あまく危険な香り

 生徒が部活動や趣味、課外活動に勤しむことを別に否定はしませんが、たとえばそのために疲れきって大事な授業中に爆睡、なんてことを私は許したくありません。少しくらいいいではないかの感は職員室の中にも(実は結構強面で指導なさる先生の中にも本心としては)あるのですが、私は割とネチネチ嫌味をいうタイプ。
 理由は簡単で、F校が進学校だからです。「勉強が全てだというのか」と批判されたら、そうではありませんと即答できます。部活動に趣味、課外活動は大切だと思う。でもって、だからこそ進学校でそれらを大切にするなら、勉強については1ミリだってそれらの犠牲にしないことを心がけた方がいいと思いますよ、と言いたい。
 消極的には、「●●部のやつらは寝てばっかり」とか「××くんは趣味に没頭して全然勉強がだめ」という友人や教員の風評が、それら部活や趣味に対する強力なネガティブキャンペーンになるからです。あなたが寝食勉強忘れて「それ」に打ち込めば打ち込むほど、「それ」をしていない時の自堕落な姿を晒せば晒すほど、「それ」の外部評価が下がる。そんな外部評価なんか関係ない俺は全てを犠牲にして「それ」に打ち込むんだと孤高孤独に意気込む人もいますけれども、そういう人が打ち込んでいる「それ」が集団競技の部活だったり全員全力の文化祭準備だったりしたらもう目も当てられないでしょ? 「それ」を共有する同輩や受け継ぐ後輩に悪評を及ぼすのを承知で(それを自分のための「犠牲」みたいにしながら)「それ」に打ち込むって何なの? ってなる。
 積極的には、自分が勉強に打ち込めない、自分が受験に失敗した、等々の進学校本道での不調失敗を、本人がいくら「それ」のせいではない、悔いはないと言っても、本人の心のどこかに「それ」のせいにしたい甘え(というか「それ」に原因があるという客観的事実への認識)が生まれるからです。あんなに好きだった「それ」に、人生の足踏みの責任の一端を被せている自分がそこにいる。
 「進学校」にいる以上、自己の本道が勉強・受験であるという事実は絶対に揺らぎません(何より本人がそれを知ってる)。だからこそ、あなたが愛してやまない「それ」の他者評価を下げて同じく「それ」を愛する多くの人に有形無形の迷惑をかけないためにも、そして何よりあなたが「それ」への愛を裏切る気持ちを持たずにすむように、これだけ勉強したのなら合格して当然・不合格でも悔いなく次のステップに進めると断言できるくらい隙なく勉強して下さい、と言いたい。だって現実は厳しいですよ、完全両立させても受験にある「まさか」で入試に落ちる時はある。そしたらその時、どれほど両立できた勉強は出来る限りやり切ったと思おうとしても、あなたの心の中に「それ」に対する複雑な思いが生まれることは必定なんですから。
 もっかい言いますけれども、「進学校」で趣味だ部活だ課外活動だに没頭するということの定義の中に、それらに対する自他の評価を下げないために勉強と完全両立させるということが含まれてるんです。

 F校で生きるのは楽ではない。「楽ではないけれども、楽しい」という恩師先生のお言葉通りの学校生活が生徒に出来ればいいし、それを教員がサポートできればいいとは思いますが、いずれにせよ楽ではない。その中で、無遅刻無欠席を6年間(高校から入学してきた生徒の場合は3年間)貫くのは至難の業です。本人の鉄の体力・意思とご家族のサポート、あるお母様は「母子の二人三脚の勲章」と仰いましたが全くその通りで、その価値は計り知れない。
 風邪だろうが何だろうが無理やり登校させた結果全員が一年間無遅刻無欠席のクラス(時々新聞に載るやつ)なんてのはちょっといただけません(というより積極的に気持ち悪いです)が、本人の内発に基づく生活が6年皆勤に繋がるような生徒は、その本人の性格成績如何に関わらず無条件で尊敬します。
 うちのクラスにもいたんです。で、中学から5年弱皆勤を貫いたその「鉄人」に対して「いた」という過去形を使わないといけなくなったことを、担任として今強烈に残念に思ってるんですね。だって、病気じゃない怪我じゃない事故じゃない家の都合じゃない単なる寝坊だからです。
 7時間目は合同講義室に移動して学年集会、集会の開始時に自分のクラスの生徒にプリントを配布しててその「鉄人」の席が空席になってることに気づいた時の驚愕ったらちょっとパニックのレベル。教員「何でそこ空席なのっ!?」 生徒「さ~、教室で寝てたりすんじゃね?」 教員「すんじゃね、じゃねぇよ起こせよ馬鹿がっ!」の台詞は飲み込んで教室にダッシュ、果たして自分の机に突っ伏して寝てましたね元「鉄人」。たたき起こして合同講義室に行かせましたけれども時すでに遅し、っていうか満座の生徒教員が注視する中ドアを開けて入室したんだからどんだけ誤魔化そうたって無理な話で、はい、「遅刻1回」。5年弱の皆勤結晶が一瞬で砕け散った瞬間です(積み重ねるのは大変ですが、壊すのは簡単です)。
 「お前、大変な失態だぞこれは」と泣きそうな顔で(←多分)面罵する担任に元「鉄人」きょとん顔でしたけれども、もうなんで今日に限っていつもと違って7限開始前の教室見回り(残ってる生徒を追い出す)をしなかったのかと自分が情けないばかり。

 授業中の態度、家庭学習の様子、練習時間・帰宅時間の遵守、という日常生活の点で課題の残る部員が多いと言われる(反論は認めません)その部活で、それでも無遅刻無欠席の日常尊重に生きてるという一点で「鉄人」を信じたかったのがはっきり裏切られたんですね(その部活、「裏切られたとか一人勝手にほざいてんじゃねぇよお前が俺をどう見てるかなんて関係ねーし」という言葉を発した瞬間にその人はそこを退部しなければならないという性質の部です)。ここんところの授業不集中・勉強放棄は、だからはっきり言いますよ最近活動延長続きの部活が悪い、あの部活は多分君の人生には毒だ、とその瞬間強く思った。
 神様は計らうね、やっぱり。積み重ねたものが偉大だっただけに(もっかい言うよ、5年間の無遅刻無欠席ってのは宝だよ)、それを自らのちょっとした気の緩みで崩すときには満座注視の舞台を用意するんですね。
 勿論、元「鉄人」にはそれでも、5年間無遅刻無欠席の宝が自分心身の内側に埋め込まれていることを信じて、勉強と部活の両道を追求しよう、って言いますよ。実際それを追求することが彼を一番強くする王道ですから。でも私は、卒業式の日に「鉄人」の皆勤を賞賛したかったんです。それが出来たら、卒業後のもう一生ものの自信に繋がったことは間違いないんです。本当に悔しい。そしてそれが出来なくなったのは、どうでしょうか、本人のせい? 部活のせい? 本人は「自分のせい」と言うでしょう、そして私は「半分は部活のせい」と言います。

 愛してやまない「それ」へのネガティブキャンペーンというのは、こういう経路ではられるものです。なるほど多くの喜び感動教養を与えてくれる部活だし築き上げたものも大きいと反論したいでしょうし私もその言には素直に同意できますけれども、その反論が説得力を持てば持つほど、「それ」に対して自分の心の中にネガキャン残した事実が大きくなってくるんです。覚えておいてね。
 でもって、次の大勝負、受験の結果でそのネガキャンを自他にはらないようにすることだけ考えて今から頑張ろうね。じゃないと駄目だよ、ほんとに。