君も僕もまるで違う歌を書きました。

 千葉雅也・二村ヒトシ・柴田英里『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』読了、★★★★。素晴らしい本だけれども、真面目過ぎると思いました。「性」についての鼎談で二村ヒトシが関わった本といえば大傑作『オトコのカラダはキモチいい』(岡田育・金田淳子)があるわけですけれども、『欲望会議』と『オトコのカラダはキモチいい』との最も大きな違いは、『欲望会議』は全然エロくない、『オトコのカラダはキモチいい』はとんでもなくエロいという点です。例えば『オトコのカラダはキモチいい』の中で岡田育・金田淳子が「腐女子」炸裂させているあたり、確かに爆笑もんですし爆笑してるうちについ忘れそうになるんですけれども、ジャーゴンだらけの典型に没頭する(自己を預ける)というのはストレートにエロい行為ですからね。『欲望会議』では、例えばキャラ没頭のような形で自己を他者(他者によって作られた所与のイメージ)に預ける態度は絶対拒絶です。世界は多義的・多網的・流動的である(べき)なのだから、その「多義」の一つとしての自己にもっと拘っていい、引きこもっていい(「性」はまさに引きこもった先の「暗部」ですね)、何かを語るなら引きこもった自己をもっともっと熟成させた上で語れば良いというスタンスで、その多義・多網・流動を一つの方向に組織化しようという力や思想(要するに現今の社会の風潮)を徹底的に批判する。だから『欲望会議』では借り物の言葉が許されない、「お守り言葉」としての常識(例えば安直なポリコレのような)が許されない。そういう「会議」ですからそれはもうもの凄い緊張感で、そこにエロさは微塵もありません。それぞれがそれぞれの性癖を暴露してたり喋りながら発情してたりする(んだろうなぁという)箇所もあるんですけれど、それが借り物一切なしの個人性徹底追究の果てに発露されてるものなんで他の2人や読者に共有されない(読んでる私は「エロいなぁ」じゃなくて、「そ、そうなんだ……」って引くばかり)。こういう本に分かりやすい(共感しやすい)エロを求めるのが(これはもう原理的に)間違ってるんですけど、前に『オトコのカラダはキモチいい』を読んだのが運の尽きだった。爆笑もののエロスは★★★★★、ひたすら真面目な会議は★★★★、ってことで。っつーか、二村ヒトシが噛んでるという点以外でこの2冊を比べる理由ってないんですけどね。
 同じテーマの本で「積ん読」しているものに、大島薫の対談集『贅沢なカラダ』があるんですけれども、これにも二村ヒトシが登場します。

 昨日の日記に書いた通り、朝起きたらちょっと身体が熱っぽい。私の寝室には冷暖房がないので(母君の和室とリビングにはあります)、汗を掻きたいなら重ね着をして寝るしか方法がありません。今日からの三連休でゆっくり治していきます。取り敢えず、葛根湯だけ飲みました。
 午前中は書斎でデスクワーク、午後から出勤してアポイントのあった生徒2人と医学部受験の志望理由書の添削・面談。デスクワークを少々。

 夕方に帰宅して、入浴後に母君の入浴のお手伝い……これは、浴室まで入ってあれこれすることは稀で(基本的にお一人で出来ます)、私は服の着脱のお手伝いと、お風呂上がり後の浴室その他の整理をするだけ(浴室まで入る時は「介護」、それ以外の時は「お手伝い」と呼び分けています)。夕食と夜のお薬とをお出しして、お好きなタイミングでお布団に入ることのできる手はずを整えてから、「もりき」で独酌。クジラの赤身を鉄板焼きにしてもらいました。