積もる雪も翼に変え 貴方の肩を 温めよう

    終日年休。5時に起きて入浴、(夕方にふらっと学校に行きたくなるかも知れないので念のために)背広に着替えて、新幹線で小倉へ。本日、小倉の病院にて母君の手術に立会い。

 11年前に母君が子宮筋腫の手術をした時、私は唯一の家族として術後の説明を聞かされ、取り出した臓器を見せられました。その時は、どが付くような親不孝ですけれども真っ先に「この中に、僕、入ってたのかぁ」という感想が浮かんだものです。さて、今回はどうなることやら。

 手術開始の1時間前に母君の病室に入り、ぽつ、ぽつ、と手術に向かう前の恐怖と覚悟とについてお話しする中で、手術室には歩いて向かうということを教えられる。ストレッチャーで手術室に運ばれていく母君を走って追いかける的な場面を考えてたんですけれども。
 病室まで、母君に合わせてゆっくり歩く。患者以外立ち入り禁止、手術室への厚い扉を潜る母君には、「いってらっしゃいませ」と深々と一例。

 昨日、学校で。
 同僚「お母さんの手術中がいちばん仕事から離れられる時間、って皮肉やね」
 私「まぁ、仕方がないですね」
 今朝、病院で。
 看護師「待合は長時間手持ち無沙汰でしょうが」
 私「家族のことですので」

 母君は全てを医師看護師に任せると仰有いました。私も同意です。となれば待っている途中の私が出来ることはただ一つ、「日常性の維持」、これに尽きます。
 手術室フロアにある家族待合室では見知らぬ人(別の患者のご家族なのでしょう)がテレビを流していてはっきり言って目障り・耳障りです。更にこの部屋にはテーブルもありません。そこで、フロアの看護師さんにお願いして、母君の入院している病室で待たせていただくことにしました。そこにはテレビの邪魔もありませんし、テーブルもあります。緊急の場合には病室に迎えに来ていただくか病院への提出書類に書いてある私の携帯にコールを下さればよい。

 病室のテーブルで、火曜日の東大特講(理系漢文)の添削をガシガシと。教材は06年の東大漢文で、「応声虫」という寄生虫を薬で退治する話。主語と述語の係り受けがねじれている非文(文法ミスを含む文)があれば「主述をきちんと」とアドバイスしたり、治療法についての傍線部に内容解釈ミスがあれば「正しい治療法で」と書いたり、祈りのような遊びを手が勝手にしてしまうんですね。添削答案の平均点は30点中17.3点で6割弱、やや良。2時間ちょっとの添削が終わったら、後は本当に待つだけです。
 途中、私の様子を見に来て下さったHさんに昼食(軽食)の差し入れをいただきましたが、流石にそれを食べる気はしませんでした(コーヒーだけいただきました)。私の「日常性の維持」には仕事をすることは含まれていても、食事については含まれていないのですね。

 手術にかかる予定時間をだいぶ過ぎてから、看護師の方に呼び出されました。最初の30分くらいは、手術開始後に実際に肺を見た時の状況によっては肺の切除を(つまり手術を)中止する可能性もあると聞かされていたので、呼びに来るな呼びに来るなと念じ(ながら添削し)てたんですけれども、手術にかかるだろうと言われた時間を過ぎてもいつまでも呼び出しがないと、今度は逆に早く来いよ早く来いよと心配になる訳でして。

 呼び出されて先程は入れなかった重い扉の向こうへ行く。手術着の科長先生による説明。手術は多少時間がかかったけれども成功、出血の量も少なく済んだ、との言葉に安堵。手術時にカメラが捉えた体内の様子(患部であるところの右肺上葉以外の臓器が無事であるということ)を見せられ説明を受け、その後(11年前と同様に)今し方取り出した右肺上葉を見せられる。半分に割った枝豆の形をした例のトレイに、でっかい赤い風船が萎んでるみたいなのがべろ~んと広がっている。こんなに大きいものがたった4センチの切れ目から引きずり出されるの? と驚いた私の顔を見て、予想通りの反応なんでしょう、科長先生は「空気を抜きますから、4センチの裂け目からでも取り出せます。勿論、大変な作業ですが」と仰有る。で、その風船の一部をでっかいピンセットみたいなのでグリグリやりながら、「ここの固い部分が癌です。触ってみますか?」「いえ、結構です」

 さて、次の説明が大切になるわけですが。実際に(身体を)開いて検査をしたら、リンパ節への転移は疑えないだろうとのお話。手術後のこのタイミングで断定する訳ね臓器見たショックついでみたいなものなのかね、なんてぼんやり考える私へ先生の曰く「この後は、小脳への転移の治療も行います」と。「あぁ、やっぱり転移だったんですね」「九分九厘間違いありません」
 凄いですよねぇ、と感心。小脳が転移だったら手術はしないと仰有って、恐らく転移であることは分かっていたんでしょうがそれを裏付ける証拠がない(PETがそう言わない)から手術は行う、でもって身体を開いたら(実際に両の眼で見たら)リンパ節への転移が疑えず小脳も「九分九厘」転移だろう、という流れ。手術をすることとしないこととの差(善し悪し)については全く分からないのですが、少なくともするかしないかは紙一重の差で決まるんだなぁ、と。
 諸々の説明の後、「あの……」と先生に聞きかけて、「何でしょうか?」の言に「いえ、良いです」とひるむ。ここで聞くことじゃない。

 つまり、ステージはⅣ。今回の母君の件が長い勝負になるなら、K市に呼ぶ。これは前から決めていたことです。自分が働いている大学(F校はとある私大の一部機関なのですね)の病院でお世話になれるようお願いしよう。

 手術室からはストレッチ(というか動くベッド)に乗せられて出て来ました(そらそうだわ歩けるわきゃない)。ですが、家族が走って追いかけるような場面じゃない。ベッドは母君に少しの刺激も与えないように慎重に慎重に動かされる、エレベータに乗せられる、ナースステーション横の特別室に入れられる。私もそれにゆっくりゆっくりとついて行ったんですがその間中母君は寒い寒いとガクガク震えておられます。麻酔で寝てるものだとばかり思ってたのですが、起きて震えている姿はそれは痛々しく。「辛いよねぇ」との私の言に母君「それは辛いに決まってるでしょう」と消え入りそうな声。
 特別室、学校の教室よりちょっと狭いくらいの部屋に、母君のベッド一つ。体中から管は出てる(管の中に体内からの出血が見える)、寒さでずっと震えているというか痙攣している(実際に、体温は34度台だったそうで)、みたいな病人を一人残して帰ることなど出来るはずもなく、痛い寒い辛いと繰り返す病人の顔をじっと見ながら座っている。手術中はずっと横向きの体勢だった(脇の下の切れ目から肺を取り出すため)こともあって、体の節々が固まって痛いそうなのです。「眠れたら楽だろうにねぇ」と同情の言が聞こえているのか居ないのかは分かりません。大体、これだけ震えてりゃ寝るどころじゃないよね、と暖房をガンガン。私の方はスーツを脱いでも汗です。

 母君が落ち着くまでは1時間半以上かかりましたが、「池ノ都くん(←二人称)、学校に戻らないといけないんでしょう?」という許可を合図にK市に戻ることに。手術室入りは10時で、この時点で17時。「明日、また御見舞に伺います。その時には今より大分元気で楽になっているでしょうから」と、これは誰に向けて言っている台詞なのか。

 新幹線で小倉からK市、タクシーで学校入り。下校時刻は過ぎていますが、高3は教室で居残り自習中。Hさんから昼食にいただいて食べなかった軽食やコンビニ弁当は、生徒の夜食になりました。
 「もりき」で湯豆腐を食べて、帰宅。明日も小倉に見舞いに向かいますが、私の私生活にもちょっとしたイベントを起こす日です。就職のために今のアパートに引っ越してきて11年弱になりますが、その間のイベントとしては間違いなく最大規模のものですね。