いちばん最後に見た夢だけを 人は覚えているのだろう

 枕が濡れるくらい泣いて目を覚ましたのに、見た夢を覚えていない。夢で泣くことが少なからずあるのに、その内容を覚えていたことがただ一回しかないのです。以前書いたかも知れませんが、その一回の夢の「あらすじ」はこんな感じ。

 場所は病室、臨終のベッドに横たわるいっこく堂と、彼にすがるようにその横にいる私。どうやら、私といっこく堂とは数十年来の親友である様子。ですから、私には「その時」が来ることが許せない、耐えられないのです。自分をこの世に引き留めようとするかのように手を握る私に、いっこく堂はしかし「今まで本当に楽しかった」という言葉で別れを予告します。そして遂に、私が絶対に聞きたくなかった「有難う」の言葉を言い終わるか終わらないかの瞬間、私の手を握り返す彼の手からふっ、と力が抜ける。その後、溢れる涙もぬぐわずいっこく堂の名前を叫び続ける私の耳に、空から彼の最期のメッセージが降ってくるのです。
 「あれ、声が、遅れて聞こえてるよ……」

 そら泣くっちゅーねん。

 さて、日曜日の学校は高3生大挙で文化祭直前。映画撮影やらダンサーの冷やかしやらで遊び、体験授業の資料を作り、教員も文化祭モード。本業の教科教育の方では、第1回校内模試で出題する漢文、それ以外のどこかで出題予定の現代文の問題・解答例を作成。

 夜、「もりき」で独酌。しながらTwitterやメールやで黄金週間上京旅行の遊び相手を募っていたら、まっぴぃから当分お断りのお返事が届く。氏曰く、そんなに「話が合わない」を強調するなら会う必要もあるまい、とのこと。春の飲み会で私がそう言う馬鹿な発言をしたということですね。
 大学在学中からそうでしたし、就職以降ますます拍車がかかっているのですが、最早趣味と人文知の範囲で到底手が届かない別次元に行ってしまった人たち(まっぴぃとかアラリンとかよっすぃとかまっきょんとか)の、例えばTwittertweetなどを見るといかに自分の自閉した生活が(TQC的な?)知とセンスから取り残されてるかってのを痛感します。
 「ついて行けない」の能力努力不足を上記如き阿呆発言に転がした愚には、暫くの謹慎期間が必要ですね。御免なさい、2、3年引っ込んでます。