不真面目 No Serious

 終日学年会議。来年度の年間の予定表を確認する。センター試験まで10ヶ月、二次試験まで11ヶ月。何と言いますか、入試まであっと言う間なんですね。
 この間、F校から東京芸大に進んだ58回生某嬢に学校に来て戴いて、ウチのクラスの芸大志望の生徒とお話しをしてもらいました(有り難うございました)。「礼儀正しくて良い子、頑張って欲しいです!」という温かいメッセージは、確かに本人に届けました。

 「男く祭」の講演P長(「P」というのはプロジェクトのことです)であるウチのクラスの生徒から、「講演だより」に寄稿を依頼される。国語科4人に頼む、とのこと。他に依頼するという3先生のお名前を伺うと「おお、正統派!」というメンバーだったので、私は他の先生方と内容が被らないであろう文章をその場で書き上げました。以下、引用。

 【内田樹氏の文章は、中学・高校・大学問わず入試問題やその模擬試験としてよく使われます(私も一度、高3向けの校内模試の本文で使ったことがあります)。その理由を作問者に尋ねたら、「読みやすく且つ諸現象の核心を鋭く突く文章を読み、受験生に深く考えて欲しい」という極めて教育者らしい答えが返ってくるでしょう。しかし、こっそり暴露すると最も大きな理由は別の所にあって、それは実は「内田氏の文章は問題が作り易くて楽だから」という極めて人間らしいものなのです。
 世の中は「負けるが勝ち」的な逆説に充ち満ちており、この「B故に、Aは非A」である(例:日本人の判官贔屓の心性から、強者は強者であることを理由に人々に嫌悪され、強者に立ち向かう弱者はその敗北を美学として称賛される故に、弱者は喧嘩に負けても社会的には勝つ)という逆説の論理は、現代文の問題として問うと受験者の文脈構造・本文内容の理解の程度の差が如実に現れるので、本分における逆説には必ず傍線が引かれます。やや乱暴に言っていいならば、試験の本文を探す作問者は、文章のどこかに逆説的構造がないかを探しているのです。
 先に内田氏の文章は「諸現象の核心を鋭く突く」と書きましたが、「諸現象の核心」に共通する特徴を一言で抽象すれば、大体「これまで僕たちが薄ぼんやり考えてた以上に世の中の物事って複雑だったんだね、逆説的だね、びっくりだね」ということになります。で、内田氏は読者がそれにきちんと「びっくり」してくれるように、世の逆説的事象について解説した最もキーとなるポイントに傍点を振ってくれる書き手なのです。
 逆説に傍線を引こうと構えている作問者が、逆説に傍点が始めから振ってある文章に引き寄せられるのは理の当然と言って良いでしょう。だから、「内田氏の文章は問題を作り易くて楽」どころの話ではなく、「内田氏の文章は始めから問題になっているからコピペでオッケー」というのが本音だということです。
 内田氏の文章は確かに「読みやすく且つ諸現象の核心を鋭く突く文章」で、是非受験生に読んで欲しい。しかし、「受験生に深く考えて欲しい」と口にする、その「当の教員が何も考えずに本文を読んでいる」などということ(ここ、内田氏に傍点を振られてしまう!)にならぬよう、作問者は工夫して問題・解答を考える必要があります(この「工夫」の仕方は教員個々人により差はありましょうが)。いくら入試では模範解答を示さなくても良いからと言って、教員・出題者側が昨今話題のコピペ問題・解答を作っているようではその学校の未来はないからです。
 内田氏講演に託けて、自戒の言葉を書いてみました。】

 さすがに、他の人とは被らないと思うけど……ま、いっか。質の高いのは他の先生方に任せとこ。