まつげに停まった光が ふるえて 見えない

 公私共々忙しすぎ、本日、同窓同僚先生が体調不良で御欠勤、の結果、先生が担当なさる放課後の理系数学特講が中止。の結果、文理合同で開講の京大現代文特講が文理の時間がずれて合同不可に。の結果、私は14時半~、15時半~、16時半~でそれぞれ1時間ずつ、東大理系現代文、京大理系現代文、京大文系現代文、の解説が必要に(いつもなら東大理系現代文と京大現代文の2回で良いのに)。「リア充爆発欠勤」の命名で生徒爆笑させたんですけど、これでチャラね。

 という訳で、5時入りの職員室でデスクワーク。授業は2コマで、合間にはその授業で行ったセンターの採点をしたり、翌週月曜の授業・特講のプリント準備(印刷)をしたり。
 前述の特講3連打の後は身体が疲弊しまくり。夜、仲の良い先生と飲みに行く約束をしていたのですが、「校内模試の採点が終わらないからパス!」とふられてしまい、結局「もりき」独酌、21時前には布団に入りました。明日は割かし大変な出張です。

 さて、現代文の記述解答において「なぜ」と問われ「こと」と答え「どういうこと」と問われ「から」と答えるのは、紙の向こうの教授の存在が見えない受験コミュ障。
 担任が「リア充爆発欠勤」した日の放課後、東大理系現代文特講では生徒答案が「コミュ障爆発減点」の嵐でした。前記解答の文末処理(「こと」「から」)のミスが特講5回目にして43人中11人、これは初めて21世紀型の問題(120字記述あり)を解き、しかも本文が05年三木清ということで難易度も高く、参加した生徒がパニクってしまった結果。受験が「非日常」だということを私が強調する所以はここ。「日常性の維持」を貫いて、いざという時にどっしり構えていられる胆力を養いましょうね。

 加藤元浩C.M.B. 森羅博物館の事件目録(29)』読了、★★★。