母さんどうして 育てたものまで

 K市での11年間の人生で、最大規模のイベントについて、長いお話を。

 東京での大学時代から、仕送りやバイト代やで好きな本を買い漁り始め、就職してK市に引っ越してきた時点で、押し入れはほぼ本でいっぱいになっていました。その後、自分の給料からの母君への仕送りが「安月給が自惚れるな」と拒否されたのをいいことに、誰を養うでもない独りの生活の中で完全なる本道楽に耽り込んでいくことになります。「道楽」と言っても、本を読まない買わない国語教師など論外ですから(誰であっても異論は認めません)、それまでは純粋に自分の趣味のためであった読書に、「仕事に活かす」(例えば入試・模試に使ったり、生徒への授業資料として配付したりすることを目的の一部にして本を購入する等)という不純な動機が入ってきたのは書いておかなくてはなりません。
 具体的には、月10万(ボーナス込みで年間150万)を本代に充てることを自らに認め、実際に常にそれをオーバーするかしないかギリギリの所で生きてきました。就職して11年間で、本代には1500~1600万円程度使っています。

 本は場所を取ります。引っ越し前の荷物で押し入れがいっぱいになった時点から既に本棚に頼る無意味は心得ておりましたので、私は本を形状・ジャンルの種類毎に分類し、この本はこのエリアこの本はこのエリア、と床に直接積み上げて行くようにしていました。11年経った現在、私の家の床には、①玄関から風呂場・トイレのドアまで、②玄関から居間の座椅子まで、③玄関から寝室のベッドまで、という3本の幅50cmの道以外に足の踏み場はありません。全て本を積んでいるからです。その高さも、11年経った現在では私の膝より少し高い辺りまでになっています。

 就職時、私はその後の人生において仕事と趣味とに没頭するために、絶対に自炊をしないということを決めました。外食は金がかかるだろうと思われるでしょうし実際にそうなのですが、私は朝食・昼食を取らずに夕食しか食べない一日一食の人間なので、多少夕食が高くなっても問題が無いのです。自炊を徹底的に排するために、我が家には(飲み物を保存するための)冷蔵庫は置きましたが、鍋釜コンロはおろか箸皿コップの類もありません。どこが本の話だと思われるかもしれませんがこれは本道楽にとって大切な条件で、台所の食器調味料の収納棚、そしてガスコンロの設置台、それからシンクの全てが生活に不要なのでそこを本棚に出来るという利点があるのです。シンクは水道の蛇口を外して本を積み上げました。

 私は流行には遅れて乗るということを自訓にしている人間なのですが、就職後に2つだけ飛びついた流行があり、それが東北大震災の後の「募金ブーム」と「節電ブーム」でした。「募金ブーム」の方は、銀行で手続きをして毎月収入の1割が某募金口座に振り込まれるようにし、それを短い間だけ続けました(1年続いたか続かなかったかだったかな、飽きっぽくて駄目ですね)。
 もう一つの「節電ブーム」の方は3年半を超えた今になっても続けています。具体的には、居間と寝室に設置していた冷暖房を使わないようにしたのです。誘惑に負けると嫌なので、両方ともリモコンを廃棄してしまったため、使いたくなってももう使えない状態です。当然ですが扇風機も電気ストーブもありませんので、それ以来我が家には冷暖房器具一切無し、夏の夜が暑ければ窓を開け、冬の夜が寒ければ重ね着毛布、という生活です。年に一度か二度ほど風邪を引くのですが、その時だけは市内のホテルでガンガンに暖房をかけて宿泊します。汗をかいたら一晩で熱は下がりますので、仕事の病欠はありません。
 その後、テレビが地デジに移行した時にそちらからも降りることにし、現在は我が家のテレビは映りません。地デジ難民です。ビデオデッキが壊れたのも買い換えることをしませんでした。CDは移動中のウォークマンでしか聴かないのでコンポは長年埃を被り、DVDもパソコンで観るだけです。

 就職後5年経った時に、ある時突然5㎏も太ってしまったことがあり(理由は分かりません)、その日以来自転車をやめて歩くことにしました。自転車の鍵を飲み友達のHさんに預け、半年ほどで体重は戻りましたが現在も自転車は使っていません。

 母君が癌の宣告を受けた、というのは私にとってとてもショッキングな出来事でした。そして、その後、それと同様にショッキングな事件が起こったのです。母君の一言、「もしも治療が長引いたり、近くか遠くかの将来にK市でお世話になることがあったら、池ノ都くん(←二人称)の家でお世話になることもあるかも知れないのね」
 これは驚愕、私、その言葉に血の気が引く思いをしました。ここまでダラダラと書いてきた内容からお解りかと思いますが、私の家には、私の愛する垂乳根の母君を収納するスペースが無く、私の愛する垂乳根の母君が快適に暮らせるための製品が無いのです!

 先ずは、母君の収納スペースを作らなければならない。その為には、本を処分しなければならない。それしか、母君の収納スペースをこの家の中に生み出す方途はない。最初に考えついたのはこれでした。
 そこで私は、大学時代から集めた計2000万円分の本の中から、厳選に厳選を重ねて、①今後再読する、②今後F校での国語的な仕事に使う、③書籍として価値がある、という条件に合う書物、約300万円分を選び出しました。そしてそれらを少しずつ少しずつ、学校の国語科・職員室に運び込んで行ったのです。
 その後、家に残された1700万円分の本は、恐らく再読をせず、仕事にも使わず、そして買い直そうと思えば出来ないこともないものばかりです。これを全て捨てよう、私はそう決めました。これまでの人生で一度購入した本を売るということをしたことがありませんが、母君の病気という一大事に合わせて一度生活をリセットしてみよう、というこれは私にとって一大決心です。

 そして、買い取り力(本の価値判断的にではなくて、機動力的な意味での「力」)が高そうな某古書店に電話して1700万円分だと依頼し、初めは言い間違いだと聞き返され次に悪戯だと疑われ最後に本当だと納得してもらった上でそれならば物理的に買い取り不可能、と電話を切られた後で、私は途方に暮れてしまったのです。
 計画、初手から頓挫しとるがな。

 古書店から買い取れないと言われた、この床一面を埋め尽くす本の海。機動力なら引っ越し業者ですが、それに依頼するのは無意味です。だって、引っ越し業者は物を左から右に移動させるのが仕事でその「右」に相当する部分を私は持たないのですから。この本の海って、若しかしたら。
 現代文の教師です、授業で例えば岩井克人さんの文章なぞ扱えば、「紙幣そのものは単なる無価値な紙切れだぜへへへい」みたいなことを嘯いたりすることもあります。しかしそれが、まさか読まない運べない本にも該当する事実だとは思ってもみませんでした。読まない運べない本の海って、これ、ゴミっ溜めだわ。腐海の真ん中に立ちすくむ私。

 何か方法はないか、と半日熟考しました。そして、考え疲れた余りに「まだピンピン働いてる内になんでこんなことを考えなかんねん普通こんなん考えんのは死ぬときやろがい」と逆ギレしかけた時、頭に「遺品整理屋」の文字が浮かんだのです。そうか、「遺品整理屋」ならこれを処分してくれるかも。
 核家族化・高齢化が進み「孤独死」が社会問題になっている現代、故人の部屋の片づけ、清掃、不要品の処分という遺品整理を遺族の代わりに行う「遺品整理屋」が社会的に注目を浴びているというのはご承知の通り。でもって、一回人生をリセットする、比喩的な孤独死をする私なのですから、「遺品整理屋」に頼むのは筋目が合っているのではないか、と思いついたのですね。

 でもって、どうせ頼むなら本だけでは勿体ない。使わない電化製品等も全て処分すればいいじゃないか、とも考えは進む。クーラーでしょ、自転車でしょ、テレビでしょ、ビデオでしょ、コンポでしょ。更に更に、これは母君との同居(少なくとも、母君の短期滞在)を前提にしている話なんだから、一人用の冷蔵庫も買い換えた方がいいよね、じゃあ冷蔵庫も処分しちゃえ、と。したら最近調子の悪い洗濯機も買い換えた方がいいかな折角の機会だしじゃああれも処分、と捨てる物はどんどん増えていく。そうだ、ベッド、あれ捨てよう。母君は布団派だから私の分と母君の分と布団を買えば良いね。あらでも布団を入れる押し入れは本でいっぱいだわどうしましょう、ってその本を処分するところからスタートしてる話なんだから余裕余裕おほほのほ。

 断捨離妄想のエクスタシーに浸りながら電話。話はみるみる進みます。1700万円分の本、はいはい。使わない冷暖房2台、はいはい。自転車、はいはい。ベッド、はいはい。テレビにビデオにコンポに冷蔵庫に洗濯機、はいはい。と整理業者さんたら慣れた様子で「諸々捨てるなら2トントラックを2台派遣しまして……そうですね、廃棄とその後の清掃まで含めて、120万円で如何でしょう?」

 即決。業界の相場は知らないけれども、こういうのは迷ったら逆効果。もっと安い会社安い会社と金に執着している内に、そもそも物を捨てることが勿体ないのではという疑念が沸き起こってくるに決まってます。
 と言うわけで、舎畜生活11年、小市民教員のささやかな人生における最大規模のイベント、「1500万の財産処分に100万払う」祭り、10月30日に開催決定です!

 ……っつっても、その祭り自体からは私は疎外されてる訳で。物を運び出す、清掃をする、プロが6人来て下さるそうなんですけれども、私にはそのプロの作業をお手伝いする力量技術なぞ無く、午前9時から午後15時まで6時間かかるその作業を横でぼ~~~っと突っ立って観てても邪魔なだけでして。ですので、御者の方曰く、「私どもに鍵をお預け下されば、お客様は普段通りお仕事をなさって結構ですよ。お戻りになった時には、アパートの中はすっからかんですから」

 というわけで、5時起きで部屋の本のチェック。捨てずに取っておくべき本の取りこぼしはないかというのを3時間かけて。10冊ほどの本をピックアップし、ベランダに置く。ベランダに置いてあるものは捨てない、という約束なのですが、そこに置いてあるのは、テーブルが2つ、椅子が1つ、段ボール3箱分の本とCD、旅行用のキャリーバッグ(中に電動髭剃り・携帯充電器・ノートパソコン)だけです。これが、今日の午後に帰ってきたときに家の中にある荷物の全て。
 あ、衣服ですね。衣服も序でに大量に捨ててもらうんですけれども、捨てない服は全てクリーニングに出してしまって、現在自宅の中には御座いません。下着類はこのお祭りの後全て買い直します(捨てずに取っておくのは、生徒が作ったクラスTシャツだけです)。

 8時過ぎにやってこられた業者の方に鍵をお預けして、学校に出かけて添削を少し。今日と明日は生徒はセンター模試で、私は母君の見舞いを理由に監督を外してもらっています(夕方16時までに学校に戻って、第3回校内模試の成績検討会議に出席する必要はありますが)。

 昼前に学校を出て、JRのK駅、新幹線で小倉、タクシーで昼過ぎに病院に到着。母君は未だナースステーション横の特別室に一人、取り付けられているチューブも点滴も変わっていませんが、顔色は大分良く声もよく出る。まだベッドから起き上がることは出来ませんが、何とか明日には(予定よりも一日早く)病室に戻れるように先生にお願いする、と張り切っています。そういう風に仰有るということは、そういう風にするということでしょう(そういうお方です)。元気を出す(出そうとする)のは悪いことでは無い。昨日の朝、手術室に入ってから麻酔で意識を失うまでの行動を細かに伺いました。手術室内の看護師は病室担当と違ってエリート感に溢れてた、ってのをやたら強調するのは何かの不満の表明なのでしょうかね。食事も普通に取れるようになったということで(元々三食食べる方ではなかったのですが、今は薬と思って我慢をなさっているそう)、術後の経過は悪くないという看護師さんの台詞に安心する。

 余りに長く話にお付き合いいただくと体に障るかも知れませんので、1時間半ほどお話をしてから辞去。新幹線でK市に向かいます。小倉駅内のCDショップで中島みゆきさんの新しいライブアルバム『中島みゆき「縁会」2012~2013 LIVE SELECTION』を購入。ライブで聴いて鳥肌が立った「NIGHT WING」セルフカバーのがなり声がたまりません(きっと後日発売のDVDでは、あの「ニコニコがなり」がふんだんに味わえることでしょう)。

 JRからタクシーで自宅へ。外のガスメーターの上にこっそり置いておいてもらった鍵を取り、アパートのドアを開けた、ら。
 「うおっ、凄ぇ!」という私の言が「げぇ、げぇ、げぇ……」と若干反響して聞こえたような気さえするがらんどう、引っ越し当初だ。家の中に何も無い。ベランダに置いてあった机2つを室内に設置し、段ボール3箱とキャリーバッグとを押し入れにしまったら、アパートの中には他に何も無いのです。本の腐海は全て取り除かれ、私不在の家の中で開催された「祭りのあと」、久しぶりにフローリングの床や畳やを眼にして灌漑一入……に浸る暇無く、再びタクシーで学校へ移動。

 学校では、夕方から夜遅くまで、先日の第3回校内模試の成績検討会議。職員全員が集まる全体会では各出題者ごとの講評を聞き、高3担当教員だけによる検討会では各人の成績傾向と今後の指導方針を話し合う。第3回からは、二次不要の科目(例えば、京都大学受験者の漢文など)は不受験でよいので、より志望大学・学部に即した細やかな検討が出来るようになるのですね。自分のクラスの生徒が誰から何と言われるのか、緊張しながら4時間ほど。

 「もりき」で湯豆腐を食した後、帰り道の途中でディスカウントストアに寄り、座椅子と布団一式とを購入する。あのがらんどうは全部夢で、再びドアを開けたら本の腐海が広がって、なんてことはなくやっぱり何も無い家。そういえば、外から見られて困る物もなくなるから、家中のカーテンも外して捨ててもらっていたんでした。天井からつり下げた蛍光灯以外何も無い畳の部屋に布団だけを敷き、眠る。

 眠りながら初めて気づいたこと。これまで私、冷暖房無しの家の中で暑い寒いに関して耐えられないと思ったことは一度もありませんでした(ごく希な病気の時以外)。そのことで、ちょっと体力や忍耐力やがあるんじゃないかと若干自惚れている面もありました。けれども、物の無い部屋で電気を消して布団を被った時、初めて「あ、ちょっと寒いな」と思ったのです。
 理由はちょっと考えたら分かりました。これまでは本が、ベッドの周りでベッドよりも高く積み上げられていた本が、熱を保って風を防いで、私に寒さを感じさせないようにしてくれていたんですね。明日、毛布をもう一枚買ってこよう。

 本の無い(=物の無い)自宅生活、開始です。