいに言ってもダメですから」

 母君の朝食はリクエストで雑炊。学校に向かう前に浅蜊の砂抜きの準備をしてこれはお昼・夜の味噌汁に。学校では後期添削を中心に仕事をして今日は長崎大~産業医大~鹿児島大。
 夜は居酒屋「A」で読書独酌。看板娘(?)のマスターのお嬢さん、まだ1歳とちょっとなのですがママに手伝って貰ってお皿やコップのお運び、それを観た常連さんが「まぁ~、ちゅごいね~」と可愛がっておられるのですが、私はそんなことよりもこのお嬢さんが一人iPadYouTubeを漁り倒している方に驚愕します。

 Jam『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』読了、★★★。まぁ、正論。実生活では(特に私の場合仕事では)難しいかも知れませんが、少なくともオンラインでは「優しい無視」を基本に置きたいですね。