不思議の国のペニス

 6時半に起床、母君の朝食と朝のお薬とを準備して、7時から二度寝。9時に入浴、書斎でデスクワーク。昼食の準備をした後、12時過ぎから学校に入り、初回の授業(高1A組古文、高1B~E組古文、高3センター漢文、高3文系二次記述漢文、の計4種類)のプリント準備を。昨日の職員会議が今年度の仕事始めでしたが、生徒が登校する(入学式・始業式)のは8日の月曜日からです。
 夜は二日市「月空」で和牛もものたたきカルパッチョ、からの串物。キープの焼酎を「済みません、息子がこの間F校の友人たちと少し飲んでました」とマスター(63回生Mくんパパ)。じゃあ、新しくキープする瓶には「池ノ都&F校卒業生」とサインです。いつもいつもサービスしてもらってますから、その程度のお返しくらいはね。

 内田良『学校ハラスメント 暴力・セクハラ・部活 なぜ教育は「行き過ぎる」か』読了、★★★。筆者の研究調査分析の言わば「ベスト盤」。行き過ぎる危険は、教育がそもそも「おせっかい」であるという本質(これは肯定的に捉えて良いと思います)上、常に存在するんですね(行き過ぎることが良いと言っている訳ではありません)。そことどう折り合いをつけていくか。職員室内に関して言えば、合わないと判った人とは仕事上の付き合い以外をお互いに避ける「優しい無視」で事足りるけれども、問題は対生徒です(以下、教員と生徒との関係に絞って書きます)。
 例えば、これまで5回(56・58・63・64・67回生)担当した東大現代文特講。週一で2時間の講義(とは言っても、1時間は解答時間、残り1時間が解説)は、プリント準備に3時間かかりますし買い込む資料は全部自費で購入しますし、何より講義終了後にやって来る答案を翌朝返却しようと思ったら夜半に起き出して出勤前に5時間の添削です(翌朝返すという縛りがおかしいというツッコミはなしです。翌日はまた文系二次だ京大だ過去問独学演習だと新しい添削がやって来るのですから、返さなければ溜まる一方なのですね)。高3の担任をやりながら現代文を担当した時は、週100時間+αの労働(場所は学校及び書斎)が基本でした。勿論、膨大な量の演習に追われている生徒(受験生)も過去問を解かせる教員と同じ程度に苦労疲弊している訳ですからこれはお互い様で、私は特に高3秋~冬の教員と生徒との関係(教員→生徒「解けや!」、生徒→教員「添削しろや!」)を「SS(エスエス)」と呼んでいます(羽田圭介による造語です)。背伸びして決めた志望大学の難解きわまる過去問を怒涛のように解かされた挙句添削で「全然違う解ってない!」と指摘されるのは受験生を傷つけますし、右手中指のペン胼胝を噛み千切ってからボールペンを握り直す夜明け前の教員だって確実に傷ついてます。私だけがやってるんじゃない、皆やってる(特に、英数の先生がず~っと添削採点を続けておられる姿は鬼気迫るものがあります)。さて、これを「行き過ぎる」と言うべきか、否か。
 因みに、私が今言いたいことは前述「言うべきか、否か」の結論ではありません。唯一言いたいことは、「子どもの志望校を親が決めない方が良い」ということ。現場からは以上です。