事務所にもっと推され隊

 早朝の高速バスで福岡空港へ。昨夜「差し支えない程度にしないといけない」とか言っときながらの泥酔コースで、今朝は宿酔いでこそなかったものの完全な飲み疲れ、高速バスでも飛行機でも座った瞬間に昏々です(飛行機を怖がらずに済んだのは良かったですが、ドリンクのサービスは享受できませんでした)。声が枯れてなくて本当に良かった、今日はオツカル様とのカラオケがありますから。

 10時に羽田着、品川に出て「サザコーヒー」でHさんへのお土産購入(宅配手続き)、池袋に移動してホテル(東口徒歩7分)に大きな荷物を預け、12時10分前に渋谷に到着しました。午後はオツカル様との半日デートで、最初のイベントは地下アイドル「Amulet A Mute(あむあむ)」の新体制お披露目ライブ。百軒棚のライブハウスには12時のライブ開始直前に到着。雑居ビル2階、スタンディングで50人ちょっと入れるかな、という規模。まさに地下アイドルのための。
 オツカル様は地下アイドル・お笑いの(多分、日本を代表するレベルの)マニアで、私も彼の影響で「絵恋ちゃん」にハマった口なんですけれども、今日のアイドルは全然知らないグループで、正統派らしいから私が魅力を理解することはないと始めから分かっています。ですからどっちかと言えばアイドルよりもオタ芸をするヲタクたちを眺めに行ってる感じ。会場中の誰よりもでかい声でコールをリードするオツカル様、幸せそうです。そのコールには一定のリズム法則お約束があるらしく、今回は「Jリーグ・カズダンスアルシンド」「タオパイパイ・エンゼルパイ・アップルパイ」というのは聞き取れましたが、タイピングしながら自分でも意味の分からなさに唖然となります。因みに、2年前のドーム関ジャニ公演ですら振らなかったのに、今回は入り口で渡されたサイリウムを振りました。43歳にして初、人生まだまだ勉強です。
 ライブ(30分強)の後、ビルの下で物販に並ばれるオツカル様を30分程お待ちして、渋谷から上野へ移動。

 上野の目的は「科博」。特別展『大哺乳類展3』に、今度は私がオツカル様をつき合わせる格好で。3度目の開催となる今回は、哺乳類6000種超の分類と系統とに照準。例えば、コビトカバスジイルカとは違って見えて近い、ニホンモモンガとフクロモモンガとは同じに見えて遠い、その分類の方法とは、みたいな観点で標本・剥製を展示。人間の知性の基本は「これって、あれじゃん」だと思っているので、非常に気持ちの良い企画だと感じました。とまぁ、学術的なことは措いて、剥製ズラリの「大行進」に興奮するというのがメインなのですが。そう言えば、前回の『大哺乳類展』にもオツカル様と出かけたんでした。その時オツカル様が夢中になって写真を撮っていたミナミゾウアザラシ、今回も大迫力。

 「科博」からは上野「カラ鉄」に移動、オツカル様とのデートでは恒例の2人カラオケです。①同じ日に同一アーティストの曲を2曲歌わない。②一度歌った歌は二度と歌わない。という2つの絶対的ルール、私は守り続けます。①はともかく②が厳しくて、2人のカラオケで歌った曲は全て記録しているのですが、既に歌えない歌が550曲に達しており、毎回新ネタを見つけるのが大変。以下、今回の歌唱曲。
 池①松平健マツケンのAWA踊り」(2006年)
 オ①THE YELLOW MONKEY「バラ色の日々」(1999年)
 池②坂田おさむ・神崎ゆう子「ふたりはなかよし」(1991年)
 オ②PUFFYパフィーのルール」(2000年)
 池③井上涼「何にでも牛乳を注ぐ女」(2018年)
 オ③久宝瑠璃子「薄情」(1994年)
 池④八代亜紀「おんな港町」(1977年)
 オ④浜崎あゆみ「NEVER EVER」(2001年)
 池⑤中島みゆき「心音」(2023年)
 オ⑤音速ライン「逢瀬川」(2005年)
 池⑥RCサクセション「ヒッピーに捧ぐ」(1976年)
 オ⑥YEN TOWN BAND「Swallowtail Butterfly」(1996年)
 池⑦小林旭「ダイナマイトが百五十屯」(1958年)
 オ⑦貴水博之「目を覚ませ」(1995年)
 池⑧研ナオコ「あいつのこと」(1980年)
 オ⑧時任三郎「君が愛を語れ」(1992年)
 池⑨小林啓子「比叡おろし」(1970年)
 オ⑨FES☆TIVE「ハレとケ! あっぱれ! ジャパニーズ!」(2019年)
 池⑩布施明シクラメンのかほり」(1975年)
 オ⑩バンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHI「ゴッドソング」(2020年)
 池⑪松任谷由実「Bueno Adios」(2009年)
 オ⑪小沢健二feat.スチャダラパー今夜はブギー・バック」(1994年)
 池⑫所ジョージ「純情」(1980年)
 オ⑫たま「あっけにとられた時のうた」(1996年)
 池⑬アリス「涙の誓い」(1978年)
 オ⑬稲垣潤一「日暮山」(1982年)
 私は松平健八代亜紀所ジョージの3曲だけは絶対だと決めていて、後はその場のノリで。今回の私が選んだ曲は有名なものばっかりという感じですが、オツカル様が井上涼を知らなかったのは意外でした。それでも、私が「ふたりはなかよし」を選んだら、即座にそれと似た(同一テーマの)曲である「パフィーのルール」を持ってくるあたり、オツカル様の頭の良さにはいつもいつもびっくりさせられます(前述の通り、人間の知性の基本は「これって、あれじゃん」です)。
 最後には私が井上陽水「夕立」を歌うというのも恒例。私の「夕立」と同様に、オツカル様が稲垣潤一「日暮山」を歌うというのも恒例化していますが、彼が若い(小さい?)時に大人に連れられて行ったディナーショーで稲垣氏からリクエストを訊かれる幸運に恵まれたものの「日暮山」が「歌詞を覚えていない」という理由で却下されたというエピソード、何度聞いても面白いです。

 上野の飲み屋街は、各店舗が店の外に出した青空テーブルがズラリ並んでいるのですが、カラオケボックスを出て歩いていたらその中で飲んでる若者の一人とバッチリ目が合い、向こうはマスク越しに私が誰だか気づき、私は向こうが私が誰だか気づいたことに気づきました。「池ノ都先生ですかっ!?」と駆け寄ってきたのは、68回生のMくん(64回生にお兄ちゃんが居ますね)でした。
 オ「担任だった生徒?」
 私「全然。彼が高3の時に、週1で漢文の授業をしただけ」
 オ「関係薄っ! それで教員の顔とか覚える? そんなインパクトのある授業してるの?」
 私「あのぅ……実は、私結構……(2人で爆笑)」

 池袋の居酒屋「あおもり屋」には、私・オツカル様・56回生Nくん(オツカル様と雀卓や飲み会で同席経験有り)の3人で行くつもりだったのですが、オツカル様が推し(地下アイドル)のライブが入ったということで数日前に離脱表明(ライブ後の二次会から戻って来られるそうです)。オツカル様の中では、私よりもアイドルの方が優先順位が上で、私はそういうところも含めてオツカル様を推しているのです。
 ということで、Nくんにお願いして急遽お呼び出しした56回生Kくん(アニメ制作)と3人で飲み会。青森料理、青森の日本酒。Kくんと会うのは卒業以来ほぼ初めて、アニメ業界の話は大変に面白いものでした。私よりもオツカル様やがっ様(ゲーム会社)の方がよりディープに話せるだろうなぁ……と思っていたら、まさにそのがっ様から「二次会から参加していい?」という連絡が来て即諾。
 765蔵目・青森「白神」(山廃純米酒)。
 766蔵目・青森「菊駒」(純米酒)。

 池袋で二次会っつったら「知音食堂」一択で、オツカル様・がっ様とKくんとは初対面ですけれどもそういうのは関係なく出会って3秒で打ち解けて。国語教師・公益財団法人・ゲーム会社・アニメ制作・エンジニアの5人が、陳麻婆豆腐で喉を焼きながら青島ビールを飲み続ける2時間。
 会計は、こないだのセカンドベイビーちゃんご爆誕祝い(私・オツカル様から)の御礼ということでがっ様持ち。目覚めたらホテルのベッドだったからちゃんと帰ったのは間違いないんですけれども、「知音」を出た後の記憶はきれいさっぱり抜け落ちてます。あと、来年の3月に沖縄旅行しようぜ~、と言ってるNくんとは、旅行の相談をする約束をしながら沖縄の「お」の字も出さないまま別れてしまいました。