上からの声も下からの声も聞けない人間になるのは何故か?

 ど早朝起床(2時)で帰り支度。長めの風呂に入ってからホテルを出発、始発の品川新幹線。Hさんへのお土産を北海道で買っていたのは、恒例の「品川珈琲」を今回は買えないからです(始発の時間に店は開いてない)。品川→博多→K市職員室、で学校仕事デスクワーク。都合で学校に呼び出している生徒がいるので、その顔を見たりしながら。流石に年末7連休(最初の北海道2泊は仕事だと強弁したくもありますが)なんて取ったら、年末正月返上で働けって話ですよ(っつっても、返上するのは31日と3日だけですけど)。一番考えないといけないのは、こないだ通知表所見を書いたクラス生徒に送る年賀状の文面をどうするかということ。差異化を図る(ために、通知表所見から保護者が見なくてもいい若しくは見ない方がいいネタを抜く)のは割と大変なんです。見ないほうがいいネタっつーのは、要するに下ネタなんですけど。
 夜は恒例「もりき」の忘年会で今年の飲み納め。常連さんたちとお話しさせていただきながら(私がど最年少です)。私は早く来て早く帰る派なんで、21時には家に帰って就寝。

 旅行中に読了した本を10作品11冊。
 鶴見俊輔『回想の人々』読了、★★★★。神は細部に宿る、このある日のあの人の普通なら覚えてもないような取るに足らない一コマを書いたらそれが思想史上の重要な証言になるという「話芸」は、それ(記憶力っていう意味でも話芸という意味でも)を持たない人が真似をすると歴史を曲げることになる。例えば……、
 大倉幸宏『「昔は良かった」というけれど』読了、★★★★。集合意識としてある(いや、たぶん無いんですよ、でもメディアに時々のるからそんなものかと思わされてしまう)「昔はよかった」を前提に、自分の記憶や現状認識を解釈し直していくとかいうスタンス、それに対する自重は要りますよねということを身をもって示したというだけでこの本には好感。もちろん、今度はこの本に引かれた明治大正戦前メディアの中立性を検討するという作業が求められるんでしょうが。過去語りなんていたちごっこ覚悟の上じゃないと、ねぇ。
 西原理恵子サイバラの部屋』読了、★★★★。大好きな漫画化がホストを務める対談集。相変わらずお強い。でもでも、男は話を聞かない、なんて真理をそんなにカラカラとズバッと衝かれたら身も蓋も無いんじゃございませんか、と。せめて……、
 森博嗣『壺焼きのテリーヌ』読了、★★★★★。本随想集の収録作品「上からの声も下からの声も聞けない人間になるのは何故か?」の2ページくらいかけて説明してくれないと、と言いたい私。身は学者先生の方に寄せつつ、憧れは割烹着のお母様にある、ってとこでしょうか。
 桜木紫乃ホテルローヤル』読了、★★★。多数派なのか少数派なのかは分かりませんが、私はラブホテルに入ったことがないので、たぶんこの作品の読者が前提として体得していると想定されているだろう場末感が身に備わっていないんだろうなぁ、と読みながら。ファンタジーとして読むしかないから「坊さん怖ぇ」と「文章巧い」と「これ直木賞?」程度の感想しか湧かず。
 江口夏実『鬼灯の冷徹(12)』読了、★★★★。アニメも好調(なのかは知らないですが)で単行本は次々、生き急いでる感がありますけど、まぁそれでいいのかそういう話だから。
 杉基イクラナナマルサンバツ(7)』読了、★★★★。結局、脱競技クイズ派が悪役として登場する、みたいな展開は望めないのね。
 宮本福助『となりの外国人(2)』読了、★★★。最初は高橋留美子風の笑いじゃない? と思って、今では「ツルモク独身寮」風の笑いじゃない? と思って、昔のアレとしか比べられないところが前のめりの読書を求めてない証拠なんでしょうね。これがまさに職業病。あらゆる本が、センター・東大・京大・九大・一橋……の過去問のあれやこれやの文章の内容とリンクしないだろうか(資料として利用できないだろうか)という期待の下に読まれるのですから。
 影山理一『奇異太郎少年の妖怪絵日記(6)』読了、★★。切るか切らないかの瀬戸際。笑いの方向性は嫌いじゃないし、妖怪だし。でも、この下らん萌え要素は捨ててもらえんのか。
 松田奈緒子『重版出来(1・2)』読了、★★★★★。『となりの外国人』のところでも書きましたが、昔のアレと比べる病の目には、例えば『チャンネルはそのまま!』が終わって『働きマン』が中断しているところに現れた救世主的な姿に映るんですけど、もう絶対あらゆるところで言われてますよね。いやしかし、これは純粋に面白い漫画、これが無かったら年末の漫画5傑には『オブ・ジ・エンド』が入ってるとこでした。