たのしいプロパガンダ

 本日は授業が1~5限、放課後はセンター特講(15年度本試験を80分かけて丸ごと解く)が7・8限。6限は特講の準備で丸々潰れるので、丸一日激走の相当忙しい日(日記が数日間更新出来ません)。
 授業の教材はセンター08年本試の小説、夏目漱石彼岸過迄』。主人公の「僕」(コミュ障)が、望まぬ許嫁である「千代子」の別荘で会った客人「高木」(コミュ神)の容貌才能に(「千代子」のために)嫉妬する、という内容。回想の形で人生初の嫉妬心を精密詳細に自己分析する「僕」の語りが滑稽で痛い。これは、恋愛ルサンチマンを滾らせながら観念に淫するF校生の姿そのもの。っつーか、「一人っ子で中高勉強できて大学でも競争をしたことがないからこれまでついぞ嫉妬心などというものを抱いたことがないコミュ障」ってこの日記を書いている私のことじゃないのか、と読むたびに赤面教師。F校生抉らせたらこんなことになるぞ、お前ら「こいつ痛くてじわるんですけど~」とか笑ったらそれがそのままブーメランになって脳天に突き刺さるぞ、と生徒に語った直後に教壇の私がブーメランに頭蓋を割られることになるのは目に見えているので、えぇこんな直近の問題なのにしかも大文豪・夏目漱石の問題なのに何と63回生では授業で扱わなかったのです!
 で、『彼岸過迄』の主人公はF校拗らせ系男子だ、ととあるクラスの授業冒頭で話したら、ある男子が「だったら本文を見なくても選択肢を読めば正解が導けるはずだ」と仰り、「これが我なり!」「これが我なり!」と答えを選んで行ったら見事満点。という話は流石にみんな爆笑で、私も笑いながら板書してましたら、生徒「先生、『縁談』を『縁断』って書いてます」 私「これが我なり!」

 放課後は、高3生150人程度の自由参加(@大講義室)、15年度センター丸ごと80分。参加していない50人程度は殆どの人が問題と解答だけ貰って帰宅していますが、これはセンターリアルチャレンジなどで既に一度解いたことがある人たちでしょう。マークシートを集めて、これは明日採点をします。現代文・古文・漢文とも解説の時間が取れないので(100分の授業は問題配布・解答・解答解説配布・自己採点、でキツキツ)、詳しい解説プリントを現古漢それぞれを担当する教員が作っています。

 松本創『誰が「橋下徹」をつくったか 大阪都構想とメディアの迷走』読了、★★★★★。新聞・テレビに期待するのをやめたら? と既にそれから離れた私は思うけれどもそういうのは筆者曰く「冷笑主義」への逃げなのでしょう。新聞・テレビは依然マスメディアとして大衆に対して確かなインパクトを持ち(これからも持ち続け)、大衆はそれに意識的無意識的に影響を受け組織化される(「橋下徹」的なものへの共鳴)か、若しくは打倒すべき体制権力と見て呪詛の言葉を浴びせる(反「橋下徹」的なものへの暴力)か。両極表裏一体で大衆は(そして社会は)劣化、状況打開のためにはその原因責任であるところのマスメディアの側が多弁詭弁の英雄への迎合(「橋下徹」的なものの拡声器化)をやめて自浄作用を働かせる(その上で大衆を啓蒙す)べき、と。ほぼ全面賛成ですけれども、難しいでしょうね。メディアは自己批判を拒むでしょうし、真摯な自己批判は群衆の目からは格好の獲物に見えることでしょう。
 と言いながら、内容・文体ともに著者の知性と誠実さとを伝えるもので★★★★★。覇道の世における儒家、とまで言ったら大袈裟でしょうが、個人的な関心は、この類の本が『論語』になれるかどうかということですね。