ハイセンス番長

 星野源『いのちの車窓から』読了、★★★。定期テスト最終日の最終時限、数学甲のテスト監督を我らがB組で。監督中に(本当はいけないんですけど)開いたこの本を試験時間が終わる前に読み終えたので、そのまま学級文庫に追加しようとして、その本棚に並んだ選書のセンスが余りに良いのに驚いてしまいました。なんとドストライクな私の好みであることか。こういう本を愛せる人となら結婚してもいいな、と思った程です。

 という訳で定期テスト最終日、昼はちょっと長めの会議。その後は血痰ネーミングショッピングモール「You Meタウン」に出て買い物。自宅に戻って入浴・着替え。
 夜は仲良しの英語先生(中1主任)とさし飲みのお約束。お店は英語先生の「肉が食いたい!」の一言で自宅徒歩5分の肉料理「I」に決定。昨日「もりき」と迷ってこっちを回避しておいたのが正解でした。開店からもうすぐ1周年になる「I」は、私より年若い大将が頑張っておられる店(市内焼肉チェーン「R」から独立)ですが、飲食バイト経験の豊富な英語先生曰く「絶対に良い店」なんだそう。台所廻りの掃除の行き届き方が半端じゃない、と。

それだったら、私は出ない。帰る!

 飲み会明けの「日常性の維持」大崩壊、8時20分というギリギリの出勤。13時まで試験監督・高2現代文採点の仕事をぼちぼちと。
 その後、学校を出て西鉄K駅近くのネカフェで日記を更新。4月最終日、「男く祭」の初日のお話ですね。随分前。担任を持っている場合、書ける書けないの情報弁別の必要性から日記の更新を約1ヶ月程度遅らせることになります(昨年度はそれを忘れて、うっかり数日後更新なんてことをしてしまってました)。
 ネカフェを出た後一旦帰宅、部屋・トイレ・風呂を掃除した後、入浴。入浴後は私服に着替えて学校に戻り、職員室日直(下校を促す放送の後で校内を巡回)の仕事をしました。私服(ジーンズ)ではありますが、F校教員として仕事をしている自覚を持っていますということをアピールするために、シャツは「男く祭」のTシャツです。
 夜は「もりき」で。明日までが夢のテスト期間です。

 中原一歩『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』読了、★★★★★。小林カツ代、好きでした。『料理の鉄人』の陳建一との対決は未だに忘れられない胸アツ、あの放送の裏側を読めただけでも満足です。

こころこころ乱れて 飲んで飲んで酔いしれる

 試験2日目。監督をしたり、採点をしたり、2限に高3漢文の出題をしたり。高3漢文は、文系50人分、且つ50点満点で半分量の出題です。200人分の100点満点だったら8~10時間というところですが、その8分の1の時間で済むんですね。問題が易しく出来も良かったので、3限の時間を使って1時間で採点・集計が終わってしまいました。担任の先生に答案と解答例とをお渡しして、「今日の帰りに返してもらっても良いですし、試験最終日までお預けでもいいです」と言いました。
 放課後は職員会議、の後、15時から年休を取って退勤。

 一旦家に帰って着替え、タクシーで母君をお迎えに上がります。本日は、母君の眼鏡を新調するお約束。30分程かけて視力検査をし、それに応じた眼鏡を1週間弱で作って頂けるという病院近く(と言ってもタクシーで10分程度)のお店に出かけました。母君が視力検査をしている間に、私は近くの銀行に行って諸手続きを(最近、母君に関連した手続き関係に追われっぱなしです)。眼鏡屋に戻った時には母君は困憊のご様子で、まぁ立ち歩きも困難な人が目を酷使する検査を30分も受けりゃそうなるわいなぁ、と疲労不機嫌のオーラは軽くスルー。バンダナ巻いて麦わら帽子(「寂聴」隠し)の頭を見たら応戦する気も失せます(不機嫌が乗り移りそうになった時には、床に散らばったお茶っ葉を思い出すと効果的です)。

 母君をリハビリステーションにお送りした後は、そのまま夜のお約束、「給料日で定期テスト期間で」「何でみんな飲みに行こうとせんのか理由が分からん!」という合図で乾杯の2人は、14年目の国語教師と、その父親の年に当たるベテラン体育先生。市内オススメの焼き鳥「しん吉」から、私のお気に入り小料理屋「A」という2軒をハシゴ(前者はあまりにオススメなので実名、後者は看板の無い隠れ家店舗なのでイニシャルで書いています)。いんや~、飲んだ飲んだ飲まれた飲んだ。

黒白フィルムは 燃えるスクラムの街

 テスト初日。5時に出勤して、作っておいた高2現代文の問題を印刷・折り込み、その出題は早速本日の3限。午後には長い長い会議があるので採点は明日以降になる……と思っていたら、午後の会議が延期に。参加予定9人のうちお二人が、①ご本人の体調不良、②お子様の体調不良、という理由で参加不可になってしまったのです。何と申しましょうか、すっかりホワイトな職場になりましたね(←お二人への嫌味に非ず)。でもって、延期先が土曜(試験最終日で職員半ドンの日)の午後になったというのはブラックの範囲内ですが、まぁ許容範囲内かな……なんて考えてたら、某先生から声を掛けられて。
 某「池ノ都先生、午後の会議が中止になったって本当?」
 私「えぇ、土曜に延期」
 某「よっしゃ、助かる! そっちの会議を優先して出来んかった例の会議、急遽今日の午後に開くように手配したから!」
 私「はぁ」
 某「こっちの資料は出来てる。そっちの資料もどうせ揃っとるんやろ?」
 私「はぁ」
 某「じゃ、13時に!」

 結局別の会議が入ってきた午後、はしかし元々予定されていた会議よりも短い時間で終えることができたので、現代文の採点を(もうほんの)少しだけ行うことが出来ました。
 夕方少し前に、母君のお部屋に(今日事務室に届いた)カレンダーをお届けしてから帰宅。入浴後、「もりき」常連のY先生(小児科医・F校の先輩)がオススメになっていた寿司店「I」に初入店。給料日を前にカウンター寿司の蛮勇です。種々の魚を即席でヅケにした「黒」と呼ばれる名物を、寿司や納豆和えやで。日本酒は冷酒ではなく冷や(常温)の流儀でした。

距離がいい 感触がいい 刺激がちょうどいい

 6時起床、7時半出勤。全然「日常性の維持」が出来ていません。担任業務、生徒面談。始業後は授業が4コマ。合間に、高2現代文の定期テストを作成。明日から4日間が定期テストで、私は初日に高2現代文、2日目に高3漢文の出題があります。

 テスト1週間前からテスト終了までは、生徒は職員室・研究室への入室が禁じられます。で、職員室入り口でノートを抱えてオドオドしていた見知らぬ中学生2人がいたので「ノート提出かな? 届けるよ」と話しかけたら、「いいのかな?」「えっと、あの……」と煮え切らず。昨今のお子は図々しさに欠けるところがあるなぁ、と好意的解釈で「まぁまぁ、××先生かな? 持ってくね」と××先生にお届けしたら、直後に2人とも入り口で「人を使うんじゃない!」と怒鳴りあげられておりまして。嗚呼、これはノート提出が遅れた子が放置プレイされてて「遅れてノート提出しますすみませんでした!」と叫ぶような声掛けをして恥をかいた後に改めて先生から叱られるという段階を踏まなくちゃいけなかったパティーンだ、と気づいた時にはもう遅かったので、すごすごと中2フロアへ帰ろうとする2人を慌てて追いかけて「ごめんね!」とジュース2本。

 放課後は16時から年休だと思っていたのですが、翌日出題の現代文についての質問が行列で結局17時の定時退勤。我らが67回生高2の方々、現代文の質問によく来られるんです。勿論テスト前にほぼ限られますが、それでも「現代文で質問が来る」という経験をあまり持たないので、偉いなぁ、凄いなぁ、と感心することしきり。56回生とか63回生とか、質問に来てたかなぁ(勿論、高3になって受験勉強の相談に来る生徒は多いんですが)。
 我らが高2Bの教室では、現代文で扱った「典型(プロトタイプ)」について、「イデア」と何が同じで何が違うのかという雑談で盛り上がるお生徒さんたち。倫理の授業で「イデア」を習ったんですね。テスト前日なんだから点取る勉強をなさいよ、と思わないでもないですが、逃避雑談というのは部屋の掃除よりはセンスが良いですよね、天晴。

 退勤後は血痰ネーミングショッピングモール「You Meタウン」に出て「ニトリ」へ。母君が物干しをご所望だったので、組み立て式の簡易物干しを購入してリハビリステーションにお届けして、その場で組み立てて設置しました。後はガムテープ。床に抜け落ちた頭髪は「クイックルワイパー」でも良いんですが、ベッドの上だとそうはいかない。「落ち武者」程度で止まるかなぁ、と思っていた抜け毛は、やっぱり「寂聴」まで行くなぁ、と。これで母君が緊急で欲しがっておられる生活用品はほぼ全て揃いました。後一点だけ、大きめの(A2サイズの)カレンダーが欲しいのですがこれが時期外れでなかなか手に入らず、最終手段としてAmazonに注文しているのが明日か明後日かに事務室に届きます(Amazonは、あんまり使いたくないんですね)。
 さて、こないだまで初めて私の自宅に母君が泊まられた2泊。その時は、身体の衰えと勝手が分からないこととによる苛々が募る母君と、八つ当たりを小忠実に打ち返す私との修羅場でしたが、少し離れたら途端に凪ぐ。私のF校中学寮暮らし以来一度も共に暮らすことがなかった母子、お互いそれなりの距離が必要な様子です。

正気の沙汰でないと

 先週の高3文系漢文添削にて、「忠臣之事君也何若」の書き下し(ちゅうしんのきみにつかうるやいかん)の出来が真っ二つに割れたのが印象的でした。生徒が、「事」「也」「何若」について全部知っているか一つも知らないかにほぼ別れた。古典(古文・漢文)の知識は高2までに終えておくと高3で楽になるというのは入試の「定石」です。

 さて、昨日「明日から頑張る」と決めたその「明日」即ち今日、の起床は勿論3時半です。
 5時入りでデスクワーク(授業準備・学級通信作成・高3添削その他)。本日は授業が1コマだけで、朝昼の生徒面談や会議やはありますが基本的には身体が楽。第1回定期テスト直前につき高3の特講(東大理系漢文)が無いのが大きいかな。これぞチャンスと、夜は仲良し事務嬢さんと飲みの約束を入れています……ってお前「明日から頑張る」はどこ行っとんねんという話に聞こえるやも知れませんが、これは以前母君のK市治療滞在の間の下着の替えについて、私「事務嬢さんパンツ買って! パンツ買ってくれたらビール奢ったげるから!」 嬢「だから言い方だっつってるでしょう!」というやり取りで(私が入れない女性下着売り場で代わりに買い物をして下さるよう)お願いした時のお礼なんです。お礼はしないといけないんです。

 16時から年休を取って、先ずは自宅で入浴。昼過ぎからどんどん暑くなって、ブレザーの下は大汗です。お風呂を沸かしている間は自宅徒歩3分のディスカウントショップに往復して、T-falの湯沸かし器と卓上時計とを購入しました(母君の新居にお届け)。
 入浴後に着替えて、母君のお部屋にタクシーで移動。T-fal、卓上時計、それに手作りの週間食事記録表(必殺の職員室印刷プリント)とをお届けしました。入所2日にして早くも看護師さんから確認の電話がかかってくる少食っぷり、せめてもの動機付け(可視化による回復意思向上)にと、朝昼晩間食欄を分けて食べた物・量を毎日毎回記録して頂ける表を方眼紙に30cm定規で線を引いて作って(←仕事柄こういうのは得意)、向こう数ヶ月分準備したのです。まぁ、ボケ防止にもなりますしね。元々が食生活ぐちゃぐちゃの偏食さんだったから、今の味覚障害状態も併せて食事に対する興味意欲がほぼゼロになっておられるのです(歩いて近くのスーパー・コンビニに行かれるだけの体力はまだ無いし)。私が朝昼食べない夜は飲む、みたいな食生活を送っているのも「親の血」です。

 朝昼食べない夜は飲む。
 花畑(リハビリステーション最寄り駅)から西鉄電車特急で二日市へ。事務嬢さんと合流して向かったのは私が是非一度と以前から言っていた「月空」で、和牛モモのタタキカルパッチョ風を一口召し上がって「美味しい!」と言っていただけた時点でお礼は完了しました。
 で、お礼が完了したら後はそれぞれが好き放題で、職場の話題をあ~でもないこ~でもないそ~だど~だと放談三昧、串にビールに焼酎にとガンガン行った後、「そうだ我々はF校カラオケ倶楽部のメンバーだったではないかカラオケに行かなくてはならないではないか」というお話になり、二日市からK市に戻った後でわざわざタクシーにのって文化街の「A」というライブバーに。そこでカラオケやらマスターのギター演奏やらに合わせて好きなお歌を歌いながら勿論お酒も鱈腹聞し召して、疲れと眠気とでヘロヘロになった池ノ都先生が「ねぇ、事務嬢さん、帰ろ~」と言ったらまだ飲める歌える事務嬢さんが「帰り~」と答えるところまでが遠足です。

 青鹿ユウ『今日から第二の患者さん がん患者家族のお役立ちマニュアル』読了、★★★。タイムリーな時期にこのような新刊が、とタイトル買い(作者は知らない人です)。漫画家夫婦の夫がガンになり、その二人三脚闘病の苦痛を「第二の患者」である妻が描いたルポ漫画。夫婦と母子では関係性が違いましょうが、イライラギクシャクのあり方は似ているなぁ、と思いました。

足を踏み鳴らせ 週末に熱気を取り戻せ

 いや~、昨日の歓送迎会は面白かった。もう7、8年ぶりの暴走空回りモードだったんじゃないでしょうか。本人に見つかったら怒られそうなネタで国語科の若手を中心に目茶目茶笑って貰えたし。お酒も、ビールだけで何リットル飲んだか全く記憶がございません。
 というか、帰る時・帰った後の記憶が全くないわけで、朝7時なんて遅い時間に目が覚めた後、リビングの机の上を見て初めて「あぁ、昨日の帰宅後、食べ残してたショートケーキ、全部食べちゃったのね」というのを知った、とかいう次第。

 14年前の赴任初年度とか2年目とか、池ノ都先生がまだ若かった時代は、飲みの席では相当「とんがってた」んです(出た、若いころの悪かった自慢!)。仕事中は56回生からいじめられからかわれ無視され、というのの反動なのか何なのか、飲んで騒いで暴言はいては国語科の若手先生(今は高1主任の演劇部先生とか、中2担任の先輩先生とか)から「あいつだけはぶっ殺す!」って言われてました(でもって、卒業生なもんでベテラン先生に庇ってもらってました)。
 ……って頃の荒ぶり方はもう(体力的にってのとプライド的にってので)出来ないんですけど、昨夜はちょっとだけそれに近いものがあったりなかったり。

 そういえば、先週末金曜日の6限、高2E組での現代文授業のあと、最前列の某くん(よく気が付くタイプの元高1A)に「池ノ都先生、なんかあの……大丈夫です?」と聞かれてギョッとしたんでした。こなしてるつもりだったんですけれど、疲れが顔に出てたんでしょうか。肉体的にもそうなんですけれども、それよりも精神的にというのが強かったですよね。ホテルならスタッフが居ますけれども、自宅滞在の場合私が外出したら独りです。仕事中も気になって気になって仕方ない。
 ……ってのがさ、施設なら24時間ナースコール押し放題だぜイェイ! と思った瞬間に記憶飛ばすまで飲めた、っつのはあれだね、やっぱり私は親不孝が服着てる人間なんだわさ。

 閑話休題
 お酒は残ってなかったので、午前中は学校で授業準備・担任業務のデスクワーク。昼過ぎに学校を抜けて、タクシーで血痰ネーミングショッピングモール「You Meタウン」に移動。「ニトリ」に入って、いぐさの床敷き、折りたためる小さなちゃぶ台、組み立て式のTV台、クイックルワイパー、等々母君から指示を受けた様々な生活用品を買い込みました。再びタクシーを呼んで血痰ネーミングショッピングモール「You Meタウン」から母君の施設へ。再び台車をお借りして購入したものをお部屋に運び込み、TV台・テーブルを組み立てて設置しつつ、色々とお話を。夕食・朝食・昼食、と3度の食事を経験なさったそうですが、レストランで既に数人のお友達(とは言っても母君から見たらずっと年上の人生の先輩です)が出来たということ。母君はプロの介護士ですので、そこの「へだて」はありません。
 1時間ほど滞在の後、再びタクシーで学校に移動。母君は2階から1階に(エレベーターで)降りて私を見送って下さいましたが、廊下はやはり手すりを持ってゆっくりと歩かなくては、というレベル(施設ですので、全ての場所に手すりがついているとか、エレベーターの中には椅子が置いてあるとか、そういうところは万全です)。副作用が落ち着くまでの辛抱ですね。
 学校ではデスクワークの続き。夜は学校から徒歩10分、「もりき」で独酌。マスターには、先日冷蔵庫運搬でお世話になったお礼に商品券をお渡し。要らないと言われましたが、私のことではなく母君のことなので、と無理矢理。

 さて。年休31時間、時間割変更(同日内の4限と6限との交換)1回、SHRの副担任代行4回、生徒面談予定変更3回(そうそう、某くんとは面談すっぽかしすらありました)、通院1回(気管支炎)。我が事ながらポンコツ極まる4~5月でした。話にならん。
 ですが、明日からは「日常性の維持」です。男の意地です。頑張る!

それでも行くのか どうにかなるさ

 地獄の忙しさ!

 4時起床で入浴、その間に起き出してこられた母君と昼以降の打ち合わせ(本日、リハビリステーションにお引っ越しです)。学校には6時入りで仕事、高3漢文添削・授業準備・担任業務・生徒面談。授業は2コマ(高3漢文・高2現代文)。高3漢文授業で集めた答案は、空き時間で添削を終わらせました(帰りのSHRで返却をしてもらいました)。SHR・掃除の後、生徒面談を2人。

 14時30分に学校を出て帰宅。たった2泊3日の同居でしたが、今日よりリハビリステーションにお引っ越しの母君が、家の隣にあるケーキ屋でショートケーキを買って来られていたので、それを一つずつ食べてフェアウェルパーティー(?)。

 TV・CDデッキ等の家具、洗面具等の生活用品、を両手に抱えてお引っ越しです。タクシーに荷物を積んで、移動は僅か10分弱、市内某リハビリステーションの2階1室を宛がわれたその部屋は、そうですね、私が過去に生活を営んだ高校寮・福岡県人寮(大学1~2年生)の部屋と同程度の広さでしょうか(18㎡)。そこに、シャワートイレ・クローゼット・インターホン・洗面化粧台・冷暖房・介護用ベッド(枕元にはナースコール付き)・電子カードキー、等々の設備が設置されています。フローリングの部屋で、陽当たりのよい窓にはステーションから貸し出された遮光カーテン(これは、現在注文しているカーテンが届いたら交換取り付けをしてお返しします)。広くない1ルームですからそうは感じませんが、兎に角今は家具類何も入っていない状態。例えばテレビは今は床に直に置くしかないので後でテレビ台が必要だとか、せめてテーブル・床敷き程度は早急に揃えないといけないとか。
 私たちが到着して少ししてから、注文しておいた布団が届いたので、業者の人に介護用ベッドに備え付けてもらいました。その後は、布団と並んでどうしても今日中に設置したい冷蔵庫の手配です。一人暮らしの母君にとって使い勝手が良さそうな2ドアが、自宅徒歩3分のディスカウントショップにあるのをチェックしていたので、タクシーでそこへ移動し、事前にお願いしていた「もりき」マスターに来てもらいました。小さな冷蔵庫なので、マスターの自家用車に(横向きにすることなく)積んで運べるのです。お店開店準備の時間にご迷惑をかけて申し訳ない限りでしたが、本当に助かりました。
 ステーションからお借りした台車で冷蔵庫を部屋に運び込んだら17時前で、私はこれでタイムアップ。母君も引っ越しのバタバタで困憊のご様子だったので(私がディスカウントショップ往復をしていた間に、施設職員の方の説明を色々と聞いていたとのこと)、早々にベッドで休んでいただきました。冷蔵庫にはペットボトル(1L)のミネラルウォーターを入れて、手先が(抗癌剤副作用で)傷んで開けられない母君の代わりに蓋を開けておきました(最初に開けるのが出来ないだけで、一度開けて閉めた蓋は大丈夫なのだそうです)。ペットボトルの蓋を開けるためだけに通う必要があるのかなぁ、なんて。

 さて、前述のタイムアップは次の約束。職員室の歓送迎会、今年は「送」が前校長先生、「歓」が現校長先生なので、まさか遅刻などすることは許されず。で、歓送迎会の前に絶対にと母君に厳命されて、西鉄の「岩田屋」へ。職場の同僚に母君の保証人サインをしてもらったお礼を必ずすること、ということで商品券を購入。勿論、先日の入院時にサインをお願いしたK市の母・Hさん、及びさっき冷蔵庫運搬をお願いした「もりき」マスターにも少額ですが商品券を購入しました。

 さて、市内某ホテル広間で職員室の(正式な)歓送迎会。受付後早々に母君から命ぜられた商品券を同僚某氏にお渡ししてお礼を申し上げた……ら、今日は死んでもハイテンション! の勢いで存分に飲み食い(というか「飲み飲み」)します。これが生活の区切りじゃ!

あなたに似た人

 地獄の忙しさ!

 4時起床、お風呂にお湯をためながら、本日夕方に母君のリハビリステーションに提出する(膨大な種類の)書類の記入漏れが無いかをチェック。風呂上りの時点で(物音が五月蠅かったかな)和室の母君はお目覚めでしたので、入浴の仕方(ボタン操作の方法)を図示してお伝えする。その手の操作は極端に苦手な方ですが、「追い炊き」ボタン1つを押したら勝手に42度まで湯温を上げ、機械ボイスで知らせてくれるということを伝えたら納得して下さいました。食事は、朝昼兼用でチキンラーメンを召し上がるとのこと(曰く、「他の物は舌が受け付けない」と)。T-falが滅茶苦茶役に立っています。

 母君を自宅に置いて(食事・入浴時以外は布団に横になっておられるはずです)出勤。
 6時に学校入りして、8時までデスクワーク(担任業務・授業準備)、8時から生徒面談。始業後は、SHRの後、1~3限まで授業の後、3限終了5分後の11時50分に事務室前に電話予約で呼んでおいたタクシーに飛び乗ります。

 自宅で母君を拾った後、そのまま西鉄K駅近くのN銀行へ。母君がお使いの口座の、登録印鑑を先日の実家引き払いのゴタゴタで紛失してしまったということで、新しい印鑑を登録しなおす手続きを行うのです。母君は立って歩くのが殆ど困難な状態なので、待合のソファに座って待ってもらい、手続きの殆どは私が代行。どうしても母君直筆が求められた時は私が書類を持ってソファと窓口とを往復する形です。でもって、ここまでやってんのに、外に出て人のいる中でじっとしているのが苦痛らしくてたった15分の手続きでみるみる不機嫌になっていく病人あるある。
 銀行を出る時には不機嫌マックス、ですが疲労が溜っている上に土地勘がないからもうどうしていいか分からない様子の母君に、「死にたくなかったらついてらっしゃい」と西鉄までの徒歩を強要。鬼かお前は、という天の声が聞こえそうですが、「近くでうどんが食べたい!」と仰い遊ばしたのは垂乳根の母君やねん、っつーね。一人で歩くのの5分の1くらいのスピードで西鉄構内に入った時には母君の疲労と不機嫌はマックスで、愚痴る相手が肉親しかいない私の義務はその呪詛を受け止めること、ですが甘いわね。私の誘導で二人は間違いなく西鉄構内のうどん屋に着いてる。「ここで昼食をとったら、あそこに見えるタクシーに乗って私の自宅があるN交差点まで行く! 息子さん(←一人称)が居ると不幸でらっしゃるみたいだから置いていきますよ、一人で食べて一人で帰って下さい。死にたくなかったら、N交差点の名前を忘れないこと! ……息子さん(←一人称)ですか? 食事の暇なく職場に戻って働きます。働かないと餓死します!」

 一人でタクシーに飛び乗り「F校まで急いで下さい!」とお願いし、果たして急いでいただいたおかげで昼休みが始まるチャイムと同時に職員室に滑りこめました。昼休みに面談予定だった女子生徒をお呼び出しして、息切れしそうになりながら面談……からの5・6限だ!
 帰りのSHR・掃除だけは副担任の先生に代行をお願いし、放課後面談だった予定の生徒にはお願いして後日に日程を変更してもらい、6限終了後の学校を再びタクシーで飛び出す。

 先ずは市役所、続いて郵便局とはしごして母君関連の書類請求や各種手続きやを。そのままタクシーで今度は市内某所のリハビリステーション。受け付けは17時までと言われていたのですが「走れメロス」のノリで16時55分に飛び込みました。
 施設長・副施設長のお二人と差し向かいで座った面会室にて、10枚20枚じゃきかない分量の書類の一つ一つを微細にチェック……すること30分。1カ所だけ記入漏れがあったものの、それをこの場で書き足したら、見事書類はコンプリート、晴れて母君は明日引っ越しがお出来になるということに!
 長「素晴らしいです、当施設開設以来、一度で完璧に書類を揃えられたご家族は初めてかも知れません!」
 ……というのはオーバーなのでしょうが、考えたらこの施設の入所者の年齢平均は85歳だということなので(母君59歳は圧倒的な若さ!)、そのご家族っつったら還暦がらみの人たちばっかじゃないか。そら書類も揃わんか。

 ドロドロに疲れて自宅に帰ったら、母君が昼のうどん屋で召し上がった「チャンポンうどん」が如何に美味しかったかを目茶目茶ご機嫌麗しいご様子でお話して下さいました。味覚はどないなっとんねん、ですがあ~たが機嫌がいいならそれでもいいわいな。
 ……と、台所を見たら、なぜか日本茶の葉がバーッと散らばっています。何故だ、うちはティーバッグの日本茶しか置いていません(母君が使いやすいように、使い切りのティーバックを買ったばかり)。意味が分からないまま茶葉を掃除しながら、途中で理由に思い至って愕然としました。ティーバッグ、1つ1つが個包装になっているのですが、タラセバ(抗癌剤)の副作用で手先が全くの無力になっている(ペットボトルのふたすら開けられない)母君は、その個包装の「ここからお開け下さい」という切り込みをうまく両手の指でつかむことが出来ず、ハサミで切って開けようとなさったのですね。それで、包装だけでなく中のティーバッグまで一緒に切ってしまった。
 ……良かれと思って買ったティーバッグだったんですけれども、それで母君を傷つけてしまったというのは本当に親不孝です。職場の年長女性に「これまでできたことができないということがどれだけ辛いことかは、そうなってみないと分からないものだから」と言われたのが、今更ながら頭に。

 茶葉を片付けたあと、自分用のお風呂を沸かしている間にクリーニング屋を往復。お風呂上がりに「もりき」へ行って軽く飲んで帰りました。それでも、いつもより遅い22時就寝。
 「もりき」に行く前に母君にお休みのご挨拶。母君からは午前中に入ったお風呂がとても温くて困ったと叱られてしまいました。「追い炊きだけじゃなくて温度の上げ方を教えておかなかった息子さん(←一人称)のミスです。すみません」と素直に謝れたのは、これはさっきのティーバッグの件もありますし、お風呂場に母君の抜け毛(全能照射の副作用)が大量に落ちていたのを見たのもあります。
 悪いのは全部病気ですよねぇ。

心配しないで 私の未来が ここにあると知っていたのよ

 ホテル療養中の母君にお呼ばれして、朝食バイキングをご一緒しながらお話を。6時半の会場と共にレストランに入り、日替わりの「地産地消コーナー」に置いてあるメニューが偶然にもカラシメンタイコだったので、躊躇無く「えったんこ飯」をアップしたら、オツカル様が即リプでファボを下さいました。母君は、カレーや味噌汁やフルーツヨーグルトやを、本当にほんの少しずつ。食欲回復まではほど遠い、というより味覚障害が治らないという様子。
 さて、入所希望を出していた市内リハビリステーションから、正式に入所許可が下りました。もしも明日全ての必要書類を揃えて提出できれば、最速で明後日の土曜に引っ越しが出来るという流れ。
 幸いなことに本日は放課後16時からの会議以外は完全フリーで年休を取っています(8時からの生徒面談と朝のSHRとはやりますが)。必要書類の耳を揃えるには打って付けの日。よっしゃ役所巡りじゃ……と思っていたら、母君が急に趣旨替えして「ホテル暮らしはいい加減限界だから、今日から池ノ都くん(←二人称)の家に泊まります」
 ……言われりゃ直ぐにでも準備するつもりだったけれどもよりによって今日、よりによって今日それを言い出しますか。んとに病人にはかなんな、と役所巡りは明日に回して自宅の整理整頓に重心を移します。

 8時前に学校に行き、生徒面談とSHRの後、少しだけデスクワーク。学校徒歩10分弱の布団屋は西川の系列店、先日丸々一式購入した羽毛布団セットは土曜日にリハビリステーションに届けていただくことにして、今日は別に(私の自宅に来客用として保存する)少し安めの布団一式を購入。タクシーで自宅に運び込みました。続いて、ホテルチェックアウトの時間に合うようタクシーで移動し、母君を拾って自宅へお連れしました。取りあえず母君には和室に敷いた布団に横になって戴き、私は部屋の整理を(リビングテーブルの上に積んでいた本を書斎に移動させた後、全室に掃除機を掛けました)。
 その後、母君の提案でピザを出前して昼食。私は自宅徒歩5分のディスカウントショップを何度か往復して、和室(母君の寝室)用のTV(寝ながら観られるやつ)や風呂場の桶・椅子等々、母君が滞在中にお使いになる生活用品をバタバタ準備です。リビングソファに座ってどでかいTVを観るというのは、歩行に難あり且つ直ぐに疲れてしまう母君にはお辛いだろうという判断で急遽購入のTVは母君に喜んでいただけた様子、「家族が居ると安心感が違う! 本当に池ノ都くん(←二人称)が居て下さって幸せだわ!」と、数日来の不機嫌が嘘のような殊勝な前フリ、の5分後に「林先生の番組を観なきゃね! 林先生がいいのよ!」と国語教師息子の顔面に唾を吐きかけるのが還暦力というやつかや。

 夕方に学校に出て、16時からの会議は瞬殺。で自宅に戻ったら、いつの間に買ってこられたのやら母君は既にチキンラーメンで夕食を取ってお出でで(だから昼間のディスカウントストアで丼を買ってくるようにお命じになったのね)、鍵はお渡ししといたとはいえ徒歩5分のスーパーに往復する体力があったというのが意外。目的があれば動けるのかしら、などと考える頭の中に羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』の一節が過ぎるのは流石に親不孝が過ぎるな、と反省(はい、2つの「過」を読み分けて下さい)。
 母君は早々にお休みになったので、私は「もりき」で独酌です。頑として私の自宅に身を寄せることを拒んでいた母君が今日急に自宅に入ると言い出したとお話ししたら、マスターからそれは「老人・病人あるある」だと言われました。「よく当日に生活用品揃えられたね」「偶然仕事が空いてたからね。でも、そのせいで行くつもりだった役所に全然行けなかった。もうね、明日明後日が地獄だから」