ああやだ私の中の誰かが

 ここしばらく、お生徒さんたちが書いた文章を中心に文字には大量に触れているのに読了本がほとんど増えないのは、行事が立て込んでいるのを差っ引いても国語教師として駄目。本を読まない国語教師は、本当に駄目です(異論反論はどうぞご自由に)。
 今日はもちろん、東大現代文の問題とにらめっこ。先日、蜂飼耳の第4問(文系)が良問だと書きましたが、一転第1問(文理共通)の方はどうも感心できません(来年度・再来年度……とこの先の出題志向からフィードバックした時に、新しい光が当たる可能性は否定しませんが)。感心できないというのは問題の作りであって、本文自体に難癖をつけているのではないので悪しからず。

 さて、山本夏彦のコラム集(『良心的』)を読みながら。
 「何用あって月世界へ」のタイトルの後に、「月は眺めるものである」と続く切れ味の凄まじさはもう様々な人が言い立てているでしょうけど、翁の文章はそれを使って極々まれに大笑いさせてくれることがあり。今回は、「ついに一条の線と化す」というタイトルの後に、「はじめレオタードいまハイレグという水着のたぐいが流行している」と来た。バス内で恥をかきました。
 翁ですら事実を間違えることはある。体罰についてのコラムで「暴力は公立にあって私立にない」の言。これは端的に嘘です。F校だって、昭和の時代は横行してたはずです。私が入学した平成1ケタの時代にもその残滓はありました。私も、6年間で2回殴られたことがあります。あんまり嫌だったんで、どちらも殴られた相手も理由も覚えています。F校共学化の影響でそれが一掃されるのでしょうか。「教師が暴力をふるうのは生徒が暴力をふるう学校に多い」という翁の言は、外れてはいないかも知れませんが言い尽くされてはいません。「生徒が教師よりも賢い学校」にも多いのです。この手の学校の教師は、手を出したくなかったら勉強する他ありません。