これがロックビジネス これがフォークセールス

 本日は授業が3限のみ(高2現代文)でしたが、残りの時間で来週出題の定期テストの問題を作ってしまいました。2日前の日記に書いた通り、藤田省三「『安楽』への全体主義」については『ドラえもん』とセットで出題、という大枠が出来てしまっているからです。最後の授業(月曜日)を待たずして、全ての設問を完成させ、解答用紙まで作ってしまいました。

 藤田省三「『安楽』への全体主義」の授業。「不快」と経験を切り結ぶことを拒否し、不快を生む「不快の源」の殲滅を願ってやまない心性について。例え話は、受験勉強という「不快」の殲滅を願う受験生の話。受験勉強は役に立たないという思い込みと、不快故に存在自体が悪という認識とを前提に、如何に少ない勉強量で効率よく通るかにのみ固執し、最低限の努力でギリギリ合格したことを、恥じるならまだしもクールでクレバーだと誇る(例えば「合格体験記」でやたらイキり倒すような)人間にだけはなるなと私が言う理由。は単純で、そういうタイプは合格した大学(やその先の企業)を「こんなに勉強してない俺すら通す場所」だと馬鹿にするから。少ない努力でギリギリ合格したくらいだから構成員の中では達成度合において最下層にいるような人間がその場所を馬鹿にするというならそれは「チビの上から目線」で、見えるのは地面だけだから。不快との経験を切り結んで、成就の「喜び」を以て場に敬意を払う人間には絶対に敵わないから。
 「効率重視で何がワルイの?」とドヤ顔で聞いてくる人も居るかもですけれど私は「悪いです」以外の答えを持ちません(少なくとも、生徒にはそれ以外の答えを言いません)。序でに言うなら、私は「無駄・馬鹿・老害」という語彙を他者や自他の業務にかぶせる人の知性人徳については、1単語ごとに8掛けして考えるようにしています(全部使う人の知性や人徳は、多分見た目や立ち居振る舞いの半分と思っていれば間違えないだろうな、という計算です)。

 午後は自宅に戻って書斎で仕事(学級通信を作ったりするPC作業)、入浴。17時半には行きつけ「I」に入って読書独酌。松本隆阿久悠とに関するオリコンデータ乱打(羅列)、まぁ物量の問題ですが(そして実はそれが何より大切なのですが)面白いです。