反歴史論

 ゆんべはかなりお酒を聞こし召したんですけど、今日は授業がないっていう安心感ね。ゆっくり出勤して、最終時限の学年集会で話す内容を考えたり、定期テストの各科目講評を纏めて学年通信の原稿を作ったり、デスクワークをのんびりとこなす。

 さて、この文章を書いているのは2014年3月16日で、以下に登場する卒業生氏はこないだ東大にきっちりと合格しましたので、安心して書けるんですけれども。
 東大文系を目指す浪人生某氏、現代文過去問の添削を定期的にやり取りしていたのですが、今回は直接学校に答案を持ってきて、目の前で添削・解説して欲しい、と。おおっ、それはいい根性ですね。貴君の解答に瑕疵があったとして、それを目の前でバッサリ斬られた挙げ句に書き方考え方の足りていないところを面前宣告されたいというのですから。と、いうわけでリクエストにお答えする。現役生(高3)なら多少の優しさを見せることもあるかも知れませんが、浪人生(卒業生)には多少以上厳しくしても全く問題はありません。で、問一からダメ~。
 私「本文の『A、B、C、D、E、F』例示6つを解答に纏める際、その性質を一般化した語、例えば『X』とかを用いず、『AやE』と書いてるけど、理由は?」
 卒「……何となく」
 私「何となくレベルで解答を書いて本質をつける筈はないよね。えっと、『A』も『E』も字面にインパクトがあるから選んだってことだと思うんだけど、きみがやったのは『抽出』であって『抽象』ではない。この差を考えて下さい。理解出来ないんだったら、現代文の得点は遠いかな」
 真面目に解答を考えて書いてる誠実さはあるから言われたことをきちんと咀嚼しようとするだろうし、模試の得点や判定やを見る限り仮に現代文が出来るようにならなくても多分通るとは思ったから、割とはっきり斬ってみました。そういう考え方が出来るか出来ないかってのは、東大現代文で云々っつーよりも、どっちかと言えば入学してから学内の友人と遊んだり勉強したりするときに活きるんですけどね。
 さて、3月16日の立場で書きますと、この卒業生氏、センター試験後に答案が化けました。読解は出来てたり出来てなかったりするんですけど、思考枠が拡がったというか、ものの考え方が一段高次になったなぁ、という感じ。センターという「本番」を経た人間の強さなんでしょうか。あぁ、出来る人になったなぁ、と思いながら添削しました。
 英数とか理社とかの先生は、彼は通る、彼は通らないだろう、という予測を大体当てるんですけれども、国語は、っつーか私は予測を外す(というか、予測出来ない)んですね。答案を見ても、国語が出来る出来ないかってだけでは入試の結果に直結はしないから。でもですね、現代文答案を添削したら、その人が然るべき大学に入ってからそこを楽しめるか楽しめないかっていうのはほぼ想像がつきます。