神、この人間的なもの

 2時起床3時「Joyfull」入りで特講漢文の添削。だったのですが鞄を開けたら修正テープと青ペンしか入っていなかったので、顔なじみの店員さんに赤ペンをお借りしました。昨日は18時からの会議もあって就寝が22時を過ぎてしまったので、添削しながら眠い眠い。国語科恩師先生はかつて「徹夜は週に1回が限度」と仰有ってましたが、私は出来る限り徹夜はしたくない派。授業と特講とを合わせたら週23コマ、添削だけで週に24時間ですから、出来るだけ体が疲れないようにしたいのです。

 さて、放課後の一橋現代文特講の板書準備で特別教室に入ったら、「哲学」=「一語文……存在(発見)/非存在(希求)」という板書が目に飛び込んできまして。「変わったアプローチで説明する人がいるね、面白いなぁ」と、一瞬思ったんですけれどよく考えたら先週の特講の自分の板書が消されずに残ってただけでした。ですよね。
 本日の一橋特講は、岡真理と丸山真男共時的・継時的他者とのコミュニケーションについて考えて戴いた後、生徒某氏が質問に来られる。私、あまり質問されるタイプの教員ではない(頼りないとか興味ないとか気持ち悪いとかなんか怖いとか色々理由はあるんでしょうが)のでちょっと構える。たら、岡真理の文章を受けて考えたのでしょう、「宗教を持たない集団は存在するか?」というど直球でクレバーな質問で。そんなラディカルな問が私ごときの手に負える訳もなく、「自分で考えてね」と答える。だけでは単に突き放しているだけですから、その質問文の中にあった抽象語である「宗教」と「集団」との定義を考える。まず私が創唱宗教自然宗教の定義を説明した後で、某氏に「集団とはなんぞや?」と尋ねる。2、3分のやりとりの後、某氏の思い描く「集団」の定義が「恐る(畏る)べき未知に対し便宜上辻褄を合わせる為の作業仮説を共有した人々」だということが明らかになりました。ら、某氏「……何となく、分かりました。少し、自分で考えます」 ビバ進学校! 狙い通り、私を置いてけ堀にして自分で分かって下さいました。今度、なだいなだでも貸そうかな。