師に感謝して 歌を贈ろう まだ見ぬ仲間へ

 職員室で働き方に関する雑談、就職して以来いちばん忙しかった年度について(少し年上の)英語先生と話す。私の場合はやっぱり10年前、63回生の高3を担当した時でしょうね。文系A組の担任をやって、高3現代文全部と二次漢文との授業を持ってました。授業が現代文10コマ(要添削が2コマ)、漢文2コマ(要添削)。特講が、東大文系現代文・東大理系現代文・京大現代文・一橋大現代文・東大理系漢文の5種類(要添削)9コマ。最繁忙の月は、週の実労働時間が100時間とかだったこともありました。
 私「そこから10年経った今は、年も年ですしもう絶対やりませんけど」
 英「『年も年』って、あんたまだ若いやろ」
 私「あのですね、僕、20年選手ですよ? 今年44歳ですよ?」
 英「あ~、意外に……」
 私「『意外』とかじゃなくて、もうどこに出しても恥ずかしくない立派な中年なんです」
 英「そだねぇ」
 20代は右も左もの状態から仕事に慣れていって(丁度、私が30歳になる年度に国語科恩師先生がご退職でした)、30代前半は63回生、後半は67回生で時間(人生?)が溶けていきました。40代前半は時間割と格闘。因みに、63回生以降も高3現代文は何度も受け持ちました(具体的には、64・67・70・72回生)が、特に東大現代文の添削については(生徒の書いて来る誤答のバリエーションをほぼ掌握して)スピードがかなり上がったので、実労働時間についても割としっかり短縮出来るようになっています。週に100枚添削するとして、1枚当たりの添削時間が3分短縮出来れば、それだけで5時間の「時短」です。

 本日、教務部会議。ここからは、来年度、即ち令和6年度の会議という扱いになります。私は令和6年度も引き続き教務部主任(時間割係)を務めますので、会議では時間割に関する事項を説明する仕事が少しだけ(念のため、これを書いているのは既に令和6年度の5月です)。

 昼食に学校近くの味噌ラーメン。の後、アポイントメントを取っていた67回生Hさん(高2~3年で担任を担当)とお話を。文系ストレートで早稲田大学に進学した彼女、コロナ禍下の北欧留学があって少しだけ就職が遅れました(留学の収穫に比すれば大した問題ではないでしょうが)。就活だとか、卒業旅行のヨーロッパ巡りだとかのお話、私は専ら聞き役。コーラス委員頑張ったとか、ドッヂボールが強かったとか、そういう類の(揺籃地での)思い出話は、社会人になってお仕事に慣れてからの方がいいでしょうね。
 卒業した72回生の後期試験の合格報告がちらほら。